新儒教(1.1.1版)〜6章 性〜

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新儒教(1.1.1版)〜5章 善悪〜
以下では、人間界の創造主は儒教系統の善悪を提示する。一般的に、宗教が異なると、善悪が互いに異なる。例えば、キリスト教では、平等が善であるが、儒教では、平等は善でない。宗教を運動競技と例えると、日常的にも、サッカーのレッドカードはバスケのレッドカードと異なる。例えば、サッカーでは、ボールを持つことは悪であるが、バスケでは、その行為は悪でない。また、政治的な善悪では、西欧白人が統治者をアメリカ大陸で担い、アメリカ大陸の資源を所有して、利益を獲得していることが存在する。また、彼らが原爆をアメリカ大陸から投下して、大和民族と呼ばれる多くのモンゴロイド人種を虐殺したことが存在する。これらの善悪を判断するためには、ある種の主体が善悪の基準を創造する必要がある。ここでは、彼は儒教系統の善悪を提示する。1節 儒教系統の善悪【正しさに関する原初的な状態】彼は正しさに関する原初的な状態を次のように認識する。(1)サピエンスと呼ばれる個体は知覚した対象を正しいと感じる。(2)サピエンスと呼ばれる個体は把握した対象を正しいと感じる。言い換えると、その個体は見たものや聞いたものや感じたものを正しいと感じる。だか...

以下では、人間界の創造主は儒教系統の性を提示する。一般的に、宗教が異なると、性のあり方や性に対する認識や信仰が異なってきた。例えば、サウジアラビアを西欧と比較するとわかるように、イスラム教における性とキリスト教における性と仏教における性は互いに異なっている。また、西欧におけるLGBTは東洋における男色と異なっている。以下では、彼は儒教系統の性を提示する。

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1節 儒教系統の性

【動物的な性と人工的な性】
彼は性を次のように認識する、信仰する。

(1)動物的な性と人間的な性が存在する。

動物的な性には、サピエンスの雌と雄が存在する。人間的な性には、女と男が存在する。例えば、雄らしさは筋肉や男性ホルモンである。しかし、その雄らしさは男らしさと異なる。何が女

らしいか、何が男らしいかは宗教や文明によって異なる。

(2)動物の雌と動物の雄が存在する。
(3)x教系統の女とx教系統の男が存在する。
(4)x教系統の性が存在する。

彼は動物の雌と動物の雄を認識する。彼はx教系統の女とx教系統の男を信仰する。彼は動物的な性を認識する。彼は人間的な性を信仰する。x教系統の性には、キリスト教系統の性やイスラム教系統の性やユダヤ教系統の性、ヒンドゥー教系統の性や仏教系統の性が存在す流。

【儒教系統の性】
彼は儒教系統の性を次のように信仰する。

(1)儒教系統の性は儒教徒が信仰する性である。
(2)儒教系統の男はサピエンスの雄と儒教系統の男の組みである。
(3)儒教系統の女はサピエンスの雌と儒教系統の女の組みである。
(4)儒教系統の性は動物的な性と儒教系統の性の組みである。

上記を区別する時、彼は儒教系統の男=(サピエンスの雄、儒教系統の男性)と表示する。彼は儒教系統の女=(サピエンスの雌、儒教系統の女性)と表示する。なお、基本的には、サピエンスはモンゴロイド人種である。

【性に対する認識】
彼は性に対する認識を次のように認識する。

(1)サピエンスの雌はサピエンスの雄と異なる。
(2)サピエンスの雌とサピエンスの雄は互いに平等でない。

彼は儒教系統の性を次のように信仰する。

(3)儒教系統の男は儒教系統の女と異なる。
儒教系統の男と儒教系統の女は互いに平等でない。

なお、西欧文明では、キリスト教系統の男とキリスト教系統の女は互いに平等である。

【男女自立】
彼は男女の自立に関して次のように信仰する。

(1)もしある主体が儒教徒であるならば、その主体は儒教系統の男性と儒教系統の女性は大局的に自立させる。
(2)もしあるx教系統の性が大局的に自立しないならば、その性は大局的に自立する性に従う。

例えば、儒教系統の女性は自己の組織や自己の社会、自己の国家を彼女ら自身で形成する。なお、(2)に関して、もしある主体が儒教徒であるならば、をつけても良いかもしれない。

【性の区別】
彼は性の区別を次のように信仰する。

(1)もしある主体が儒教徒であるならば、その主体は雌と雄を区別する。
(2)もしある主体が儒教徒であるならば、その主体は雌と雄をより分岐させる。
(3)もしある主体が儒教徒であるならば、その主体は儒教系統の男性と儒教系統の女性を区別する。
(4)もしある主体が儒教徒であるならば、その主体は儒教系統の男性と儒教系統の女性をより分岐させる。

