いつ人類の文明は始まったのか?〜シュメール人のメソポタミア文明と神話(ギルガメッシュ)〜

文明
https://ja.wikipedia.org/wiki/シュメール
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 以下では、俺はいつ人類の文明が始まったのかを宗教的に提示してみる。一般的に、人類の文明は、氷河期の終わりの後、牧畜や農耕を伴って始まったと考えられてきた。この記事では、俺は牧畜や農耕を「生活形態の始まり」と考えて、俺は生活形態を「人類の文明」と認識しない。

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人類の文明の始まり

認識の始まり

 認識の始まり:人類の文明の始まりとは、ホモ・サピエンスが自己の認識を獲得して、その認識を表現して、かつ記録した時である。

 人類の文明の始まりとは、ホモ・サピエンスが自己の認識を獲得して、その認識を表現して、かつ記録した時である。一見すると、上記の文章は当然であり、すごくないように感じる。けれども、俺らはホモ・サピエンスと呼ばれる個体には、自己の認識を持っていない個体が入り混じっていることを認識するとき、自己の認識の獲得を人類の文明の始まりと置くことはそれほどおかしくないように感じる。

例えば、子供は自己の認識を持たない対象である。だから、彼らはいじめという自己の行為を認識することができない。しかし、彼らが成長して、認識能力を獲得するとき、彼らは過去における自分の行為をいじめと正確に認識することができるようになる。人類の文明の発達にも同様なことが言えて、人類の極一部はどこかで自己の認識を獲得した。

大和民族を見ればわかるように、彼らは自己の人種や民族を “知覚” しているかもしれないが、彼らは自己の人種や民族を “認識” していない。さらに悪いことに、大和民族は自己の人種や民族に対する認識を彼ら自身の言葉で表現できないし、ましてや大和民族は彼ら自身が自己をどのように認識していたのかというその認識を文字として記録に残そうとしていない。

 21世紀の現在でも、大和民族は自己の民族に対する認識を記録しようとしていない。自然界(物質的な世界)には、自己の認識が存在しないことを考慮すると、シュメール人が自己の民族に対する自己の認識を表現して、記録したことは人類史における大業績の一つであるように思える。

善悪と判断の始まり

 善悪と判断の始まり:人類の文明の始まりとは、ホモ・サピエンスが自己の善悪及び自己の(善悪の)判断を獲得して、その自己の善悪及び自己の(善悪の)判断を表現して、かつ記録した時である。

 人類の文明の始まりとは、ホモ・サピエンスが自己の善悪及び自己の(善悪の)判断を獲得して、その自己の善悪及び自己の(善悪の)判断を表現して、かつ記録した時である。一見すると、上記の文章は当然であり、すごくないように感じる。けれども、俺らはホモ・サピエンスと呼ばれる個体には、自己の善悪や自己の(善悪の)判断を持っていない個体が入り混じっていることを認識するとき、自己の善悪や判断の獲得を人類の文明の始まりと置くことはそれほどおかしくないように感じる。

例えば、子供は自己の善悪や自己の判断を持たない対象である。だから、彼らはいじめという自己の行為の善悪を判断することができない。しかし、彼らが成長して、判断能力を獲得するとき、彼らは過去における自分の行為をいじめと悪正確に判断することができるようになる。人類の文明の発達にも同様なことが言えて、人類の極一部はどこかで自己の善悪と自己の判断を獲得した。

例えば、シュメール人はある種の法典(ウルナンム法典)を作って、その法典が大きな影響をハンムラビ法典に与えたらしい。法典が存在するためには、善悪(善な運動や状態とは何か)や契約を必要とする。俺らは法典の存在を善悪や善悪の萌芽と好意的に解釈することができるかもしれない。自然界(物質的な世界)には、善悪や判断が存在しないことを考慮すると、シュメール人が自己の善悪や判断を表現して、法典として記録したことは人類史における大業績の一つであるように思える。

意志の獲得と言語及び宗教の成立

 人類の文明の始まり:人類の文明の始まりとは、ホモ・サピエンスが自己の意志を獲得して、彼らの肉体を非自動的に運動させ、自己の言語及び宗教を創造した時期である。

 人類の文明の始まりとは、ホモ・サピエンスが自己の意志を獲得して、彼らの肉体を非自動的に運動させ、自己の言語及び宗教を創造した時期である。宗教的には、言語や宗教を創造するためには、非自動的な運動が必要である。俺らが非自動的な運動を実行して、それを記録した時期が人類の文明の始まりである。

もし俺らの肉体が完全に自動的に運動するならば、俺らは自己の認識を獲得して、自己の善悪を創造して、自己の判断をその善悪に基づいて実行できないだろう。俺らはここにいる、俺らは意志を持っていることを証明するためには、俺らは自己の文明を創造して、それを自己の言語で記録する必要がある。自己の言語や宗教は意志の存在の証明の一つである。

シュメール人は独自の意志を発現させた結果、彼らは彼らの言語(文字)と文明を形成できたように思える。シュメール人の雄の人間性(創造性や意志、魂)が何であったのかは不明である。個人的には、俺はシュメール人の雄の父から受け継がれてきた人間性(創造性や意志、魂)がどの系統(J系統)であったのかを知りたいと感じた。

人類の文明の始まり未満

岡沢秋

 俺の認識:岡沢秋は21世紀の現在でも自己の人種や民族を認識していない、かつ自己の人種や民族に関する歴史をきちんと記録しようとしない。

だからシュメール人は、地球上に忽然と現われたわけじゃなくて、それ以前から存在してたけど「俺らシュメール人やねん」とアイデンティティを確立して、自分たちで記録を残し始めた時点で我々から見えるようになったっちゅーだけのことなんですわ。

https://55096962.at.webry.info/201604/article_16.html

 上記の電飛では、岡沢秋はシュメール人は大したことがないように書いている。けれども、俺はシュメール人の凄い点は彼らが自己の民族に対する自意識(自己認識)を獲得して、その自意識(自己認識)を表現し、さらにその認識を神話の形できちんと記録したことであるように思える。実際、岡沢は自己の人種や民族に対する自己の認識を未だ獲得していない。

 まず基本事項として、白人・黒人という人種的な差は存在しない。で、もう一度言うけれど、「白人」「黒人」という区別は差別用語としてはあるけれど学術用語としては存在しない。というか定義が出来ない。

https://55096962.at.webry.info/201712/article_18.html

岡沢は「白人・黒人という人種的な差は存在しない」と述べている。しかし、俺は「岡沢よ、君は人種や民族を “認識” していないのか」と質問する時、俺は岡沢は俺の質問に回答できないと予想する。なぜなら、岡沢は自己の人種や民族それ自体を認識していない。

現在でも、大和民族や朝鮮民族は自己の人種や民族を認識してないし、その認識を記録しようともしていない。彼らは「人種は科学的には存在しない」と宣言したり、ナチスやヒトラーや民族主義を持ち出して、人種や民族に対する認識や記録を妨害しようとする。

岡沢秋の文章を見ればわかるように、21世紀の現在でも、自己の人種や民族を認識してない個体が入り混じっている。そして、彼らはその状態を未開と感じないし、彼らは認識という人類の文明の始まりをナチやヒトラーと誤認識している。