鮮卑やチュルクや匈奴やフン族は蒙民族では?民族と語族とエスニック

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 俺の憶測:鮮卑やチュルクや匈奴やフン族の遺伝子は蒙民族であったように見える(ただし、コーカサス人種(中東人種や地中海人種)との中間種も混じっていただろう)。

 君が中国史を調べるとき、匈奴やフン族や鮮卑が誰であったのかについて知りたい。しかし、民族に対する認識が人種や民族に応じて互いに異なるので、鮮卑の正体を知ることは非常に難しい。ここでは、俺は彼が誰であったのかについて考え方を提示する。

 俺の印象によると、日本人が知りたいのは鮮卑の遺伝的な性質であり、人工的な概念でない。

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人工的な概念と生物的事実を区別する

 語族や国民や教徒やエスニックは人工的な概念、人種や民族や部族や性別は生物的事実と認識されるべき。君が生物的事実と人工的な概念を混ぜるとき、誰が何を話しているかを理解できない。

 1:語族

 言語は重要であるが、それは民族に無関係である。モンゴル系やチュルク系はモンゴル語族やチュルク語族ときちんと描かれるべきである。例えば、チュルク系はトルコ系と呼ばれたりするが、チュルク系やトルコ系がコーカサス人種のトルコ人(地中海人種)の事なのか、東洋人種のトルコ語族の事なのか、語族や人種を指しているかがはっきりしない。この曖昧さは俺にとって悪い。

 2:国民

 国民とは国籍を持つ人々であり、それは人工的な概念である。Americanはアメリカ人でなくアメリカ国民である。イギリス人の英国民もイギリス人の英国民も同じイギリス人である。

 3:教徒

 教徒とはある宗教を信仰している人々であり、それは人工的な概念である。具体例として、キリスト教徒の白人とユダヤ教徒の白人は生物的には同じ白人種である。

 4:エスニック

 エスニックは半人工的な概念である。人種+語族+(国民)がエスニックを与えるように見える。例えば、南ドイツ人と北ドイツ人は同じ民族でなく、同じエスニックである。南ドイツ人はケルト民族の基盤を持ち、北ドイツ人はゲルマン民族の基盤を持つように思える。

定義でなく認識を重視しよう

 君が人種や民族の話を交わすとき、アスペは定義を求める。この種の行為は非常に悪い。なぜなら、認識は定義よりも重要である。

 一部の人間は日本人の定義とは何かを質問するが、この種の人間の大部分は誰が日本人かをよく認識している。その証拠として、彼らは日本人しか批判しない。

 この種の話は数の認識や人種の認識や民族の認識に似ている。君の脳はなんらかの遺伝的な形質を本能的に捉えている。だからこそ、日本人は朝鮮人の日本国民と日本人の日本国民の違いを明確に認識する。

 当然、朝鮮人も日本人も朝鮮人や日本人の定義を知らない。でも、なぜか朝鮮人も日本人も違いを見分けてしまう。

大局から局所へと思考しよう

 君が古代の人種や民族(鮮卑など)を考えるとき、君は人間を大局から局所へと縮小させる。君は次のように考える。

 ホモサピエンスが存在する。ホモサピエンスはコーカサス人種、モンゴロイド人種、ネグロイド人種に分類される。モンゴロイド人種はさらに東洋人種、東南アジア人種、アメリカ人種に分類される。東洋人種は蒙民族、華北民族、漢民族、華南民族、華西民族、チベット民族、朝鮮民族、大和民族に分類される。

 上記のように、大局から局所へと縮小させるように考えると、解りやすい。

人種と民族と部族とは何か

 君が人種と民族と部族を過去における「首刈り効果的分岐」と認識するとき、君はその生物的事実を認識する。実験室におけるショウジョウバエを想像しよう。

 首刈り効果的分岐の後、人種は数万年、民族は数千年、部族は数百年で東洋人によって認識される。

 夏王朝や殷王朝の時代、大和民族も朝鮮民族もチベット民族も、そして漢民族も分岐していなかったので、存在していなかったはず。日本人の体型はモンゴル人のような北方の東洋人でなく、南方であるように見える。だから、俺は日本人は殷王朝の時代、黄河の下や長江あたりで生活していたと憶測する。