【性の区別の具体例】
彼は性の区別の具体例を提示する。

(1)儒教系統の男性の目的と儒教系統の女性の目的が存在する。
(2)儒教系統の男性の世界観と儒教系統の女性の世界観が存在する。
(3)儒教系統の男性の人間と儒教系統の女性の人間が存在する。
(4)儒教系統の男性の自己と儒教系統の女性の自己が存在する。
(5)儒教系統の男性の善悪と儒教系統の女性の善悪が存在する。

その他には、次がある。

(6)儒教系統の男性の認識と儒教系統の女性の認識が存在する。
(7)儒教系統の男性の判断と儒教系統の女性の判断が存在する。
(8)儒教系統の男性のxと儒教系統の女性のxが存在する

xには、国家や国籍、言語や文字が含まれる。

【儒教系統の女性】
彼は儒教系統の女性を次のように信仰する。

(1)もしある主体が儒教系統の女性であるならば、その主体は儒教系統の女性を彼女自身で創造する。

上記の創造するは形成するであるかもしれない。

【男女の関係】
彼は男女の関係を次のように信仰する。

(1)男女の関係は信頼によって形成される。

正確には、男女の関係は性に関する信頼によって形成される。性に関する信頼は性的信頼であるかもしれない。男女の関係は愛でない。西欧キリスト教では、男女の関係には、愛が存在する。愛が男女の関係を特徴付ける。

【意識の性と主体の性】
彼は意識の性と主体の性を次のように信仰する、または仮定する。

(1)もし意識aが肉体aに対応するならば、意識の性が存在する。
(2)もし主体aが肉体aに対応するならば、主体の性が存在する。

この時、雌の意識と雄の意識が存在する。雌の主体と雄の主体が存在する。

【性の内面と外面】
彼は性の内面と外面を次のように信仰する。

(1)もし意識aが肉体aに対応するならば、意識aの性は肉体aの性に対応する。
(2)もし主体aが肉体aに対応するならば、主体aの性は肉体aの性に対応する。

上記では、彼は性を意識と主体に導入した。上記の意識の性と主体の性はサピエンスの性に対応する。なお、上記は正確には、もしある主体が意識aが肉体aに対応するを信仰するならば、である。同様に、もしある主体が主体aが肉体aに対応するならば、である。

【性欲とその管理】
彼は性欲とその管理を次のように信仰する。

(1)もしある主体が儒教徒であるならば、その主体は性欲それ自体を悪いと判断しない。
(2)もしある主体が儒教徒であるならば、その主体はその主体自身が性欲それ自体を管理する、かつ統治することを善と判断する。

特に、彼は人間的な性欲を悪いと判断しない。彼は儒教系統の性欲を仮定する。

【性の主義化】
彼は性と主義を次のように認識する、信仰する。

(1)性は主義でない。
(2)性は生物的な事実とそれに対する認識の組みである。

日常的には、性は生物的な事実である。なお、上記は儒教系統の性でもある。

【性の変更と選択】
彼は性の変更と選択を次のように信仰する。

(1)もしある主体が儒教徒であるならば、その主体は儒教系統の性を短期的には変更することができない。
(2)性は選択される何かでない。

サピエンスの性、つまり動物的な性は短期的には変えられない。少なくとも、数万年から数百万年が必要であるように思える。それに対して、人間的な性の方はより短期的である。

【権限】
彼は性の設計や創造に関する権限を次のように認識する、かつ決定する。

(1)設計者のみがx教系統の性を創造する。
(2)設計者のみがx教系統の性を決定する。
(3)設計者のみがx教系統の性を信仰者に授ける。

上記の設計者は創造者でもある。

2節 儒教系統の男性

【儒教系統の男性】
彼は儒教系統の男性を次のように信仰する。

(1)弱男性と強男性が存在する。
(2)弱男性と強男性は1と0でなく、連続的である。

彼は儒教系統の男性を弱男性と強男性に分類する。

【雄性】
彼は儒教におけるサピエンスの雄を次のように認識する、または信仰する。

(1)雄は筋肉を持つ。
(2)雄は頑丈な骨格を持つ。
(3)雄は適度な男性ホルモンを持つ。

その他には、空間把握能力などが存在するように思える。

【被害者ぶる】
彼は被害者ぶるを次のように信仰する。

(1)もしある主体が被害者ぶるならば、その主体は儒教系統の男性でない。
(2)被害者ぶることは女々しい。

【善悪と認識】
彼は善悪及び認識と儒教系統の男性を次のように信仰する。

(1)もしある主体が儒教系統の男性であるならば、その主体は対象や現象を儒教系統の善悪で判断する。
(2)もしある主体が儒教系統の男性であるならば、その主体は対象や現象を儒教系統の認識で認識する。

