テュルク系民族という単語は善か悪か?〜語族と民族、そして文明の違いについて〜

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https://ja.wikipedia.org/wiki/テュルク系民族
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 テュルク系民族(テュルクけいみんぞく、 英語: Turkic peoplesまたはTurks、 トルコ語: Türk、 ロシア語: Тюрки)とは、テュルク諸語を使用する人びと[1]

https://ja.wikipedia.org/wiki/テュルク系民族

 俺がテュルク系民族という単語をみるとき、俺は強烈な違和感を覚える。なぜなら、俺は彼らはテュルク語族であったと認識してきた。にも関わらず、この種の奇妙さは長い間修正されてこなかった。

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前提

 前提:人種や宗教や文明が異なるとき、人種や民族や語族に対する定義や認識それ自体が異なる。

 もし君が文明を認識するならば、君は上記の前提を感覚的に把握するだろう。以下では、俺は上記の前提の具体例を提示する。

上記を言い換えると、所属しているソサエティが異なるとき、そのソサエティにおける自己に対する認識(cognition)それ自体が異なるそして、自己認識それ自体がソサエティxの産物である

具体例(ユダヤ人)

 西洋文明では、ユダヤ教徒の白人はなぜかユダヤ人として定義されて、彼らはまるで一つの人種や民族のように振る舞う。しかし、東洋文明では、彼らは白人であり、かつユダヤ教徒である。これが人種と文明の違いであり、どちらかが間違っているわけでない。

西洋文明では、ユダヤ教徒の白人がユダヤ人になることは間違いでなく(宗教的には)善であり、その善は正しい。しかし、東洋文明では、ユダヤ教徒の白人がユダヤ人になることは間違いであり、悪である。そして、その悪は東洋文明の中では正当化される。

西洋文明における西洋人を見ると、西洋文明の中では、西洋人は生物的な事実と人工的な概念をあまり区別しない。その結果、宗教であるユダヤ教徒がユダヤ人になり、x語族がx人になり、アメリカ国民がアメリカ人になり、まるで人種や生物的事実のように振る舞う。この「生物的な事実と人工的な概念の混同」は西洋文明における自己認識の奇妙な点である。

具体例(バラク・オバマ)

 バラク・オバマはコーカサス人種とネグロイド人種の中間種(エチオピア的中間種)のアメリカ国民であった。けれども、米国では、彼は黒人初の大統領として定義された。実際、大和民族の一部はこの表現に違和感を覚えて、彼らはオバマは黒人でないと指摘した。

西洋文明と東洋文明では、人種に対する定義や認識それ自体が異なる。その結果として、バラク・オバマは西洋文明では黒人になる。そして、オバマが黒人であることは西洋文明では善であり、その善は西洋文明では正当化される。

生物的には、バラク・オバマはコーカサス人種とネグロイド人種の中間種(エチオピア的中間種)であり、ネグロイド人種でない。けれども、人種それ自体は生物的な事実であるが、人種に対する定義や認識はソサエティの産物である。その結果、バラク・オバマは西洋文明というソサエティでは黒人になる。

大和民族の短所

 大和民族の短所:大和民族は東洋文明における人種や民族や語族に対する定義や認識それ自体を形成できない。

 上記でも述べたが、大和民族は「人種や宗教や文明が異なるとき、人種や民族や語族に対する定義や認識それ自体が異なる。」を認識していない。なぜなら、彼らは自己のソサエティを形成できないので、彼らは自己の文明や自己の認識を持っていない。

その結果、彼らは他の文明におけるテュルク系民族に対する定義や認識を正しいと感じてきて、引用してきた。

予想される反応

 人種的には東部でモンゴロイド、西部でコーカソイドと東西で大きく異なるが[4]、人種に関係なくテュルク諸語を母語とする民族は一括してテュルク系民族と定義される。

https://ja.wikipedia.org/wiki/テュルク系民族

 上記のような文章は大和民族の文章において頻繁に観察される。例えば、誰かがテュルク系民族という単語は適切でないと指摘すると、大和民族は既存の知識や他人の視点(特に白人の視点)を引用し始める。彼らは「欧米では〜」や「学会では〜」と引用する。

上記では、「人種に関係なくテュルク諸語を母語とする民族は一括してテュルク系民族と定義される。」と引用されているが、その誰かは異なる人種を一括りにすると、紛らわしいので、その単語は不適切(悪)でないかと提示している。言い換えると、その誰かは人種と語族を明確に区別できるような単語を提示する必要があると主張している。

テュルク系民族という単語は善か悪か

 俺の判断:テュルク系民族という単語は悪である。語族の場合、テュルク・語族が善である。

自然と人工の区別とその善

 個人的には、俺は、東洋文明では、生物的な事実と人工的な概念を明確に区別する必要があると認識する。上記の場合、もしテュルク系民族がテュルク語を話す民族であるならば、その時、俺らはテュルク系民族を民族でなく、テュルク語族と呼ぶ。そして、テュルク語族という表現が東洋文明では “善” である。

民族(エスニック)

 共通認識 人工半族(ethnic)とは、小人種と人工物の組みである。

https://oreranitsuite.com/2020/11/05/ethnic/

 また、俺らは生物的な事実と人工的な概念を組み合わせた対象を “人工半族(ethnic)” と呼ぶ。俺は英語における ethnic は人工半族であるように見える。西洋文明では、生物的な事実と人工的な概念を区別しないソサエティを形成するので、俺にとっては非常に紛らしい。

そして、その状態は悪い(レッドカード)。だから、俺らは生物的な事実と人工的な概念を明確に分けた単語を提示することを善と判断する。

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