新型コロナウイルスの感染再拡大を受け、欧州各国は次々とロックダウンの措置を講じているが、新型コロナウイルスの感染再拡大とともに深刻になっているのがアジア人に対する差別だ。新型コロナウイルスの流行をアジア人の責任だと押し付け、さらに2度目のロックダウンになったことで、欧州ではアジア人差別が横行し始めているという。
欧州の中では最も早く2度目のロックダウンを発表したフランスは、アジア人差別が顕著だ。フランスのSNSではアジア人への差別を訴える声が広がり、ネット上では「コロナを広めたアジア人狩りをしよう。アジア人は制裁を受けるべきだ」「アジアの男には暴力を振るい、アジアの女には性的虐待をしたって構わない」といったような衝撃的な言葉が並んでいるという。
https://news.livedoor.com/article/detail/19171030/
1章 すべき行為〜モンゴロイド人種という単語の使用〜
行為 モンゴロイド人種はアジア人でなく、モンゴロイド人種という単語を使用せよ。
モンゴロイド人種はアジア人でなく、モンゴロイド人種という単語を使用せよ。また、差別でなく、無礼や非礼という単語を使用せよ。上記の単語はモンゴロイド人種の身を守るために必要である。
俺らがモンゴロイド人種という単語を使用するとき、俺らは俺らの身を守ることができる。なぜなら、そのとき、俺らはアメリカ先住民やイヌイットの人種と俺らの人種を関連づけることができる。
現代において、西側白人はユダヤ教徒の白人やネグロイド人を表面的には批判できなくった。なぜなら、彼らは彼らを虐殺してきて、損害を与えてきた。だから、彼らは申し訳ないという気持ちもあり、西側白人は彼らを批判できない空気を戦後の一時期作ってきた。
モンゴロイド人種はこの種の西側白人の感情を利用して、彼らの身を保護することができる。なぜなら、アメリカ先住民は西側白人によって虐殺されてきた。だから、西側白人の一部はアメリカ先住民に対する虐殺に抵抗感や復讐に関する恐怖感を覚えているかもしれない。
2章 すべき行為〜非礼や無礼という単語の使用〜
行為 モンゴロイド人種は差別でなく、無礼や非礼という単語を使用せよ。
差別はキリスト教的な単語である。それに対して、礼は東洋文明的な単語である。俺らが差別でなく、礼を使用するとき、俺らはフランス国民の行為を宗教的な侮辱に関係づけれる。
差別という単語を使用するとき、俺らは行為に関する善悪や審判に関する主導権をキリスト教徒の西側白人に取られる。だから、俺らは礼という単語を使用して、彼らの行為に関する善悪の主導権をこちら側へと寄せる必要がある。
差別という単語を使用することは、「キリスト教徒の西側白人の価値観の土俵に乗る」ことである。善悪を異教徒に取られることは悪い(レッドカード)。
3章 大和民族の学者や弁護士の異常性
大和民族の学者や弁護士の異常性 たとえ大和民族の学者や弁護士が人種的に侮辱され、暴力を振るわれるとしても、彼らは西側白人にビビって何も言えない。
上記の速報に対して、大和民族の学者や弁護士(菊池誠や大栗博司や押川正毅など)は奇妙な応答を実行してきた。その応答とは、彼らは「見て見ぬふりをする」ことである。彼らは自己の人種や民族が人種的に侮辱されるとしても、殺されるとしても、彼らはぼーっ見ているだけである。
にも関わらず、彼らは「差別」という単語を振り回し、同胞に先生と呼ばれて、おだてられる。彼らは大和民族の身を差別主義者と言って、攻撃するが、例え白人や黒人がモンゴロイド人を虐殺するとしても、彼らは何も言えない。彼らを先生と呼ぶ同胞がその先生たちを助けてくれるまで、彼らはじっと待っている。彼らはこう考えているだろう。
「僕たちを先生って呼んで煽てて!」
「でも、税金は欲しい。」
「白人との対峙は嫌っ!(代わりにやって欲しい)」
「何かあったら助けて(でも自分は助けない)」
なぜ押川は「じゃっぷ」と呼んだ白人を批判しないのか?彼の行為は異常であり、病的である。