宗教機能
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 意志:以下では、俺はこの宗教における数に対する俺らの認識を提示するつもりである。意志:より正確には、俺らはこの宗教における数の言語的な表現を提示するつもりである。

もし神々からなる世界が存在するならば、俺らは一般名詞を必要としないだろう。そして、俺らが一般名詞を必要としないとき、俺らは数も必要としない。なぜなら、俺らは個々の全てを固有名詞で取り出すことができる。俺らが一般名詞を取り扱う時、俺らは数を必要とする。

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 認識 俺らは数を一般名詞の不可分な語尾として表現する。

 俺らは数をいち、に、さん、よん、…と数えていく。この数え方では、俺らは数を一般名詞から切り離している。けれども、この宗教では、俺らは数のこの種の表現を採用しない。俺らは数を一般名詞に不可分な対象を結合させて表現する。

俺は数に関する語尾を便宜的に導入する。俺らは -zl を0とする。俺らは -al を1とする。俺らは 俺らは -il を2とする。俺らは -ul を3とする。俺らは -el を4とする。俺らは -ol を5とする。俺らは -am を6とする。俺らは -im を7とする。俺らは -um を8とする。俺らは -em を9とする。俺らは -om を10とする。この操作を繰り返していって、数を表現する。例えば、11は -an であり、12は -in であり、13は …、ある。

今、俺らは対象(object)を考える。例えば、俺らは上記の表現を採用するとき、俺らは対象を常に「objectal、objectil、objectul、objectel、objectol、…」と数えていく。この時、俺らは al や ol といった語尾単独は何も表していないので、それらは単独では成立しないと認識する。つまり、数は一般名詞の変形(屈折)として成立する。「いち、に、さん、よん、…」でなく、常に「オブジェクタール、オブジェクティール、オブジェクトゥール、オブジェクテール、…」である。

 なお、例えば、俺らは objectak を10を表現する一つの単位と仮定する。この時、objectakol は50である。objectakol and objectel は54である。object(akol and el)である。まとめると、object(akolel)であり、オブジェクタコレルである。 なお、例えば、俺らは objectik を100を表現する一つの単位と仮定する。同様の操作を繰り返す。

擬似的な固有名詞

 認識 俺らは数を表現する語尾を持たない一般名詞を固有名詞と解釈する。

 俺らは数を表現する語尾を「数尾(すうび)」と便宜的に呼ぶ。俺らは数尾を持たない一般名詞を「純粋一般名詞」と便宜的に呼ぶ。俺らは数尾を持つ一般名詞を「数尾一般名詞」と便宜的に呼ぶ。上記を書き換えると、俺らは純粋一般名詞を「擬似的な固有名詞」と呼ぶ。

擬似的な固有名詞は書籍や直線やグラフのような対象であり、それぞれの要素が「オブジェクタール、オブジェクティール、オブジェクトゥール、オブジェクテール、…」である。書籍の例えでは、オブジェクト(object)それ自体が書籍の固有名詞である。それぞれのページが「オブジェクタール、オブジェクティール、オブジェクトゥール、オブジェクテール、…」である。

例えば、俺らはオブジェクトゥールをバラバラの3個の点と認識しない。オブジェクトゥールは固有名詞的であり、互いに不可分なひとかたまりであると認識する。俺らがケルベロスという時、俺らはあの対象を想像する。または、俺らが日本列島という時、俺らはあの一塊りを想像する。

 オブジェクトゥールも同様であり、感覚的には、オブジェクトゥールはバラバラの3個のオブジェクタールでない。ただし、数学的には、おそらく、オブジェクトゥール=オブジェクタール+オブジェクタール+オブジェクタールである。なお、日本列島は the islandol で表現される。それぞれの島は要素でなく部分に近いように、それぞれのオブジェクタールもオブジェクトゥールの要素でなく部分である

具体例

 今、俺らは点(point)を考える。例えば、俺らは上記の表現を採用するとき、俺らは対象を常に「pointh、pointt、points、pointk、…」と数えていく。この語尾は -al や -ol のような一般名詞の変形に近い。その他の例では、俺らは「pointal、pointil、pointul、pointel、pointol、…」と数えていく。

擬似的な固有名詞としての「point」は書籍の題目を表現して、それぞれのページには「pointh、pointt、points、pointk、…」が収められている。または、それぞれのページには「pointal、pointil、pointul、pointel、pointol、…」が収められている。それぞれのページは一種の固有名詞のような存在である。

対象

 今、俺らは対象(object)を考える。例えば、俺らは上記の表現を採用するとき、俺らは対象を常に「objecth、objectt、objects、objectk、…」と数えていく。この語尾は -al や -ol のような一般名詞の変形に近い。その他の例では、俺らは「objectal、objectil、objectul、objectel、objectol、…」と数えていく。

