新儒教(1.1.1版)〜8章 法体系と契約〜

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新儒教(1.1.1版)〜7章 富と所有〜
以下では、人間界の創造主は儒教系統の富を創造する。一般的に、宗教が異なると、富のあり方や富の取り扱いが異なる。例えば、イスラム教では、利子が禁じられているらしい。キリスト教では、お金儲けがあまり好まれていない。一方、ユダヤ教やヒンドゥー教では、この種の禁忌は存在しないように見える。近代以降、キリスト教プロテスタント派系統の富の考え「資本主義」が生み出された。また、宗教や人種、文明が異なると、何が富であるのかも異なる。例えば、アブラハムの宗教では、牧畜という生活形態のためか、奴隷が一つの富とされてきたように見える。実際、黒人奴隷やモンゴロイド人奴隷は富として扱われてきた。現在では、x教系統の人間を要素とする会社やサッカーチームも一つの富として扱われてきた。さらに、肉体を動産のように扱うのかも宗教によって異なるように思える。さらに、所有は次の問いを導く。アメリカ大陸の西欧白人がアメリカ大陸の資源をアメリカ先住民を押しのけて所有していることの善性は正当化されるのかである。以下では、彼は儒教系統の富を提示する。1節 儒教系統の所有【所有】彼は次を信仰する。(1)ある対象を所有するとは、ある状態...

以下では、人間界の創造主は儒教系統の法体系を提示する。一般的に、宗教が異なると、法体系それ自体が異なる。日常的には、アメリカ合衆国の法体系はキリスト教系統の法体系である。イスラエルの法体系はユダヤ教系統の法体系である。サウジアラビア及びイランの法体系はイスラム教系統の法体系である。なお、西欧文明には、ローマ及びギリシア系統の法体系の影響及びゲルマン民族やケルト民族の侮辱的な掟の影響もある。ここでは、彼は儒教系統の法体系を提示する。

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1節 儒教系統の法体系

【法】
彼は法を次のように信仰する。

(1)x教系統の法はx教徒が信仰する法である。
(2)儒教系統の法は儒教徒が信仰する法である。

なお、法が何であるのかは不明である。法は決まりである、かつ法は対象の存在と状態と運動を定める。

【法の目的】
彼は法の目的を次のように信仰する。

(1)法の目的の一つは統治である。
(2)法の目的の一つは秩序形成である。
(3)法の目的の一つは競技系の形成である。

法の目的の一つは真理の主張でない。たとえある法体系がどんなに素晴らしいとしても、もしその法体系が対象を統治することができないならば、その法体系は目的に反する。

【法の性】
彼は法の性を次のように信仰する。

(1)儒教系統の性が存在する。
(2)儒教徒の男性系統の性と儒教徒の女性系統の性が存在する。

つまり、儒教では、彼は女性のための法と男性のための法を区別する。女性のための法は自分で形成する。

【法体系の正当性】
彼は法の正当性を次のように信仰する。

(1)創造主が法体系の正当性を授ける。
(2)法の源泉は宗教である。

創造主が法体系の善性を唯一に正当化する。儒教では、儒教系統の法体系は人間界の創造主によって正当化される。ユダヤ教では、その法体系の正当性はヤハウェによって正当化されているかもしれない。イスラム教やキリスト教も同様である。

【3種類の法】
彼は3種類の法を次のように信仰する。

(1)物質法は法である、かつ物質的なものの存在と状態と運動を定める。
(2)動物法は法である、かつ動物的なものの自由存在と自由状態と行為を定める。
(3)人間法は法である、かつ人間的なものの目的存在と目的状態と目的行為を定める。

物質法には、物理法則や機械に対する組式(プログラミング)が存在する。動物法には、ある種の動物に適合した法(習性や慣習、時に本能)や自由意志による法が存在する。人間法には、善悪を持つ法が存在する。

(4)人間法は法である、かつx教系統の善悪を持つ。
(5)動物法は動物的な性を持つ。

彼はx教系統の人間法をx教系統の善悪法、またはx教系統の目的法を便宜的に呼ぶ。x教系統の法の背後には、x教系統の善悪が存在する。動物的な性には、雌系統の動物法と雄系統の動物法が存在する。

