金子生弥は非常に若いのにも関わらず、彼はカルテックの博士号を取得する道に乗っているらしい。周りの日本人は金子生弥を天才と持ち上げたり、彼の若年の才能に嫉妬したりしているように見える。しかし、俺がこの種の東洋人の天才を見るとき、俺は強烈な違和感を覚える。
以下では、俺は金子生弥に対する俺の違和感を提示する。なお、俺は金子生弥に対して完全に部外者であり、彼の行為や人生を妨害するつもりはない。俺はこの種の東洋人の早熟な天才が日本人のノリや雰囲気で持ち上げられるとき、俺は強烈な違和感を覚える。
さらに悪い事に、大和民族の学者は多神教のために、金子生弥を天才を超えて神様として崇拝し始める。大和民族は岡潔のような数学者だけでなく、病人も障害者もオタサーの姫もなんでも崇拝し始めるので、外部から見ると、異様な民族に見える。大和民族は物事を崇拝するばかりで、物事を正確に分析できないし、分析を実行すると、彼らは不機嫌になったり、皮肉?をいったり、騒いで喚いたりする。
金子生弥に対する俺の認識
俺の認識
金子生弥に対する俺の認識:たとえ金子生弥がリーマン予想と解決するとしても、俺は金子生弥を天才と認識しないだろう。
たとえ金子生弥がリーマン予想と解決するとしても、俺は金子生弥を天才と認識しないだろう。その時、俺は金子生弥を非常に高い才能を持った数学者と認識するだろう。現在では、数学ができる人々が天才と呼ばれてきた。けれども、天才に対するこの認識は正常であるのだろうか?
大和民族はガリレオやニュートンやアインシュタインを天才と感じてきた。なぜなら、白人がガリレオやニュートンやアインシュタインを天才であるいったからである。しかし、俺の認識では、ガリレオやニュートンやアインシュタインは自己の文明の創造に貢献したので、彼らは天才として認識される。
古代ギリシア人は地中海人であると感じるが、近代以降の欧州人は自己のロゴス(推理の西洋的な方法)を持ち、自己の実験(科学実験)を持ち、そして自己の言語や自己の数学的な記号(インテグラルなど)を持ってきた。結局、アインシュタインは少し毛色が異なるが、ガリレオやニュートンが天才扱いされてきたのは、欧州人が自己の科学文明(科学に関する社会システム)を創造してきたからである。
金子生弥やテレンス・タオの優秀さはこの種の自己の文明を創造する能力でない。金子生弥やテレンス・タオは白人がお授けになった社会システムの優秀な選手でしかないように見える。金子生弥やテレンス・タオの優秀さは西アフリカ人の運動選手の優秀さに似ている。西アフリカ人の運動選手も選手としては非常に優秀であるが、白人に完全に主導権を握られたままである。
金子生弥は天才か?
金子生弥に対する俺の認識:もし金子生弥が自己の社会や自己の文明を形成することができないならば、俺は金子生弥を天才と認識しない。
もし金子生弥が(彼が所属する)自己の社会システムや自己の文明を形成できないならば、金子生弥は天才でない。俺は金子生弥が西洋文明に所属しているのか、東洋文明に所属しているのかすら審判できない。俺の印象では、金子生弥は、大栗博司などと同様に、彼は自己や文明それ自体を認識できないように見える。
だからこそ、この種の自称天才は「数学は人類の言語である」などと寝ぼけた発言を繰り返す。彼らは文明が何であるかを認識できないので、彼らは数学的な記号が欧州人の産物であることすら認識できない。金子生弥も大栗博司も天才であるらしいが、彼らは東洋文明における独自の数学的な記号や数字すら創造しようとしていないように見える。
彼らは欧州人に完全に言語的な主導権(英語を含む)を握られているが、彼らはその状態すら認識できない。自己の言語や自己の記号で学問できないならば、国家も文明も不要であるだろう。彼らは学問をするために、自己の言語や自己の数学記号を整備しようという発想すら持っていない。
東洋人の自称天才は自己の人間社会を形成する意思を持っていないように見える。東洋人の自称天才は「自分は受験勉強さえしてれば良い」というキモオタの最強版であるように感じる。この種のキモオタはサッカーの授業中に立ちんぼするが、他人の競技の成績を欲しがり、その恩恵を受けようとする。
カタカナ用語や日本国の景観
金子生弥に対する俺の認識:もし金子生弥が自己の言語や自己の景観を形成することができないならば、俺は金子生弥を天才と認識しない。
たとえ金子生弥がリーマン予想を解決するとしても、現在の日本国に氾濫するカタカナ用語に関する問題は解決しないだろう。それだけでなく、明治維新の後の日本国の醜い景観もまた醜いままである。一方、西洋人の言語は非常に整備されていて、かつ景観も素晴らしい。
大和民族の天才や神童を見ると、俺らは彼らが本当にリーマン予想を白人の真似をして解決する必要があるのかと疑う。科学や数学の前に自己の人間社会をきちんと形成していくことがより重要であると感じる。たとえ金子生弥がリーマン予想を解決するとしても、もし金子生弥が自己の言語や自己の名前、そして自己の漢字を失ったならば、その時、その解決は本当に意味があるのだろうか?