擬似的な固有名詞としての「object」は書籍の題目を表現して、それぞれのページには「objecth、objectt、objects、objectk、…」が収められている。または、それぞれのページには「objectal、objectil、objectul、objectel、objectol、…」が収められている。それぞれのページは一種の固有名詞のような存在である。

点と対象の違いとは、対象は均一な対象でないことである。例えば、その書籍のページ「objectul」には、みかんとホモ・サピエンスと惑星という3個の対象が乗っているかもしれない。しかし、これらのどれもが対象である。

惑星

  今、俺らは惑星(planet)を考える。例えば、俺らは上記の表現を採用するとき、俺らは対象を常に「planeth、planett、planets、…」と数えていく。この語尾は -al や -ol のような一般名詞の変形に近い。その他の例では、俺らは「planetal、planetil、planetul、…」と数えていく。

擬似的な固有名詞としての「planet」は書籍の題目を表現して、それぞれのページには「planeth、planett、planets、…」が収められている。または、それぞれのページには「planetal、planetil、planetul、…」が収められている。それぞれのページは一種の固有名詞のような存在である。

認識

数に対する認識

 俺の認識 創造主は数を既に決定している。

 日常的には、俺らは数を俺らの意志で変化させることができると感じてきた。例えば、俺らは商品の数や果物の数を調節することができる。けれども、場合に応じて、俺らは数に対するこの種の認識を採用しない。

場合に応じて、俺らは数は創造主によって既に決定されているとも信仰する。ホモ・サピエンスのY染色体の数が46である(chromosomekav)ことは創造主によって決定されている。太陽系の惑星の数が8個である(planetd)ことは創造主によって決定されている。要するに、ケルベロスのように、あれは常にプラネットゥドゥであり、あれは常にクロモソーモカヴである。

アボガドロ数があの数であることは創造主によって決定されている。そして、イザナギとイザナミが対になっていることはすでに決定されている。それぞれのページはこのような印象を持つ。俺らは数を自由に変えられるような印象を持っているが、この宗教では、俺らは数を性のような決定された対象でもあると認識する。

数と性

 俺の認識 俺らは数を変えられるが、性を変えられない。

 例えば、俺らはホモ・サピエンスの雌雄を俺らの意志で変化させることができない。けれども、俺らは果物や商品の数を俺らの意志で変化させることができる。ただし、上記でも述べたように、俺らは惑星を変化させることができない。言い換えると、俺らはプラネットゥドゥをプラネットゥクに変化させることができない。なぜなら、その時、太陽系が重力の不均衡によって崩壊する。

染色体の数の場合は惑星と少し異なる。なぜなら、俺らはその数を実験科学の手法で変化させることができる。俺らはクロモソーモカヴをクロモソーモカツに変化させることができるかもしれない。けれども、その時、俺らはダウン症のような病気を導くだろう。このように、俺らは数を当たり前のように変化させてきたが、数の本来の姿は性のように簡単には変化させることができない何かである。

だからこそ、俺らは太陽系の惑星の状態を一種の固有名詞のように考え、俺らは8個の惑星を「eight planets」でなく「プラネットゥドゥ」と呼ぶ。俺らはプラネットゥドゥとポイントゥドゥには一対一の対応があるように感じるので、それらは同じ状態を持っていると感じる。この場合、俺らはオブジェクトゥドゥを考えて、ひとまとめに扱えることを知り、同じ状態であると結論づける。

部品

 俺の認識 数尾一般名詞は最小単位の数尾一般名詞の和で表現される。

 俺らは最小単位の数尾一般名詞を「部品(部分)」と呼ぶ。例えば、最小単位の数尾一般名詞はオブジェクタールやポインタールである。オブジェクトゥールはオブジェクタールとオブジェクタールとオブジェクタールの和で表現される。

ポイントゥールはポインタールとポインタールとポインタールの和で表現される。例えると、ポイントゥールは一つの機械であり、ポインタールはその機械の “部品(部分)” である。その部品の条件は部品同士は互いに同じ部品であることである。部品が同じであることは定義のような文(a point is 〜)で表現される。

あるいは、俺らは最小単位の数尾一般名詞を「要素」と呼ぶ。しかし、俺らがポインタールを要素と呼ぶ時、俺らはポイントゥールはポインタールの和から構成されているという印象を持つ。しかし、この宗教では、俺らは別物であると認識する。要素という時、俺らはその要素が互いにくっ付いて、機能しているような印象がある。日本列島を構成する島は要素でなく部分に近いだろう。

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