 モンゴル平原には、モンゴル人の先祖が生活していただろう。

鮮卑やチュルクや匈奴やフン族

https://ja.wikipedia.org/wiki/鮮卑

 俺の憶測によると、鮮卑やチュルクや匈奴やフン族は「蒙民族」、モンゴル人の民族であった。(ただし、コーカサス人種との中間種や彼らの王が異人種のような特殊な場合を除く。)

 もし彼らがコーカサス人種が主体の民族であったならば、モンゴル平原には、コーカサス人種が残っていてもよいように見える。しかし、モンゴル人の顔をみるように、彼らはほとんど完璧なモンゴロイド人種である。さらに、モンゴル人の顔は東洋人の中でも最も東洋人らしい顔をしている。

 言い換えると、俺はモンゴル人の顔からコーカサス人種の遺伝子を感じ取れない。もし鮮卑がコーカサス人種であったならば、なんらかの痕跡が存在していても良さそうである。しかし、コーカサス人種の痕跡は墓や人骨くらいしか存在していないように見える。

良し悪しの判断を重視しよう

 俺が上記のような発言を提示するとき、歴史オタクは揚げ足をとって知識を披露する。この種の行為は非常に悪い。おたくは善悪の判断を下せない。

 民族の定義は重要でなく、君が世界をどう認識しているかが最も重要である。その後、俺らは世界に対する認識のすり合わせを行う。知識の披露でなく、認識のすり合わせや共通認識の形成が重要である。

 俺の印象によると、認識能力は人種によって異なる。白人種、ドイツ人は現実に対する認識能力を持っていない。だから、彼らは言語をこねくり回す観念論に迷い込む。

テュルク系民族(テュルクけいみんぞく、 英語: Turkic peoplesまたはTurks、 トルコ語: Türk、 ロシア語: Тюрки)は、中央アジアを中心にシベリアからアナトリア半島にいたる広大な地域に広がって居住する、テュルク諸語を母語とする人々のことを指す民族名称である

https://ja.wikipedia.org/wiki/テュルク系民族

 上記の文章は非常に興味深い。俺はこの文章を悪いと判断する。なぜなら、この文章は雑であり、人工と自然を区別できない。俺はチュルク系民族をちゅルク語族といい直す。

 日本人の大部分が白人の学者に劣るのは彼ら自身が既存の文章を適切に判断できないからである。だから、俺がチュルク系民族はチュルク語族でないかと指摘するとき、彼らは白人や学者の聖なるお言葉をいたこ芸する。その結果、学問が大川隆法のいたこ芸や合気道の達人になる。

 済州島みかんは非常に知的な日本人である。しかし、彼は善悪の判断を下すのを苦手とする。

 鮮卑だろうが突厥だろうが、漢族の風習を受け入れれば、漢族なんだよ

https://twitter.com/99mina_jeju/status/911452374236987392

 済州島みかんは大陸東洋人によるその認識をよいと判断するのか。俺は悪いと判断する。なぜなら、人間の基盤である生物的事実が軽視されている。俺は歴史的な義務や責任は人工的な概念でなく、「生物的的分岐」に密接に結びつくと認識する。

 玉城デニーのような中間種を見ればわかるように、中間種はどのような歴史的な義務や責任を負っているか、誰もわからない。彼らは被害者ぶるが、決して加害者側にならない。なぜなら、彼らは「生物学的分岐」を持っていない。

 この種の歴史的な義務の欠如や無責任さは上記の漢族のような人工的概念によって解決されない。

 さらに、人工的な概念の欠如は順序概念の欠如でもある。もし順序が俺らにとって良いならば、俺らは生物的基盤→その上の人工的概念の順序で考えるべき。

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