なぜ青識亜論(BlauerSeelowe/Frozen_Sealion)の議論や論点整理はくだらないか?〜表現の自由戦士〜

大和民族
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 青識 亜論(せいしき あろん、1月7日 – )は、徳島県[1][2][3]の論客[4]表現の自由を重視する立場を取り[5]、「リベラリスト[6]」、「インターネットシーライオン[7]」、「フェミニストにしてアンチフェミ[8]」ないし「アンチフェミでネトウヨ[9]」を自称している。

https://ja.wikipedia.org/wiki/青識亜論
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1章 青識亜論

青識亜論の人種はモンゴロイド人種である。青識亜論の小人種は東洋小人種である。青識亜論の民族は大和民族である。青識亜論の部族は四国部族である。青識亜論のY染色体ハプログループは不明であるが、D1a2aやO2aやO1b2系統であるかもしれない。青識亜論のmtDNAは不明である。

青識亜論の宗教は不明である。青識亜論の文明的な所属は不明である。青識亜論の語族は日琉語族である。青識亜論の職業は公務員である。

2章 問題点

2.1【俺系統の認識】
青識亜論は自己の宗教や自己の所属文明を表現していない。

青識亜論は自己の宗教や自己の所属文明を表現していない。例えば、彼は「俺は西欧文明に所属する。だから、俺は言論の自由を善と判断する」や「俺は西欧キリスト教徒である。だから、俺は男女平等を善と判断する」と表現しない。しかし、彼は言論の自由について語る。

そのため、第三者は青識亜論がその宗教系統の社会を実現したいのか、彼はどの文明を実現したいのかを認識することができない。筆者の印象では、青識亜論は「君はキリスト教のソサエティを日本列島に実現したいのか」という質問に回答できない。

青識亜論だけでなく、白饅頭(御田寺圭)小山晃弘も同じ性質を持っている。非常に不思議なことに、彼らは議論好きであるように見えるが、青識亜論も白饅頭(御田寺圭)も小山晃弘も自己の実現したい社会(ソサエティ)を彼ら自身の言葉で表現することができない。彼らは自己の実現したい社会(ソサエティ)すら彼自身の言葉で表現できないのに、彼らはポリコレやフェミニズムについて語っている。

もし青識亜論が自己の実現したい社会(ソサエティ)を持たないならば、俺は青識亜論がフェミニズムやポリコレについて語ることは時間の無駄であるように思える。ユダヤ教徒やキリスト教徒の西側白人は自己の実現したいソサエティ(ユダヤ・キリスト教のソサエティ)を持っているからこそ、彼らはフェミニズムやポリコレを主張してきた。

2.2【俺系統の認識】
青識亜論の議論は単なるマウンティングであるように見える。

青識亜論の議論は単なるマウンティングであるように見える。彼の議論の大部分は時間の無駄であるように見える。上記でも述べたが、青識亜論は自己の実現したい社会(ソサエティ)それ自体を持っていないので、議論する意味それ自体が存在しない。

彼は白人様の価値観を使用して、他人を論破して、良い気持ちになりたいだけであるように見える。そこには、青識亜論が実現したい社会が存在しない。その結果、議論それ自体がキャバクラ化する。青識亜論は議論を通して、他人に自分の意見を聞いてほしいだけに見える。だから、聴く方から見ると、青識亜論の議論はキャバクラにおける客(おっさん)の自慢話しに近いように見える。

一般的に、青識亜論を含む大和民族は社会運動を自己の実現したい社会(ソサエティ)と認識していない。そのため、彼らは社会運動を通して、構ってほしい、ちやほやされたい、そしてマウンティングしたいと感じようとする。その結果、大和民族の社会活動の大部分は愛情の確認手段や馬乗り手段になってしまう。

青識亜論の場合、青識亜論は「論理的な自分を見てほしい」や「他人を論破する自分に快感」を覚えているように見える。筆者にとって、議論とは、自己の実現したいソサエティを実現するための手段(情報交換や意思表示)である。しかし、青識亜論は自己の実現したいソサエティそれ自体を持っていない。

青識亜論は対話や議論と称して、他人を屈服させたいだけであるように思える。筆者は青識亜論が何のための議論しているのか、彼の心理を把握できない。彼は議論や対話それ自体をキャバクラにおける会話や苦情者として楽しんでいるように見える。

