能格言語(のうかくげんご、Ergative language)とは文法において、自動詞の主語(S)と他動詞の目的語(P)が同列に扱われ、他動詞の主語(A)だけが別の扱いを受けるという性質(能格性、ergativity)をもつ言語のこと[1]である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/能格言語
ここでは、俺は能格言語を定義することを目的とする。
1.0 能格言語
1.1(能格言語)
1.11(能格言語の定義)
能格言語は、自動詞の主語の格が他動詞の目的語の格に等しい、かつ他動詞の主語の格は自動詞の主語の格に等しくない言語である。
1.111(絶対格の定義)
絶対格は自動詞の主語及び他動詞の目的語を表す格である。
1.112(能格の定義)
能格は他動詞の主語を表す格である。
俺は膠着語における能格を考えてみる。例えば、「俺が 行く」と「俺は 彼女が 好き」が存在する。または、「俺が 行く」と「彼女は 俺が 好き」が存在する。この時、自動詞「行く」における主格「が」が他動詞「好き」における目的格「が」に等しい。
しかし、他動詞における主格は「が」でなく「は」である。つまり、上記の具体例は「自動詞の主語の格が他動詞の主語の格に等しい、かつ他動詞の主語の格は自動詞の主語の格に等しくない」である。従って、その例は能格言語である。
次に、俺は屈折語における能格を考えてみる。例えば、「I go」と「Ore like she」が存在する。なお、俺はOreを他動詞における主格、つまり能格と仮定した。一般的には、「I」や「she」は主格を表す単語であり、「me」や「her」は目的格を表す単語である。
この時、自動詞goの主語の格は他動詞likeの目的語の格に等しい。なぜなら、「I」や「she」は主格を表す。一方、他動詞likeにおける主語の格は「I」でなく「Ore」である。つまり、上記の具体例も「自動詞の主語の格が他動詞の主語の格に等しい、かつ他動詞の主語の格は自動詞の主語の格に等しくない」である。従って、その例は能格言語である。
1.2(能格言語の具体例)
1.21(中東)
シュメール語とフルリ・ウラルトゥ語族がある。
1.22(地中海)
バスク語がある。
1.23(アジア)
チベット・ビルマ語派とインド・アーリア語派とチュクチ・カムチャッカ語派がある。
1.24(アメリカ大陸)
マヤ語族とエスキモー・アレウト語族とトゥピ・グアラニー語族がある。
1.25(オセアニア)
アボリジニの言語がある。
シュメール人のY染色体ハプログループは不明であるが、J2やJ1、G、H、E1b1bであった可能性がある。フルリ・ウラルトゥ語族の話し手のY染色体ハプログループは不明であるが、J2やJ1、Gであった可能性がある。
バスク語の話し手のY染色体ハプログループは不明であるが、G2aやIであった可能性がある。
チベット・ビルマ語派の話し手のY染色体ハプログループはD1a1であった可能性がある。インド・アーリア語派の話し手はY染色体ハプログループはR1a、Hであった可能性がある。チュクチ・カムチャッカ語派の話し手はY染色体ハプログループC2であった可能性がある。
マヤ語族とエスキモー・アレウト語族とトゥピ・グアラニー語族の話し手のY染色体ハプログループはQ、C2であった可能性がある。
アボリジニの言語の話し手はC1b2bやKであった可能性がある。
2.0 能格言語の発生と思考の規範
2.1(思考の規範)
もしある主体が膠着語を持つ、かつ目的語を主語から明確に分離させないならば、その主体は能格言語を持つ。
俺の憶測では、サピエンスと呼ばれる個体は主語と目的語を区別しない。なぜなら、彼らは何が何に作用しているのかを正確に認識していない。だから、目的語と主語が同じ格を持つ。
しかし、「俺が彼女が好き」のような例では、順序を指定しないならば、何が主語であるのかが不明である。そこで、その主体が「俺が」の「が」を別な要素に置き換えた。この時、他動詞の主語が自動詞の主語に等しくなくなるので、能格言語が発生する。
ここで、もしある主体が目的語を正確に認識するならば、その主体は目的語の格を与える。俺の憶測では、能格言語は主語と目的の区別が未分化であった時代の名残であるように思える。日本語では、誰かが別の誰かを好きになる時、日本語話者は主語と目的語を区別していない。文字通り、恋は盲目であるのだろう。