金子生弥の天才性は「インターネット」や「エリート」というカタカナ用語ですら日本語に直すことができないように見える。俺が違和感を覚えるのは、金子生弥がその能力を持っていないのでなく、金子生弥がそもそも自己の言語を認識して、自己の言語を彼自身で作っていくという発想をそもそも持っていないように見える。大和民族の天才の奇妙さは彼らが自己の社会や自己の言語それ自体を認識できないように見えることである。
なぜ金子生弥は天才でないか?〜日常編〜
モンゴロイド人種の社会的な地位
モンゴロイド人種の社会的な地位:金子生弥は世界及び北米におけるモンゴロイド人種の社会的な地位を上昇させることができない。
金子生弥は世界及び北米におけるモンゴロイド人種の社会的な地位を上昇させることができない。現代では、科学や数学ができる人々が天才であると見なされてきた。けれども、たとえ金子生弥がリーマン予想を解決するとしても、金子生弥の周りの美男美女の白人様に褒められて良い気持ちになるだけであり、モンゴロイド人種の社会的な地位は永遠に上昇しないだろう。
結局、東洋人が科学や数学に熱中するのは、自己の人種(モンゴロイド人種)からの現実逃避である。たとえ俺らが科学や数学を極めるとしても、俺らは自己の人間社会を形成する能力を持たない。その結果、俺らは白人に作ってもらった社会(運動競技)の中で競技して、良い成績を取るだけである。
たとえ金子生弥が科学や数学に長けていたとしても、モンゴロイド人種が殴られ続けられるならば、その時、金子生弥の天才性などは一般人にとって不要である。なぜなら、俺らは科学や数学ができることよりも人種的に侮辱されないことを優先とする。「金子生弥の数学はやがて人類の役に立つだろう」と言った種類の発言は惨めな有色人の現実逃避でしかない。
認識能力の欠如
認識能力の欠如:金子生弥は非常に高い数理能力を持つが、彼は現実に対する高い認識能力を持たない。
金子生弥は非常に高い数理能力を持つが、彼は現実に対する高い認識能力を持たない。例えば、俺の認識では、アメリカ大陸の現在の状態は大航海時代から始まる近代における白人至上主義の継続である。第二次世界大戦の後、東南アジアやアフリカの植民地(搾取地や奴隷地)は西側白人国家から独立した。
けれども、アメリカ大陸やオセアニアでは、現在でも欧州人が国家の統治者を継続して担ってきた。俺の認識では、アメリカ大陸における現在の状態は東南アジアやアフリカの植民地(搾取地や奴隷地)の状態に等しく、植民地から独立していない状態である。にも関わらず、金子生弥はその状態をうまく認識していないように見える。
さらに悪いことに、金子生弥はアメリカへの留学にある種の希望を持っているようにすら見える。この種の思考は明確な植民地エリートの思考であり、天才の思考でない。下記の引用はリー・クワンユーの発言であり、彼は政治の天才であると指摘されてきた。俺が金子生弥のような天才数学少年を見る時、俺はリー・クワンユーの発言をいつも思い出す。
我々には白人に対する恨みなどの問題はまったくなかった。政府や社会における英国人の優越的な地位は単なる世の中の事実だったにすぎない。英国人は結局のところ世界で最も偉大な人たちだったのである。彼らは史上最大の帝国を築き上げ、領土は四つの海と五つの大陸にまたがっていた。我々はこれを学校で歴史の授業で学んだ。英国人はシンガポールを統治するために定期的に交代する数百人の兵士を配備するだけで十分だった。(P33) 私は両親や祖父から英国の優越性を前提にした社会を自然のこととして受け入れるような教育を受けて育った。私の記憶では、言葉であろうと行勤であろうと、白人の優越性に疑問を差しはさんだ現地人はいない。英語による教育を受けたアジア人で、英国人と平等の地位を求めて、敢然と闘う人はいなかった。
