この宗教は世界宗教でなく、民族宗教や部族宗教に近い。例えると、神道やユダヤ教に類似する。神道は大和民族の宗教であり、ユダヤ教はユダヤ教徒のための宗教である。それに対して、仏教やキリスト教は人類愛や普遍性を重視しているように見える。
以下で、俺はこの宗教の精神を提示する。この宗教は人類愛も他者への救済も説かない。他者はお好きにどうぞ。
1 この宗教の精神〜自力〜
この宗教の精神は次である。モンゴロイド人種は彼ら自身の宗教を彼ら自身で形成せよ。ネグロイド人種は彼ら自身の宗教を彼ら自身で形成せよ。コーカサス人種は彼ら自身の宗教を彼ら自身で形成せよ。
彼らは他人の宗教に依存するな。彼らは他人の宗教に乞食するな。自分の宗教くらい、自分で作れ。
これは小人種や民族や部族、そして個族にも応用される。加えて、雌や女もまた自己の宗教を彼ら自身で形成せよ。俺らは何も他人に与えない。自分でやって。自力でやって。
2 人種と宗教
俺らは人種を含む自然を否定しない。例えば、東洋人にも、キリスト教徒が存在する。しかし、キリスト教徒の東洋人の大部分は「契約」や「法」それ自体を認識できない。
これはコーカサス人との違いである。彼らは契約や法を非常に重視する。たとえ東洋人がキリスト教徒やユダヤ教徒に改宗するとしても、彼らは契約それ自体をどうしても認識できない。ユダヤ教やキリスト教、そしてイスラム教は中東で発祥した。
そして、その宗教はコーカサス人種のための宗教である。その宗教はモンゴロイド人種やネグロイド人種のための宗教でない。東洋人がそれらに接するとき、彼らは「違和感」を覚える。俺らはその違和感を否定しない。
3 キリスト教の押し付けの弊害
個人的に、俺はキリスト教の押し付けを非常に嫌う。そして、彼らはキリスト教を世界宗教にしようとしていることに強烈な不快感を覚える。俺は彼らに「勝手にキリスト教をやってろ。お俺らに押し付けるな」と強く思う。
ユダヤ教や神道、ゾロアスター?やヒンドゥー?、その他などの民族宗教や部族宗教は少なくとも俺にとってうざくない。なぜなら、彼らは彼らの価値観を俺に押し付けようとしない。俺のような人間から見ると、閉鎖的な宗教の方がうざくない。
俺らもこの種の価値観を採用する。俺らは非常に閉鎖的な宗教を形成する。俺らはアメリカ大陸でのキリスト教の押し付けと文明破壊のような悲劇を防止する。