2.3【俺系統の認識】
青識亜論は味方のふりをしながら、敵対行為を実行する。

青識亜論は味方のふりをしながら、敵対行為を実行する。彼は言論の自由を擁護するように振る舞う。しかし、彼は敵味方の区別を「議論」で誤魔化して、彼は敵対行為を実行するように見える。この種の行為は卑怯である。

また、青識亜論は自己の立ち位置をはっきりさせない。彼は自己の宗教も自己の文明的な所属も自己の認識も自己の善悪も自己の判断を表現しない。彼らは「言論の自由」と称して、味方のフリをしながら、ある種の集団に近づき、その集団を「言論の自由」と称して内部から延々と批判し続ける。

この種の行為は朝鮮民族が日本名という偽名(通名)を名乗りながら、大和民族の社会に入ってきて、大和民族を延々と侮辱する行為に似ている。または、西欧白人と結婚した日本モンゴロイド人の雌が白人夫と西欧白人との中間人種の子供を自慢するために、わざわざ大和民族の社会に入ろうとすることに似ている。

3章 青識亜論の統治法

以下では、筆者は青識亜論の言語的な統治法を提示するつもりである。一般的に、大和民族は「会話話法(プロトコル)」を指定せずに、議論しようとするので、青識亜論のような人物の台頭を許してしまう。

3.1【俺系統の認識】
自己の宗教と自己の文明的な所属、自己の実現したい社会、自己の認識、自己の善悪、自己の判断、自己の意志を表現させよ。

具体的には、次の質問を実行せよ。

質問(1)「君はどの宗教系統の社会を実現するつもりであるのか?」
質問(2)「君は西欧文明に所属しているのか、東洋文明に所属しているのか?」
質問(3)「君は西欧キリスト教徒であるのか?」

上記のように、青識亜論の「自己」を延々と質問せよ。そして、彼の認識や判断、善悪や文明的な所属、宗教を表現させよ。自己を吐き出させて、矛盾を強制的に形成させよ。

筆者の印象では、彼はこの種の質問に自己不安を覚える。この不安をうまく使用すると、ある主体は青識亜論の脳や心理を言語的に統治・管理することができる。

なお、回答形式を次のように指定せよ。

回答(1)「俺はx教系統の社会を実現するつもりである。」
回答(1’)「俺はx教系統の社会を実現するつもりはない。」
回答(2)「俺はx文明に所属している。」
回答(2’)「俺はx文明に所属していない。」
回答(3)「俺はx教徒である。」
回答(3’)「俺はx教徒でない。」

また、上記の質問に、「君はxと認識しているのか」と認識に関する質問を付け加えても良い.xには、文も代入される。例えば、「君は君自身が西欧キリスト教徒であると認識しているのか?」と質問せよ。

3.2【俺系統の認識】
言論の自由に関しては、次の質問を実行せよ。

例えば、言論の自由に関しては、次の質問を実行せよ。

質問(4)「君は西欧文明に所属しているのか?」

回答形式は次のみである。

回答(4)「俺は西欧文明に所属している。」
回答(4’)「俺は西欧文明に所属していない。」

もし彼が(4’)と回答するならば、次の質問を実行せよ。回答(4)ならば、彼の文明的な所属に関する言説を取れたので、十分である。

質問(5)「もし君が西欧文明に所属していないならば、なぜ君は自由を主張するのか?」

青識亜論が西欧文明に所属していないのに、彼が言論の自由を主張し続けるのはおかしい。ある主体はこの種の論理を使用することができる。これはキリスト教徒でないのにも関わらず、男女平等やLGBTを主張するような行為である。この時、青識亜論による言論の自由に関する主張の全てが正当性を持たなくなる。

青識亜論は彼自身がナチスを擁護する言論すら表現の自由の中の下で肯定することによっているように見える。しかし、西欧白人が言論の自由の下でそのような行為を実行するのは、彼らが西欧文明に所属してるからである。なぜなら、古代地中海文明は彼ら自身である。

一方、青識亜論はどこの文明に所属しているのかすら不明である。そのような人間が言論の自由を主張して、彼自身がナチスを擁護する言論すら表現の自由の中の下で肯定するのは非常に滑稽である。まるで卓球選手がサッカー選手の球を足で蹴る行為を擁護するようなものである。

電飛

(1)青識亜論の呟き場
(2)青識亜論のnote

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