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創造主(God)

 以下で、俺は創造主に対する俺の認識を提示する。日本語では、創造主は神と日本語訳されてきた。しかし、ここでは、俺はGodを創造主と日本語訳する。創造主の意味は「ここ」から。 1章 創造主  共通認識 (自然界の)創造主とは、自然界を創造した対象である。または、(自然界の)創造主とは、自然界を創造している対象である。  自然界とは、宇宙と物質と自然法則の組みである。その組みはsystem(競技家)である。創造主が自然界を過去に創造したのか、現在でも創造しているのかは不明である。だから、俺はした、またはしていると表現した。未来について不明である。 したは完了である。しているは現在進行形である。ただし、後者の場合、創造主による創造行為はある程度完了している。 1節 対象としての創造主  対象とは、少なくとも一つの存在または状態、運動を持つ何か(最後尾)であった。上記の認識では、創造主とは、自然界を創造した対象である。つまり、創造主は創造という運動を持つ何かである。だから、創造主は対象である。 また、創造行為は単なる機械的な運動でなく、創造主の強い意...
2020.11.07
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なぜ真→偽は偽?論理学と真理表

 問.Pが偽のとき,なぜP⇒Qが真なのかわかりません.もし,それを偽としたときに,何か不都合 なことが起こるのであれば,それはどんなことですか? 答.そう決めると,論理的思考をする場合に非常に都合が良いからです.  真→真は真。真→偽は真。偽→真は真。偽→偽は真。論理学における真理表によると、論理における真偽はこのように考えられてきた。 俺を含む人々はこの意味を把握できてこなかった。現在でも、俺はその意味を把握できない。しかし、俺はいくつかの考えを思いついた。 以下で、俺はそれを開陳する。なお、俺はその真偽を保証しない。俺もなぜかわからない。 1 具体例その1〜if x is a Japanese, x is an East Asian.〜  とある推論 if x is a Japanese, x is an East Asian.  切断を使用すると、次になる。x is a Japanese. If x is a Japanese, x is an East Asian. 従って、x is an East Asian. 今、xを{...
2020.07.30
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ホームページとブログの違い〜情報の製造か情報の展示か〜

 結論 ホームページは製品の展示場である。ブログは情報の製造場である。ブログは情報の工場で、ホームページはその工場で製造された製品の展示場。  俺らが医院と学者と企業のホームページを見るとき、俺らはブログとホームページの違いを感覚的に把握する。もし君がサービスを受けたかったり、商品を購入したいならば、君はホームページに行こう。もし君が売り手や医者の人柄や雰囲気や政治信条?を知りたいならば、君はブログを読もう。 ホームページでは、商品が展示されている。商品には、医療のようなサービスや労働者のような個人情報(研究者のサイト)が展示されている。一方、ブログでは、自己や世界に関する情報や感想の情報が製造されてきた。 1:ホームページ(展示場)  もし俺らが何がホームページであるかを見たければ、近くの医院を検索すれば良い。上記のサイトがまさにホームページである。上記はブログでない。  上記はトヨタのホームページ(というかサイト?)である。ホームページでは、車などの商品や医療などのサービスが展示されている。  上記の商品のア...
2020.09.08
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戦争における西洋白人の思考と彼らの世界観〜分析的思考と構成的思考と対決世界観

 ドイツ人は戦闘に強いが、戦争に弱い。だから、彼らは戦争にいつも敗北してきた。白人が戦争に強いが、生存競争に弱い。つまり、ドイツ人は戦争に弱く、生存競争にも弱い。ドイツ人の将来は死であるだろう。by 俺 孫武による孫子兵法とクラウゼヴィッツ戦争論〜/西洋人の分析的思考と東洋人の包括的思考/  戦争における西洋人の思考は分析的思考と構成的思考と対決世界観の3つである。ただし、上記のカエサルは白人小人種でなく地中海小人種であった。 1 分析的思考  分析的思考とは、白人が対象それ自体を分析する思考である。関係性思考とは、東洋人が対象と対象の関係を把握する思考である。西洋人の分析的思考と東洋人の包括的思考/  君が白人の行為を観察するとき、君は白人は対象を分析することを得意としていると審判する。なぜなら、白人の思考は分析的思考である。 その結果、白人は戦争を分析することを得意としてきた。それに対して、東洋人は戦争を把握する、認識することを得意としてきた。東洋人は戦争それ自体を分析するのでなく、人間同士の関係や国家同士の関係や人間同士の心理戦などを把握して...
2020.05.10
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なぜ矛盾は生じるか?契約と定義

 論理学では、矛盾それ自体が研究対象になってきた。矛盾の研究は主に西洋や地中海で発達してきた。東洋では、論理や矛盾の研究が盛んでなかった。 ここでは、俺は日常における矛盾の発生の仕方について提示する。君が契約と定義を認識するとき、君はなぜ矛盾が発生するかを知る。矛盾が生じるのは約束に対する違反が存在するからである。 矛盾とは何か  認識(矛盾) 矛盾とは、約束(契約)に対する違反である。  ここでの約束には、単語に関する取り決め、つまり定義も含まれる。違反とはある人間がすでに結ばれた約束を破る行為である。 例えば、あるフィリピン人がお金を期日までに返すと約束したのに、そのフィリピン人がその期日までにお金を返さない。その時、フィリピン人の行為はその約束に反している。だから、フィリピン人の行為はその約束に矛盾している。  経験則 もしある人間が約束を一つも結ばないならば、その人間は矛盾した発言を表現しない。  矛盾の認識により、矛盾とは約束に対する違反である。約束が結ばれない時、約束が存在しない。もしある人間が約束を一つも結ばないならば、...
2020.07.29
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匈奴ロックバンドThe HUとモンゴル〜Kpopや中華と和風音楽の各比較

