排中律(はいちゅうりつ、英: Law of excluded middle、仏: Principe du tiers exclu)とは、論理学において、任意の命題 P に対し”P ∨ ¬P“(P であるか、または P でない)が成り立つことを主張する法則である。これは、論理の古典的体系では基本的な属性であり、同一律、無矛盾律とともに、(古典的な)思考の三原則のひとつに数えられる。しかし、論理体系によっては若干異なる法則となっている場合もあり、場合によっては排中律が全く成り立たないこともある(例えば直観論理)[1][2]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/排中律
筆者は排中律に関して無知であるが、排中律についてのべる。なお、彼の無知は数学者や数学徒的な彼の謙遜でない。
排中律
排中律
定義 xはaである、またはxはaでない。
例えば、xは1である、またはxは1でない。岸田文雄は猫である、または岸田文雄は猫でない。日本人は東洋人である、または日本人は東洋人でない。おそらく、命題に対して、上記の文は常に真であるらしい。だから、人々は上記の文を基盤として、何らかの体系を作り上げるつもりであるのかもしれない。
排中律が成り立たない例?
以下では、筆者は排中律が成り立たないように感じる現実を提示する。例えば、彼は「彼は真面目である、または彼は真面目でない。」が成り立たないように感じる。
1節 胎児
具体例 胎児は人間である、または胎児は人間でない。
より正確には、受精後のx日からy日までの胎児は人間である、または受精後のx日からy日までの胎児は人間でない。ある種の人間は「胎児は人間であるとは言えない」と言うだろう。同時に、その種の人間は「胎児は人間でないとも言えない」と言うだろう。つまり、胎児は人間であるが偽である、そして胎児は人間でないが偽である状態が存在する。
受精した後、受精卵は発生する。その期間、発生した受精卵は出産まで「人間でない」と「人間でないとは言えない」と言う二重の状態になっているように思える。母体からの胎児の出産の後、その発生した受精卵は完全に人間になる。つまり、口語的には、人間でない→人間でない、人間でないわけでない→人間であるが生じている。
2節 成人
具体例 18歳の1秒前は成人である、または18歳の1秒前は成人でない。
法律上は18歳の1秒前は成人でない。しかし、感覚的には、人々は18歳の1秒前と成人0秒の違いを把握することができない。実際、1秒前と0秒前は何が違うのかが不明である。1秒前も0秒前も成人であり、成人でないように思える。つまり、18歳の1秒前は成人であるが偽である、そして18歳の1秒前は成人でないが偽である状態が存在する。
3節 機械
具体例 あるサピエンスは機械的である、またはあるサピエンスは機械的でない。
言い換えると、俺は自動的に運動する、または俺は自動的に運動しない。機械論的な自然観では、俺は自動的に運動するが真であり、俺は自動的に運動しないは偽である。しかし、感覚的には、俺は自動的に運動する、そして俺は自動的に運動しない。俺は機械でもあり、俺は機械でもない。つまり、俺は機械的であるが偽である、そして俺は機械的であるが偽である状態が存在する。
4節 動物
具体例 あるサピエンスは動物(動物的)である、またはあるサピエンスは動物(動物的)でない。
上記の質問に対しても、一部の人々は「俺は動物でない。」と回答して、さらに「俺は動物でないわけではない。」と回答するように思える。つまり、俺は動物(動物的)であるが偽である、そして俺は動物(動物的)であるが偽である状態が存在する。
5節 性
具体例 あるサピエンスは雄である、またはあるサピエンスは雄でない。
例えば、キャスター・セメンヤを考える。人々はセメンヤが雄であるのか、雌であるのかを断定できない。実際、人々はセメンヤは雄でないと感じる一方、セメンヤは雄でないのもおかしいと感じている。感覚的には、あるサピエンスは雄であるは偽であるとあるサピエンスは雄でないは偽であるが成り立つ。
6節 人種
具体例 岸田文雄はサピエンスである、または岸田文雄はサピエンスでない。
サピエンスには、ネアンデルタール人やデニソワの遺伝子が2パーセント含まれているらしい。この時、もし岸田文雄が2パーセントのデニソワの遺伝子を持つならば、岸田文雄はサピエンスでないのかと疑問に思う。この時、岸田文雄はサピエンスであるは偽であると岸田文雄はサピエンスでないは偽であるが成り立つ。口語的には、岸田文雄は2%のデニソワの遺伝子を持つので、サピエンスでない、そして岸田文雄は98%のサピエンスの遺伝子を持つので、サピエンスであるが成り立つように思える。
7節 結合双生児
具体例 サピエンスの数は1である、またはサピエンスの数は1でない。
例えば、強く結合された結合双生児を考える。この時、サピエンスの数は1であるのか、1でないのかが不明であるように思える。例えば、2つの脳が互いに結合されて、人格が完全に分離されていないような場合、サピエンスの数は曖昧であるように思える。つまり、サピエンスの数は1であるが偽であるとサピエンスの数は1でないは偽であるが成り立つ。
排中律と現実的な図
下記の図は単なる思い付きである。
1節 ベン図風?

例えば、Pは「胎児は人間である。」である。¬Pは「胎児は人間でない。」である。微妙な期間がPは「胎児は人間である。」、または¬Pは「胎児は人間でない。」である。Pでも¬Pでもないの部分はPでもなく、かといって¬Pでもないである。
2節 直線風?

→は時刻である。¬Pは「胎児は人間でない。」である。Pは「胎児は人間である。」である。時間経過に伴い、¬PはPでも¬Pでもないになる。その後、Pになる。
3節 複素平面風?

Pは0及び直線の正の部分である。¬Pは直線の負の部分である。Pを否定すると、Pは¬Pになる。¬Pを否定すると、¬PはPになる。否定という操作は正を負にする、または負を正にする。Pでも¬Pでもない場合、虚軸に置く。または、曖昧な状態になると、Pや¬Pは虚軸に移動する。Pか¬Pか確定すると、実軸に戻る。