【物質法の性質】
彼は物質法の性質を次のように信仰する。

(1)物質法はx教系統の善悪を持たない。
(2)物質法はxを持たない。
(3)物質法は動物やx教系統の人間に依存しない可能性がある。

xには、意味や認識や判断、歴史や背景、過去が存在する。物質法は無味乾燥とした機械的な決まりである。(3)に関しては、物質法は動物やx教系統の人間に依存しないので、自然法則と同様に、多くの動物やx教系統の人間と共通部分を持つ可能性がある。彼は物質法を機械法と言い換える。

【法と善悪の違い】
彼は儒教系統の法と善悪の違いを次のように信仰する。

(1)法は強制力を持つ。
(2)善悪は強制力を持たない。

より正確には、法は国家機関や何らかの社会的な機関による強制力を持つ。善悪は、ある主体がある行為をその意志及び力で主体的に実現する。

(3)法は善悪の現実的な実現である。
(4)法は善悪に関する何らかの妥協の結果である。

【法の自然性】
彼は法の自然性を次のように信仰する。

(1)比較的に自然な法と比較的に不自然な法が存在する。
(2)比較的に自然な法は比較的に不自然な法に優越する。

アメリカ合衆国における法体系は人種的にも宗教的にも比較的に不自然である。

【法と民による合意】
彼は法と民による合意を次のように信仰する。

(1)儒教系統の法は民による合意によって生じない
(2)儒教系統の法体系は創造主によって創造される。
(3)民はその自由意志や目的意志で儒教系統の法体系や儒教系統の競技系に参加する。
(4)儒教系統の法は創造主の意志や目的や認識や善悪を受け継ぐ主体にとって作成される。

サッカーの決まりはサッカー選手による合意によって生じてない。それはサッカーシステムの創造主によって創造された。そして、その意志や目的を受け継ぐ者たちが決まりを修正してきた。民ができるのは、システムに参加するのかどうかの選択である。

【法体系と相続】
彼は儒教系統の法体系と相続を次のように信仰する。

(1)儒教徒の男性系統の法体系は父系で父から息子へと創造される。

儒教系統の法体系は相続される何かである。儒教系統の法体系は民の間の単なる契約でない。

【法と善悪】
彼は法と善悪を次のように信仰する。

(1)儒教系統の善悪が儒教系統の法の前に存在する。
(2)宗教が善悪を導き、善悪が法を導く。

言い換えると、儒教系統の法は儒教系統の善悪に基づいて作成される。法の正当性は善悪によって与えられて、善悪の正当性は創造主やその目的によって与えられる。

【合法性と違法性】
彼は合法性と善悪を次のように信仰する。

(1)たとえある行為が違法でなかったとしても、もしその主体が自己の行為の善性を正当化することができないならば、その主体は罰される。
(2)たとえある行為が合法であるとしても、もしその主体が自己の行為の善性を正当化することができないならば、その主体は罰される。

上記は合法だから、違法でないから、何をやっても良いと考える主体向けである。また、上記には、損害の埋め合わせも考慮される。

【法の作成者】
彼は儒教系統の法の作成者の条件を次のように信仰する。

(1)もしある主体が儒教系統の法を形成するならば、その主体は儒教系統の善悪を正しく扱うことができる。
(2)もしある主体が儒教系統の法を形成するならば、その主体は対象を儒教系統の認識で正しく認識する。

【法と階級】
彼は儒教系統の法と階級を次のように信仰する。

(1)競技者階級のための法が存在する。
(2)統治者階級のための法が存在する。
(3)創造者階級は競技系に干渉しない限り任意の法の干渉を受けない。

彼は競技者階級のための法を競技者法と呼ぶ。彼は統治者階級のための法を統治者法と呼ぶ。

【権限】
彼は法の設計や創造に関する権限を次のように認識する、かつ決定する。

(1)設計者のみがx教系統の(根本的な)法を創造する。
(2)設計者のみがx教系統の(根本的な)法を決定する。
(3)設計者のみがx教系統の(根本的な)法を信仰者に授ける。