http://yu77799.g1.xrea.com/worldwar2/malayasingapore/Leekuanyew.html
自己の社会の形成能力
自己の社会の形成能力:金子生弥は自己の社会(ソサエティ)を形成する能力を持っていない。
金子生弥は自己の社会(ソサエティ)を形成する能力を持っていない。上記でも述べたが、金子生弥は自己の言語や自己の景観を彼自身で形成できない。日本語はカタカナ用語によって崩壊していて、日本国の景観も本当にぐちゃぐちゃである。
けれども、金子生弥を含むこの種の天才は自己の言語や自己の景観すら彼ら自身で形成できない。個人的には、数学や科学はテクノロジーに関係していて、そのテクノロジーはソサエティを拡張する。けれども、この種の天才はソサエティそれ自体を形成できないので、たとえ金子生弥が数学を極めるとしても、拡張すべきソサエティそれ自体はない。
実際、金子生弥は自己の言語や自己の景観だけでなく、自己の文字や自己の善悪(レッドカード)や自己の統治制度(民主主義でない)、そして自己の肉体のデザインすら作れない。金子生弥を含む大和民族の天才は人工的な自己それ自体を形成できないので、彼らは白人と文明的に対峙できない。当然、白人と対峙して意思疎通もできない。だから、たとえ金子生弥がリーマン予想を解くとしても、その行為それ自体が不要に見える。
朝日新聞の記事
広域通信制のつくば開成高校から、世界ランキング上位の米国カリフォルニア工科大学大学院に飛び級合格し、今秋から入学する金子生弥さん(18)。中学2年のある朝起きたら、急に数学を学びたくなり、英語も独学で身につけ、数学研究の世界へ飛び込んだ。
中学2年の夏、朝起きたら突然、数学を学びたくなり、茨城県つくば市の自宅近くの本屋に出かけた。小説「数学ガール」シリーズを全巻読んだが簡単すぎて、古典的な数論の入門書を読破した。
https://www.asahi.com/articles/ASP6W4TWGP6CULZU00Z.html
上記は朝日新聞の記事である。俺は飛び級に個人的に賛成する。しかし、もし人々が上記の記事を賛美するならば、上記の記事には問題が存在する。第一に、アメリカ大陸はイヌイットやアメリカ先住民の自然な生息地である。欧州人が彼らの国家をそこに建国して、大学を作り、モンゴロイド人種である金子生弥を飛び級で招いている。本来であれば、アメリカ先住民やイヌイットが金子生弥を招くべきであり、アメリカ大陸の欧州人が招いている状態それ自体は非常に不自然であり、おかしい。
金子生弥を含む大和民族はこの状況を何かおかしいと感じないらしい。俺が金子生弥やその他の大和民族の科学者や数学者を天才と感じないのは、アメリカ大陸における現在の状況がアフリカ分割のような白人帝国主義の継続であると認識できないからである。たとえ金子生弥がリーマン予想を解決するとしても、もし俺らが俺らの自然な生息地でアメリカ先住民やイヌイットの状況に置かれるならば、俺らはその状況をより悪いと判断するだろう。
アメリカへの留学に感する大和民族の記事のほとんどは狂っている。なぜなら、誰もアメリカ大陸におけるモンゴロイド人種(アメリカ先住民やイヌイット)の同胞ことをこれっぽちも考えていない。大和民族は彼らの能力をアメリカ大陸の上の欧州人に認められて、美男美女の欧州人の仲間入りを果たした白人気分になり、無邪気に喜んでいる。