 俺は上記のバントを推薦する。俺がこの音楽を聴いた後、俺は匈奴や鮮卑やチンギス・ハンを思い浮かべた。もし君がモンゴルの歴史に興味を持つならば、君は上記を聞くだろう。 モンゴル人も日本人も同じ東洋人であるが、モンゴル人は純粋な東洋人(新モンゴロイド)っぽい。一方、日本人は中原の東洋人たる漢民族と南方の河南民族の中間あたり。朝鮮人はモンゴル人と漢民族の中間あたりである。 モンゴル人は遊牧・牧畜民族であってきた。彼らの気性は激しく臆病な東洋人と異なっている。上記の服装も遊牧民的であるように思える。彼らは戦士であり、王様にふさわしい。 上記の動画も素晴らしい。俺がこの音楽を聴くとき、俺は世界を支配したくなる。この音楽はモンゴル帝国やチンギスハンを俺に連想させる。
2020.05.19
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日本人(東洋人)が三段論法や論理や証明を発見できなかった原因と理由

 論理学の発見の大部分はコーカサス人種由来である。しかし、東洋人の知的能力は劣等でない。にも関わらず、彼らは簡単な論理法則すら発見できなかった。 その原因と理由とは何であるか。ここで、俺はそれについて述べる。上記の画像は数学者:テレンス・タオの幼少期である。彼ですら論理法則を発見できなかった。 テレンス・タオは天才と呼ばれてきたけれども、彼の業績はアリストテレスのようには残らないだろう。一方、孔子の業績は不変的であるだろう。 原因  原因1:東洋人は推論行為それ自体を苦手とする→推論してこなかった→その結果、推論に必要な道具(論理)を開発する必要が生まれなかった。  原因2:東洋人は彼ら自身の脳みそを人工的に操縦することを苦手とする。もし彼らが何かを発見できないならば、人工的な操縦の欠如がその原因である。 推論行為が苦手  東洋人は推論行為を苦手とする。東洋人は記憶行為や引用行為を得意とするが、彼らは推論行為を苦手とする。もっと言うと、東洋人は推論を彼ら自身の脳みそを使ってしてきていない。 日常的には、論理は真理を与えるのでなく、推...
2020.05.27
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リスク(risk)を取る?危険と損害と可能性

 リスクという単語はイケメンと同様に雑に使用されてきた。日本人の大部分はリスクの意味を認識できない。riskは危険と訳されるが、俺はriskを損害可能性と訳する。 だから、損害可能性を取ることは日本語として狂っている。重要なことは「利益/損害可能性」の値を上昇させることである。君がお金を動かす時、損害可能性が0であることはほぼないはず。 1:危険とは:危険と損害と借金  経験則:君が利益を獲得したいとき、危険がつきものである。言い換えると、危険なしに利益を獲得することは難しい。 1:危険  危険に対する俺の印象は地雷原や猛獣のいる森である。日本語における危険はriskでないように思える。君が地雷原や猛獣の森を通過した後、君はお宝を獲得できるだろう。日本語における危険(danger?)はこんな感じである。 俺は商業には危険は不要であると審判する。日本人が危険を使用する時、俺は地中海人種や白人種の大航海時代を連想する。彼らは文字通り危険を冒したが、その精神は宗教的なものであり、商業的なものでない。 つまり、危険は宗教的な情熱に関係する。一方、...
2020.05.21
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ブログ文章の書き方:形式と色形大きさと題目

 俺らがブログを書く時、意思決定を毎回毎回繰り返さない。なぜなら、君は文章の製造を面倒と感じる。だから、君はブログ文章を書くのでなく機械的かつ自動的に製造する。 1:基本形式の決定=3の4乗  君がブログ文を書くとき、君は文の形式を指定する。俺は章と節とブロックと文の数に関する基本形式を3の4乗(約100行❌平均30字=3000字)と指定してきた。書き足りないとき、俺は補足やおまけや例外として余分な文を付け加えた。 形式の重要性は論文やwikipediaを見るとき、君はその重要性を理解する。形式が論文の読みやすさやwikipediaの読みやすさを与える。例えば、論文であるならば、序論→本論(実験資料)→結論、数学であるならば、定義→具体例→定理→証明。 当然、形式の数は一つでなく複数存在しても良い。日記文と論文を同じ形式にする必要がないので、内容ごとに形式を分けることは重要である。書籍だと、3部→3章→3節→3ブロック→3文が読みやすい。 習近平  部屋の整理を思い浮かべよう。 整理されてない部屋(形式のないブログ)に君の友人を招くべ...
2020.05.21
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