【強男性】
彼は強男性を次のように信仰する。

(1)もしある主体が強男性であるならば、その主体は自己を創造する。
(2)もしある主体が強男性であるならば、その主体は何かを創造する。

強男性は創造主である。上記は宗教的である。

(3)もしある主体が強男性であるならば、その主体は他者と対峙する。
(4)もしある主体が強男性であるならば、その主体は自己を持っている。

正確には、その主体は他者と社会的に宗教的に国家的に文明的に対峙する。上記は日常的である。強男性は他者と対峙する。そして、強男性は他者と対峙するための自己を持っている。

(5)もしある主体が強男性であるならば、その主体は生存競争に強い。
(6)もしある主体が強男性であるならば、その主体は強力な社会を形成する。
(7)もしある主体が強男性であるならば、その主体は対象を統治する。

【強男性2】
彼は強男性を次のように信仰する。

(1)もしある主体が強男性であるならば、その主体は人種及び民族、部族に厳格である。
(2)もしある主体が強男性であるならば、その主体は性に厳格である。
(3)もしある主体が強男性であるならば、その主体は宗教及び社会、国家、文明に厳格である。

強男性でない主体は人種や民族や部族に関してデタラメである。例えば、彼らは日本人や中国人という単語を大和民族とも日本国民とも取れる意味で使用する。また、その種の主体はスペイン系フィリピン人や「私の白人夫とハーフの子供を日本人としてほしい」みたいな電波を発してくる。

【弱男性】
彼は弱男性を次のように信仰する。

(1)もしある主体が弱男性であるならば、その主体は戦争に強い。
(2)もしある主体が弱男性であるならば、その主体は高度なテクノロジーを持つ。

上記は西欧白人である。

(3)もしある主体が弱男性であるならば、その主体は競争的である。
(4)もしある主体が弱男性であるならば、その主体は仕事ができる。
(5)もしある主体が弱男性であるならば、その主体は富裕である。

【弱男性と職業】
彼は弱男性と職業を次のように信仰する。

(1)次のxは強男性でない。
(2)次のxは弱男性である可能性がある。

xには、軍人や商人、学者や教師、医者や弁護士、報道関係者が存在する。ただし、軍人は商人よりも対峙的であるので、軍人は比較的にはより弱男性でない。

(3)もしある主体の職業が媒介であるならば、その主体は強男性でない。

例えば、媒介的な職業には、学者や教師、医者や弁護士、報道関係者、金融関係者が存在する。媒介的な職業は依存者である。

【西欧白人に対する認識】
彼はキリスト及びユダヤ教系統の西欧白人男性を次のように認識する。

(1)キリスト及びユダヤ教系統の西欧白人男性は強男性でない。
(2)キリスト及びユダヤ教系統の西欧白人男性は弱男性である。

彼らは被害者ぶる。彼らは彼ら自身を被害者において、相手を加害者に仕立て上げて、糾弾する。さらに、彼らは異常に攻撃的である。この種の性質は男性的でなく、どこか女々しい。ただし、彼らはサピエンスの雄的である。彼らは戦争に強いが、生存競争に弱い可能性がある。言い換えると、彼らは脆い。

【中東人に対する認識】
彼はイスラム教系統の中東人男性を次のように認識する。

(1)イスラム教系統の中東人男性は強男性である可能性がある。

彼らは生存競争に強い可能性がある。また、メソポタミアあたりの中東人はあまり被害者ぶらない。

【敵味方】
彼は敵味方を次のように信仰する。

(1)もしある主体が強男性であるならば、その主体は敵と味方を正しく認識する。

弱男性は敵と味方を認識することができない場合がある。

【意志と力】
彼は意志と力を次のように信仰する。

(1)儒教徒の男性系統の意志が存在する。
(2)儒教徒の男性系統の力が存在する。
(3)儒教徒の男性系統の主体が存在する。

主体は力の原因やその原因となる存在である。儒教徒の男性系統の主体が儒教徒の男性系統の意志という状態を生み出す。その後、その主体は儒教徒の男性系統の力を実行する。存在→状態→力という流れが存在する。これは上記の性の区別の具体例に依存する。

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