ツイッターで、上記の文章が上げられて、炎上した(pdf)。以下では、俺は大和民族の医者の問題点を提示する。なお、以下の文章は一般論であり、佐々木崇への批判でない。この問題は木下喬弘や小野昌弘や西浦博にも言える。
佐々木崇
問題点
俺の認識 大和民族は正当な統治者を嫌い、ジャニーズやAKBのような素人統治者を好む。
言い換えると、大和民族はちゃんとした統治者を嫌い、彼らは身近で応援できてちやほやできる “先生” を好む。しかし、その先生は正当な統治者でなく、かつ統治能力を持っていない。その結果、先生が国家システムの統治者をやるので、佐々木崇のような世間知らずで、統治者としては無能が生じてくる。
統治者としての先生、つまり医者や学者や弁護士はジャニーズやAKBのような身近なアイドルである。ジャニーズやAKBは見るに耐えないほど幼稚であり、低水準である。けれども、大和民族はブサイクで醜いアイドルをちやほやできればそれで良いので、彼らはアイドルやモデルに肉体のデザインを求めていない。実際、ジャニーズやAKBの体型は悪く、K-popのアイドルと並べると、本当に見るに耐えない。
同様に、大和民族は統治者に統治能力や統治の正当性を全く求めていないように見える。大和民族のキモオタは長身で体型の良いモデルに怖じ気づくので、近づきやすいちんちくりんアイドルを求めるように、大和民族は統治や文明それ自体に不安を覚えてしまうので、きちんとした統治者を求めない。彼らは統治それ自体を権力として毛嫌いしてしまう。その後、彼らは身近な先生、つまり医者や弁護士をちんちくりんアイドル統治者として崇拝する。
佐々木崇
俺の認識 佐々木崇は統治者として無能であることは自然である。
なぜなら、佐々木崇は人体の修理者であり、国家システムの統治者でない。大和民族は人体の修理者に “統治” を期待するので、佐々木崇の文章に憤りを感じる。アインシュタインは物理の天才であったが、彼は統治者としておそらく無能であったように、佐々木崇が統治者として無能であるとしても別に不思議でない。
東京都医師会は、こんな記事を平気で書けるような、貴族気取りで世間知らずで反吐が出そうな老害医師で溢れている。
https://twitter.com/nrR2ppeIR8msbev/status/1430144699918999558
佐々木崇の問題はおそらく医者が先生と呼ばれて、統治者と素人で担うことである。統治者としての医者は芸能人政治家(候補者)のような感じである。大和民族の社会では、単なる医者や弁護士や学者、専門家が統治を実行しようとするので、失敗する。上記の貴族も同様にであり、貴族は富裕でなく、統治の正当性を持った人々である。
大和民族の医者も弁護士も、そして学者(科学者)も自己の組織すらまともに統治できないのに、彼らは科学や医学や法律を悪用して、統治者の真似事を実行しようとする。さらに悪いことに、彼らは独占や免許による保護を受けているのに、彼らは自己の組織を満足に統治すらできていない。大和民族にとって、統治とは頑張ったご褒美であるのだろう。だからこそ、無能でもよく、責任(後始末や応答義務)は家来にやってもらう。
問題点
俺の認識 大和民族の医者は統治が何であるのかを認識できないので、統治者との統治に関する約束を守らない。
大和民族の医者はおそらく医師免許を統治者から与えられている。加えて、彼らは統治者によって独占権を授けられて、かつ実質的には保護されている。けれども、彼らは統治者による統治に従わない。彼らは責任者(ゴミ当番やウンコの後始末をつける介護職員)を選挙で選択していると感じているように見える。
上記の牧野淳一郎の発言がその証拠である。彼は「専門家のいうことを聞かないのが〜」と言っている。しかし、専門家が統治者のいうことを聞くべきであり、統治者が専門家のいうことを聞くべきでない。専門家の役割は情報の提示のみであり、提示された情報への認識や善悪の判断は統治者の役割である。結局、牧野も医者も文明の象徴である統治を嫌い、後始末やゴミ掃除係を統治者に期待している。その結果として、まともな統治機構がいつまでも発達せずに、統治のアイドル化(芸能化)が生じる。
このように、大和民族の統治者のアイドル化と先生の勘違いが合わさると、上記の文章が製造されて、かつ炎上する。普通に考えれば、統治者は独占と政府からの保護がないと、自己の組織すら統治できない無能のいうことなど聞く必要がないと審判する。彼らは「牧野よ、まず自己の組織をきちんと統治してから物を言え。自分の組織もまともに統治できないくせに…」と内心思っているだろう。