なぜイスラム教は偶像崇拝やアッラーやムハンマドの擬人化を禁じるか?

歴史
youtube.com Omar Bokan

 偶像は、神仏を人間の手で、石や粘土、金属、木など様々な材料を使って像にしたり、絵に描いたりしたもの。またそれを崇拝することが偶像崇拝。イスラーム教では、偶像は人間が作ったものにすぎず、神そのものではないから、それを崇拝することは間違えている、として厳しく禁止している。

https://www.y-history.net/appendix/wh0501-009.html

 イスラム教は偶像崇拝やアッラーやムハンマドの擬人化を禁じてきた。その結果、イスラム教には、ギリシア彫刻のような彫刻が存在してこなかった。なぜイスラム教は偶像崇拝を禁じるのか?

以下で、俺はなぜイスラム教は偶像崇拝を禁じるかについて述べる。また、イスラム教がアッラーやムハンマドの擬人化も禁じるのかについて述べる。ただし、以下では俺の勝手な憶測である。

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1:創造主を崇拝するとは何か?

 偶像崇拝を見る前に、俺らは創造主を崇拝する行為について考えよう。俺らが崇拝行為を思考するとき、俺らは何を崇拝するかという崇拝の ‘ 対象 ‘ について熟考すべきある。偶像崇拝が問題になる時、その問題の原因は崇拝すべき対象が間違っているからである。

1:創造主に対する崇拝行為とは何か?

 創造主とはこの世界を創造した対象である。その対象は太陽も川も人間の体も俺らの視界や感情や性欲すら創造した。信仰者は創造主それ自体を崇拝する義務を持つ。

太陽や川や人間の体は創造主の創造物であり、創造主それ自体でない。俺らの視界も性欲も創造主の産物であり、信仰者は自然界を崇拝しない。

2:偶像に対する崇拝行為

 偶像とは、簡単に言うと、像である。俺の像は俺自身でない。犬の像は犬自身でな。同様に、神の像は神自身でない。

もしある宗教が神に対する崇拝を義務付けるならば、その信仰者は神自身を崇拝すべきである。神でないものに対する崇拝行為はその宗教では正当でない。偶像崇拝はこの神でないものに対する崇拝行為の不当性に関係する。

2:創造主の本質と崇拝行為

 俺らが偶像崇拝について思考するとき、俺らは創造主の本質とは何であるかを思考する。熱心な信仰者にとって、創造主の本質を崇拝することが正当な行為である。一般的に、偶像が問題になる時、その問題は対象を模したものに対する崇拝行為は正当でないことである。

しかし、創造主の場合、その問題以外にも問題が存在する。その問題とは、創造主の本質は創造主の形であるかという問題である。その答えはおそらくいいえである。

1:創造主の本質は形でない

 人間の本質やこの世界の創造主の本質は「形」でない。偶像が許されるとき、人間は偶像の「形」を崇拝しようとしてしまう。その行為(偶像崇拝)は偶像の「形」という本質でない何かを崇拝することである。

イスラム教はその崇拝行為を不信仰的行為と審判した。神を本当に信仰することは何かの「形」を信仰することでない。形を信仰することは神自体に対する冒涜行為である。

もし君が君の神を本当に信仰するならば、君は神の「形」を信仰すべきでない。神の「形」は神それ自体でない。

2:もし擬人化が許されるならば?

 残念なことに、君が神を偶像化するとき、人々は神の形を信仰して、神を好きになってしまう。例えば、その神の形が「イケメン」や「エロい美女」であるとき、人間はその神の「形」を信仰する。

イメケンや美女とは神の「形」に関する状態であり、神の本質でない。だから、もし君がイケメンや美女を崇拝するならば、それは「形」を崇拝する行為である。敬遠な信仰者にとって、その行為は神への侮辱である。

これはアッラーのイケメン風擬人化を想像すればわかるだろう。例えば、アッラーが北欧風金髪碧眼に擬人化されるとき、日本人女性はイスラム教徒に改宗するだろう。しかし、そのアッラーの本質は彼のデザインでない。

3:創造主とデザイン

 人間のデザインはあくまで重要なものであるが、人間の本質でない。ましてや神の本質でない。イスラム教徒が真剣な信仰者であると望むとき、上記のような日本人女性を排除したい。

イスラム教徒は神に対する真剣な信仰を望む。だから、彼らは偶像を廃止して、真剣に神(の本質)を崇拝する人間だけを選別したい。その結果が偶像崇拝の禁止である。

偶像崇拝は女体それ自体よりも女のパンツを好む男と同じである。女体の本質は女体それ自体であり、女性のパンツでない。同様に、神の本質は神のデザイン(形)でない。

3:分析的思考と関係的思考〜コーカサス人種の思考〜

 分析的思考とは、白人が対象それ自体を分析する思考である。関係性思考とは、東洋人が対象と対象の関係を把握する思考である。

https://oreranitsuite.com/2019/11/06/西洋人の分析的思考と東洋人の包括的思考/

 東洋人が偶像崇拝を捉えるとき、東洋人は分析的思考を採用すべきである。なぜなら、コーカサス人種は一般的に対象を分析的に捉える。彼らは神と神のデザインの関係を把握するのでなく、神それ自体を捉えようとする。

1:創造主と形

 もしxが創造主の形を持つ対象であるならば、xは創造主である。この論理は間違いである。なぜなら、俺らがこの論理を正しいと仮定するとき、俺らは神の形を持つ偶像それ自体を神と定義する必要がある。

だから、もし俺らがその偶像を破壊するならば、俺らは創造主を殺したことになる。人々はこの状態に反対するだろう。なぜなら、創造主の本質は創造主の形それ自体でない。

上記の分析的な思考により、俺らが偶像を崇拝する行為は神の形の像(レプリカ)を間違って崇拝することである。この行為は二重に間違った行為であり、信仰的に正当でない。だから、偶像崇拝は認められない。

 

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