排中律は正しいか?〜君は動物であるか、または君は動物でないか?〜

言語
https://ja.wikipedia.org/wiki/陰陽
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 俺は排中律をよく理解できない。以下では、俺は排中律に対する俺の脳の(現時点での)運動を提示する。この文章は数学に関する文章でなく、数学に対する俺の脳の運動に関する文章である。

なお、この場所は宗教的なwebisteであり、情報の製造工場である。もし君がちゃんとした情報を知りたいならば、書籍をきちんと購入しよう。

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1章 排中律?

 排中律?:排中律とは、命題Pまたは命題「Pの否定」が成り立つ規則(論理法則)である。

 Pが真である時、(否定の論理法則により)「Pの否定」は偽である。この時、Pまたは「Pの否定」は真である。なぜならば、論理「または」では、どちらか一方が真であるとき、Pまたは「Pの否定」も真である。

Pが偽である時、(否定の論理法則により)「Pの否定」は真である。この時、Pまたは「Pの否定」は真である。なぜならば、論理「または」では、どちらか一方が真であるとき、Pまたは「Pの否定」も真である。

上記のように、真または偽のそれぞれの否定は偽または真であるので、命題の「または」は必ず真になる。俺は上記の法則を数学的、かつ論理的に知らない。しかし、日常的には、上記は常に真になるので、何かを構築する時、理論の信用可能な土台になりそうだと感じる。

2章 君は動物であるか、または君は動物でないか?

 排中律?:君は動物である、または君は動物でない。

 上記の命題を考える時、俺らは排中律に対する違和感を覚える。「君は動物である」を命題Pとし、「君は動物でない」を命題「Pの否定」とする。さて、この命題Pまたは「Pの否定」は成り立つか?

君が動物であることを認めるとき、君は人間でないので、殺人行為に関する法律が適用されない。また、君は動物であるので、国民(国民とは国籍を持つ人間である)になれない。だから、君は「俺は動物であるを”偽”とする」と主張する。

では、君は君が動物でないことを認めるのだろうか?君が動物でないことを真と認める時、君は君の動物的な部分を否定する必要がある。例えば、宗教が関係する時、君はもし君が動物でないならば、君は君の中の動物的な性欲を否定する必要がある。しかし、君は君自身が動物であることも否定しないだろう。その時、君は「俺は動物でないことを”偽”とする」と主張する。

 この時、命題は偽、または偽になり、その命題は偽である。つまり、排中律は成り立たないように見える。

なお、動物とはホモ・サピエンスである。胎児は人間でなくホモ・サピエンスであるので、中絶しても、その行為は殺人行為でない。発生が始まった受精卵はホモ・サピエンスであるかもしれないが、人間でない。

陰陽一体の善悪を持つ東洋文明では、俺らは動物であり、かつ人間である。善悪二元論を持つ西洋文明では、彼らは人間であるか、人間でないかである。東洋文明では、俺らは人間である、または俺らは人間でないが成り立つように思える。

3章 いつ排中律は役立つか?

 排中律の使用法:俺らが機械やそれに準じた対象を扱う時、排中律が役に立つ。

 機械やそれに準じた対象とは、日常的には、0や1で表示される対象である。俺らが生命体や動物や人間を扱う時、排中律はあまり有用でないように見える。

実際、日常生活では、俺らは対偶や背理法を使用しないし、使用すると嫌がられる。なぜなら、日常生活は機械的でなく、俺らは完全には機械でない。

排中律は機械の世界で依然として有益である。しかし、俺らの世界は完全には機械でないので、日常世界における推論行為を含む脳の運動には、あまり有益でないように見える。実際、俺らは動物か、動物でないかという質問にちゃんと回答できないだろう。

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