人間界の創造主が儒教系統の法体系の基盤的な部分を創造する。

2節 儒教系統の契約

【3種類の契約】
彼は3種類の契約を次のように信仰する。

(1)物質契約は契約である、ある主体は別の主体と物質意志で自動的に契約する。
(2)動物契約は契約である、ある主体は別の主体と自由意志で非自動的に契約する。
(3)人間契約は契約である、ある主体は別の主体と目的意志で目的的に契約する。

物質契約は機械契約でも良い。

【物質契約】
彼は物質契約を次のように信仰する。

(1)もしある契約が物質契約であるならば、その契約は認識を持たない。
(2)もしある契約が物質契約であるならば、その契約は判断を持たない。

その他には、その契約には、意味や過去や歴史が存在しない。

【契約と自由意志、そして目的意志】
彼は自由意志による契約と目的意志による契約を次のように信仰する。

(1)目的意志による契約は自由意志による契約に優先する。
(2)目的意志は契約の善性を正当化する。
(3)自由意志は契約の善性を正当化しない。

西欧文明では、その文明民は自由意志による契約を契約の正当性と定義する。しかし、儒教では、彼は目的意志を契約の正当性を認識する。

【契約における合意】
彼は契約における合意を次のように信仰する。

(1)目的意志と目的力が契約における合意を形成する。
(2)自由意志と自由力が契約における合意を形成しない。

合意は自由でなく、目的的である。

【契約における目的の一致】
彼は契約における目的の一致を次のように信仰する。

(1)もしある契約が成立するならば、両者の目的が互いに一致する。

言い換えると、ある契約における目的が互いに一致する時、その契約は成立する可能性がある。

【契約における認識と判断】
彼は契約における認識と判断を次のように信仰する。

(1)もしある契約が存在するならば、契約に関する共通認識が存在する。
(2)もしある契約が存在するならば、契約に関する共通判断が存在する。

例えば、日本国がアメリカ合衆国が契約を結ぶ時、アメリカ大陸の多様性に関する善悪の判断や西欧白人がアメリカ大陸で統治者を担っていることを認識を形成する。認識や判断なき契約は機械的なものであり、動物的でも人間的でもない。

(3)もしある契約が存在するならば、契約に関する認識が共有される。
(4)もしある契約が存在するならば、契約に関する判断が共有される。

上記では、互いの認識や判断が共有される。ただし、その認識や判断が一致している必要はない。

【認識及び判断の契約性】
彼は認識及び判断の契約性を次のように信仰する。

(1)認識は契約の前段階である。
(2)判断は契約の前段階である。

認識や判断は何らかのつながりである。ただし、実際の契約のようには、強制力はない。しかし、日常的には、人々はこの認識や判断に沿って契約や約束を結ぶ。

(3)もしある契約が存在するならば、認識が存在する。
(4)もしある契約が存在するならば、判断が存在する。

【一般化された契約】
彼は一般化された契約を次のように信仰する。

(1)ある主体と別の主体はある競技系に目的意志で所属する。

彼は上記を一般化された契約を信仰する。ある主体と別の主体はあるシステムを彼ら自身で作成して、彼らの目的意志でそのシステムに所属する。この時、彼らはそのシステムにおける決まり、つまり法に沿って主体的に運動する。

【認めさせることの無駄】
彼は認めさせることの無駄を次のように認識する。

(1)何かを認めさせることは時間と富の無駄である。
(2)もしある主体aが何かを認めないないならば、別の主体bは他者との共通認識や共通判断(共通網)を外部から形成する。

なぜなら、人々は絶対に認めない。彼らは非常に抵抗する。例えば、彼女らは白人との中間種の子供を見せびらかしたくて、白人と結婚したことを死ぬまで認めない。認めさせようとすると、彼女らは非常に混乱して、取り乱す。なお、認めさせることは合意させることである。この場合、ある主体は「俺はそのように認識する。」と表現すれば十分である。そして、その主体はその認識を共通する。

【信用と信頼】
彼は契約における信用と信頼を次のように信仰する。

(1)もしある契約が存在するならば、信用が存在する。
(2)もしある契約が存在するならば、信頼が存在する。

信用はある主体がある行為を現在から未来へと実現するかである。信頼はある主体がある行為を実現してきたかである。契約には、信用と信頼の両方が必要である。

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