楊尚眞(ヤン・サンジン)と弘前学院大学〜神道政治連盟国会議員懇談会と同性愛は精神障害で依存症〜

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今月、自民党議員の大多数が参加する議員連盟の会合で、ある冊子が配られた。そこには「同性愛は精神障害で依存症」など、性的マイノリティに関する差別的な内容が書き連ねられていた。

「同性愛は心の中の問題であり、先天的なものではなく後天的な精神の障害、または依存症です」「(同性愛などは)回復治療や宗教的信仰によって変化する」「世界には同性愛や性同一性障害から脱した多くの元LGBTの人たちがいる」「LGBTの自殺率が高いのは、社会の差別が原因ではなく、LGBTの人自身の悩みが自殺につながる」「性的少数者のライフスタイルが正当化されるべきでないのは、家庭と社会を崩壊させる社会問題だから」

性的マイノリティの権利保障が一向に進まない日本。その背景には、政権与党である自民党が、同性愛嫌悪やトランスジェンダー嫌悪、性的マイノリティに対して差別的な認識を持つ「宗教」組織によって支えられている実態がある。

https://news.yahoo.co.jp/byline/matsuokasoshi/20220629-00303189

 以下では、俺は上記の文章に対する大和民族の問題点を提示するつもりである。不思議なことに、なぜか自民党や神道が侮辱されているが、発言者はキリスト教徒の朝鮮民族である。なお、俺は著者の松岡自身もキリスト教徒でないのかと勘ぐる。

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問題点

 俺系統の認識1.1 楊尚眞の発言の応答義務は楊尚眞と西欧キリスト教徒にある。

 楊尚眞の発言はキリスト教系統の性規範に沿った考えである。にも関わらず、なぜか神道や自民党が批判されている。自民党も神道もキリスト教でないので、彼らはキリスト教系統の性規範を持っていない。

一部では、楊尚眞の発言に関して、神道政治連盟や自民党が叩かれている。しかし、この行為は自民党や神道に対する単なる宗教的な侮辱である。酷い場合、キリスト教徒が神道を宗教的に侮辱しているが、「お前がいうな」案件である。

さらに、楊尚眞は朝鮮民族の韓国国民である。だから、大和民族がキリスト教徒の朝鮮民族の韓国国民の行為の応答義務を果たす必要はない。

 俺系統の認識1.2 大和民族は宗教それ自体を認識していない。

 言い換えると、大和民族は宗教を認識していないので、彼らは宗教が異なると性に対する態度も異なることを認識することができない。だからこそ、大和民族は楊尚眞の発言を見て、「キリスト教っぽい」と認識することができない。

そして、大和民族は「同性愛」や「LGBT」、「トランスジェンダー」それ自体がキリスト教やユダヤ教系統の性であることすら認識することができない。「同性愛」や「LGBT」、「トランスジェンダー」もキリスト教系統の性的な存在であり、「同性愛は精神障害である」という発言もまたキリスト教系統の性である。

もし大和民族がキリスト教徒でないならば、彼らは「同性愛」や「LGBT」、「トランスジェンダー」にも、「同性愛は精神障害である」という発言にも反対するはずである。しかし、彼らはキリスト教徒でないのにも関わらず、彼らは「LGBT」に賛成したり、キリスト教系統の性的な存在を擁護したりしている。

 俺系統の認識1.3 大和民族は宗教に関して社会的に怠惰であり、本当にだらしない。

 言い換えると、大和民族は宗教の違いをはっきりと認識していない。そのため、彼らはキリスト教と神道とユダヤ教とイスラム教をごちゃごちゃに混ぜる。実際、俺はなぜキリスト教徒が神道政治連盟に呼ばれたのかを理解できない。

宗教的な境界それ自体が曖昧であるので、キリスト教徒の行為の応答義務が神道の大和民族に押し付けられたりする。また、大和民族は自己の宗教を誤魔化して、隠蔽して、自己の宗教を表現しない。その結果、責任(応答義務)の所在が誤魔化される。

実際、松岡宗嗣は彼自身の宗教を明らかにしないのに、彼はキリスト教的な存在「LGBT」について語って来た。これは卑怯であるが、彼はその卑怯を認識することができない。また、もし彼がキリスト教徒であるならば、上記の発言に関して、神道を侮辱するのは本当に卑怯である。

思考の規範

 俺系統の思考の規範2.1 もしある主体がx教系統の行為を実行するならば、x教徒がその行為に関する応答義務を負う。

 xをキリストと置く。この時、もしある主体がキリスト教系統の行為を実行するならば、キリスト教徒がその行為に関する応答義務を負う。

今回の場合、楊尚眞はキリスト教徒である。そして、俺は彼の発言を「キリスト教系統の行為」と認識した。この時、もし楊尚眞がキリスト教系統の行為を実行するならば、キリスト教徒がその行為に関する応答義務を負う。従って、今回の発言の責任はキリスト教徒、正確には西欧キリスト教徒にある。

悪質な例

 上記が非常に悪質な例である。ロバート・キャンベルは楊尚眞がキリスト教徒であるのを知っているのにも関わらず、彼は「神道政治連盟」という単語を使用して、楊尚眞の発言の応答義務を「神道」であるかのように匂わせている。言い換えると、彼は神道がキリスト教系統の性的な存在の差別主義者であることを匂わせている。さらに、彼は楊尚眞がキリスト教徒であることにも言及していない。

おそらく、ロバート・キャンベルはキリスト教徒カトリック派のアイルランド人のアメリカ国民である。そして、彼は神道や仏教や儒教を宗教的に憎悪している。だからこそ、彼はキリスト教徒の行為を異教徒に押し付けて、叩こうとしている。彼の行為は本当に卑怯であり、悪質である。ロバート・キャンベルは非常に強い悪意憎悪を持って、彼は上記の発言を呟いているように思える。

本来であれば、ロバート・キャンベルは「キリスト教徒には、この種の考えを持っている人間が存在する。同じキリスト教徒として本当に残念である」と述べる必要がある。しかし、彼はキリスト教徒や過去のキリスト教徒の行為を全く無関係なモンゴロイド人に押し付けて、彼はそれを叩き、安心感を覚えようとする。上記では、ロバート・キャンベルは「同性愛は依存症であり、治療しろ」といったのが神道や自民党であるかのように誤解させている。けれども、その発言者はキャンベルと同じキリスト教徒である。

結局、ロバート・キャンベルはこの種の侮辱的な発言を実行するのは、大和民族は彼自身の宗教をきちんと明らかにせずに、宗教や宗教的な違いに無頓着であるからである。彼らは他者との違いや宗教的な違い、そしてそれらの違いに伴う他者との対峙に不安を覚える。だから、彼らはその不安から逃避して来た。その結果、キリスト教との境界が曖昧になり、彼らはキリスト教徒の行為の責任を押し付けられるようになって来た。

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