モンゴル帝国と大英帝国はどちらが文明的であったか?大陸国家と海洋国家の比較

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http://nanjhistory.2chblog.jp/archives/3548590.html
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 WASPが支配層であり、なおかつ相対的に多数派だった時代は「世界帝国」と「篤信者の共同体」と言う一見相反するような二要素がアメリカにはあったと思います。欧州に再び併呑されるという恐れが前者を目指すきっかけとなり、建国神話では後者が強調されています。

「篤信者の共同体」を外敵から守るためにアメリカは「世界帝国」となり、「世界帝国」の精神的支柱が「篤信者の共同体」で、その二つが表裏一体だったのです。しかし、最近後者の要素が薄れ、忘れ去られ初めて居るように思えてなりませんが、如何でしょう?

私はアメリカが絶対的強者として「没理想を演じきった」モンゴル人のような強さを持っているとは思えません。

https://geopoli.exblog.jp/13317540/

 以下では、俺は大英帝国をモンゴル帝国を比較する。一般的に、大英帝国はモンゴル帝国よりも文明的な帝国であると感じられてきたように思える。その理由には、ニュートンや近代科学や近代数学、そして欧州人によるテクノロジーがある。

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大英帝国

 221.名無しさん:2020年01月13日 15:31 ID:okBUUUzj0▼このコメントに返信

ヨーロッパ史が血みどろというのはヨーロッパ人史家の主観によるものではないかと思ってる。中国や中東だと数万人規模の大虐殺が歴史の片隅に埋もれてるのに対して、西欧だと何百年も語り継がれてる。鎧兜や騎士制度も非合理的で実戦には向かない面も多い。小国がけっこう生き残っているのも生存競争がぬるかったことを示してる。日本ほどではないが長く続く王朝が多いし、馴れ合いで戦争ごっこしてただけじゃないか

http://military38.com/archives/54214024.html

 以下では、俺は大英帝国の長所と短所を提示してみる。長所には、言語的な長所とテクノロジー的な長所とシステム設計のうまさが存在する。

長所

 大英帝国の長所は英語を国際言語にしたことである。ただし、英語の国際化には、米国の存在があるだろう。もし米国が存在しなかったならば、英語の国際的な地位は今よりも低下していただろう。けれども、米国の存在それ自体がアングロ・サクソンの存在の結果である。

大英帝国の長所は製造である。具体的には、彼らは製品の製造を自動化した。この自動化が産業革命と呼ばれた。また、彼らは数理情報の製造にも長けていた。ニュートンやマクスウェルは素晴らしい数理情報の製造者であった。大英帝国とアメリカがもたらした豊かさは大量な製造の結果である。

大英帝国の長所はシステム設計のうまさである。その結果、彼らは米国とカナダとオーストラリアとニュージーランドと南アフリカと香港を築き上げた。一方、フランスやドイツはこのシステム設計のうまさを持っていなかった。さらに、大英帝国はインドすら併合した。これは彼らの統治能力のうまさの結果である。

短所

 エリザベス女王の意味は未開である。未開社会では、卑弥呼のような女王が登場する。なぜなら、生存競争が緩いので、女王でも生きていける。大英帝国の未開性は女王の意味を認識できないことである。彼らは女王の存在を男女平等で素晴らしいと誤審した。その結果、彼らは生存競争に敗北するだろう。

大英帝国は大陸国家でなく、島国国家であった。島国の意味は未開である。なぜなら、島国では、大規模な農耕や牧畜を行えない。イギリス人は海洋国家を賛美してきた。しかし、ドイツ人もイギリス人も森の意味や島の意味を認識できてこなかった。森の中や小さな島国では、文明的な農耕や牧畜を行えないので、未開の狩猟民族が維持される。森や島国とは猿である。森や島国とはフィリピンや日本列島であり、jungle asiaである。

大英帝国の短所は宗教の欠如である。彼らは世界宗教を作れなかった。宗教の役割は人間社会の形成を促して、文明を創造することである。大英帝国は偉大な国家であり、偉大な文明でなかった。アングロ・サクソンの父系創造主は中東発祥の中東人(セム人)の創造主である。

モンゴル帝国

 以下では、俺はモンゴル帝国の長所と短所を提示してみる。個人的には、俺は大陸国家は島国国家よりも文明的であると審判する。彼らは生存競争に強いように見える。

長所

 モンゴル帝国は文明の意味を理解していたはず。大陸の意味は大規模な牧畜と農耕であるが、彼らはそ文明において重要な部分を所有した。一方、大英帝国は港の拠点を重視して、そこを抑えた。大英帝国は賢かったが、彼らは大陸の意味を認識できなかった。だから、彼らは南宋のような地域や華北平原、イランやイラク周辺のメソポタミア地域を所有できなかった。それらの所有の意味は ‘ 文明 ‘ である。俺の印象によると、イギリス人はモンゴル帝国が中東や中国南部を抑えた意味をいまいち理解できない。なぜなら、イギリス人は島国である。大規模な農耕や牧畜ができる地域を抑えることは文明を抑えることである。

 文明は大規模な農耕や牧畜ができる大陸で発生する。だから、偉大な統治者はそこを抑えることを最も重視する。だから、モンゴル帝国は南宋やペルシャやイラク地域を支配した。モンゴル帝国は駅伝などの情報伝達や交易も重視した。これは大英帝国の港の重視やケーブル網の重視に非常に似ている。けれども、大英帝国は文明の発祥地を抑えることを軽視した。大英帝国は支配領土や科学をもって、彼らは西洋文明を賛美する。しかし、西洋文明は文明の発祥地である大陸を一切所有しようとしてこなかった。なぜなら、大英帝国は最後まで文明の意味を認識できなかった。

地中海地域を除く西側の欧州大陸自体が半島であり、大陸でない。近代では、西洋が世界支配を達成したが、彼らは文明の発祥地である大陸を支配できなかった。近代における文明の支配者たちは文明の意味を理解できない人間であった。

短所

 モンゴル帝国の短所は製造の軽視であった。彼らは物理的な商品も数学や科学のような数理情報の製造も行えなかった。これはモンゴル帝国の弱点であった。

モンゴル帝国は英語のような文字や言語を発達させれなかった。これも彼らの弱点であった。ただし、アルタイ語族?は世界へと広がっているように思える。また、モンゴル人のY染色体ハプログループC2系統も世界へと拡散している。

モンゴル帝国は独自の宗教を形成できなかった。大英帝国もモンゴル帝国もローマ帝国もこの弱点を持っている。チンギス・ハンはテングリ信仰を持っていたらしい。けれども、俺の憶測では、この創造主は印欧語族の欧州人の父系の創造主であった可能性もあるだろう。

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