日本語では、ofは〜のと翻訳される。けれども、この「の」は所有格と取り出しの意味を持つ。以下では、俺は「の」の意味を提示するつもりである。
取り出し
ある対象(object)が存在する。俺がその対象の存在や状態や運動を取り出すとき、俺はofを使用する。ofは存在をある対象から取り出すofと状態をある対象から取り出すofと運動をある対象から取り出すofを持つ。つまり、x of ○(対象)には、存在 of ○と状態of ○と運動 of ○が存在する。
形容詞の名詞化
a state of the objectは状態を対象から取り出す。例えば、the color of the objectは対象から色を取り出す。文では、the object is colored(形容詞)になる。be動詞を除去すると、the object colored(対象よ、色れ)。しばしば、俺はcolorを名字と解釈して、bule colorのように考える。
その他には、the element of the objectやthe shape of the objectsが存在する。前者はthe object is elemented(形容詞)である。後者はthe object is shaped(形容詞)である。おそらく、the number of the objectもここに所属する。俺の印象では、the numberは存在よりも(一般名詞の)状態に近い。
動詞の名詞化
a motion of the objectは運動を対象から取り出す。文では、the object move(動詞)になる。be動詞を除去すると、the object move(対象よ、動け)。例えば、the rotation of the objectは対象から回転運動を取り出す。文では、the object rotate(対象よ、回転せよ)になる。
状態(形容詞)の場合、対象がその形容詞を持っているように感じる。一方、運動(動詞)の場合、対象それ自体が運動しているように感じる。そこには、対象が運動を持っているという印象は存在しない。けれども、このofの解釈では、俺は運動は対象が持つ性質の一つである。
存在詞(所属詞、部品詞)の名詞化
the existence of objectは存在(所属)を対象から取り出す。existenceはinner existenceであるかもしれない。the part of the objectは対象に所属している部品(存在)を対象から取り出す。部品は対象に所属する。例えば、the part of a carは動力機関(engine)である。その機関は車に所属する。文では、the object part-in(対象よ、部品れ)になる。その機関の場合、the object engine-in(対象よ、機関れ)になる。言い換えを実行すると、対象よ、エンジンをもて。対象をエンジンをそれに所属させよ。
俺がある点たちの収集(collection)を考える。その後、入れ物を考えて、収集された点たちと入れ物を集合と対象として便宜的に呼ぶ。このとき、点それ自体が要素である。点はthe element of the object(set)と表現される。このofは状態のofである。the object elemented(対象よ、点的であれ)それに対して、部分はその対象の部品(存在)である。部分(部分集合)はthe part of the object(set)と表現される。このofは存在のofである。the object part-in(対象よ、部分れ)。
existenceは存在よりも所属に近いかもしれない。the object exist-in(対象よ、属れ).。存在詞は所属詞や部品詞と解釈される。俺は対象の要素(素材)を対象の状態と認識するが、対象の部分(部品)を対象の状態と認識しない。だから、俺は形容詞と別に部品詞を提示した。俺はある対象に所属する存在と取り出す。俺が家族を建物から取り出すとき、俺はthe family of the buildingという表現を使用する。俺が建物を建物から取り出すとき、俺はthe building of the buildingという表現を使用する。
所有格
次に、俺は所有格を提示する。一般的には、俺の車の「の」が所有格を表現する。英語では、my carやx’s carと表現される。
所有格
俺が所有格を考えるとき、俺は俺の肉体を考える。肉体はbodyであり、俺の肉体はmy bodyである。運転手と車が互いに異なり、運転手がその車を所有する。だから、その車は俺の車、my bodyになる。次に、俺はcar’s partという表現を考える。この場合、車はその部品を所有しているように見える。この表現はbody’s heartに近い。俺はこれらの表現を適切と認識していない。the part of the car やthe part of the bodyがより適切であるように見える。
上記が適切であるのは、carやbodyが部品に対して、運転手のようにメタ的(外部的)であり、俺がpart+part+part+…をcarと呼ぶといったときである。bodyも同様であり、俺がpart+part+part+…をbodyといったとき、the heart of the bodyという表現が適切である。つまり、object=part+part+part+…という形式であるとき、the part of objectという表現が適切である。carの場合、car=part+part+part+…であるので、the part of bodyという表現が適切である。
それに対して、所有格はpart+part+part+…の外部に存在する。運転手=部品+部品+…は成立しない。運転手は「車=部品+部品+…」を所有する。だから、運転手の車はmy carである。俺の肉体に関しても同様であり、俺=部品+部品+…は成立しない。俺は「肉体=部品+部品+…」を所有する。だから、俺の肉体はmy bodyである。遺伝子も同様で、the gene of the body.俺が所有する遺伝子はmy gene.
数
objectol=objectal+objectal+objectal+objectal+objectal=objectal+objectal+objectulを考える。このとき、右辺のobjectalは部分である。右辺のobjectulは部分である。だから、objectalやobjectulはthe objectal of objectolの形式で表現される。objectalはobjectol’s objectalの形式で表現されない。