宗教と商売

 この宗教では、俺らは商売法(商慣習)をこの宗教から導く。一般的に、商売は富の規範や契約、義務、利益や損害に関係する。

また、会社内では、キリスト教的な男女平等が真理であるか、男女公平が真理であるかが問題になる。つまり、宗教は商慣習にも頻繁に関係する。加えて、宗教は会社内における性規範にも関係する。

大和民族は彼ら自身の性規範を持たない。だから、彼らの労働慣習はすぐに「サークルの姫化」する。俺らはこれを肯定しない。

1:観察

 俺らが世界の人々を観察する時、文明や人種や宗教の違いが商慣習の違いを与えていることに気づく。俺らは宗教や文明が商慣習と導いていると憶測する。なぜなら、宗教は善悪や富の規範や約束に対する認識を与える。

さらに、宗教は借りたお金を返すという義務や利益や損害を定める。実際、キリスト教徒の白人とユダヤ教徒の白人は異なる富の規範や商慣習を持っている。後者はより商売上手である。

しかし、それは彼らの遺伝子よりも彼らの価値観(宗教)に依存するだろう。また、インド人の商人やアルメニア商人(おそらくキリスト教?)やイスラム教徒のアラブ人の商売も独特である。なぜなら、宗教や文明の違いが独自の商慣習を人間に与える。

2:大和民族と商慣習

 大和民族は独自の宗教や文明を持たない。だから、彼らは彼ら自身の商慣習を持たない。なぜなら、宗教や文明が商慣習を与えるが、彼らは商慣習を与える原因を持たない。

彼らは宗教や文明が商慣習を与えることすら認識できないように思える。さらに、彼らは商業すら認識できない。大和民族は商売下手でなく、動物と同じように、商売それ自体を認識できない。

彼らは商慣習の違いに接した時、彼らはそれを文明や宗教の違いに結合させれない。そのため、彼らは「グローバル・ビジネス」などと寝言を言う。彼らは自己の商慣習を持たないので、西洋と東洋と中東における商慣習が異なることすら認識できないように思える。

3:商慣習の実際

富の規範

 宗教は富に対する規範を与え、その規範は商慣習に影響を与える。例えば、キリスト教では、富は汚いものであるように思える。この種の世界では、商業は発展しないし、富に対する嫉妬心が生まれる。

創造主と所有行為

 無神論者と有神論者では、所有行為に対する認識も異なる。なぜなら、もし創造主がこの世界を創造したならば、人間がそれを所有することは正当であるのかと言う問いが存在する。

これはみんなが富をみんなで所有するか、個人が富を所有するかの違いにも関係する。 

契約

 人間が商業を実行する時、人間は他者との約束について考える必要がある。人種や宗教や文明に応じて、正当な約束とは何であるかが互いに異なる。

約束は人工的な何かであり、自然界には存在しない。だから、宗教がその約束とその正当性を与える。例えば、西洋では、約束はプログラムのように自動的であるように思える。

それに対して、東洋では、約束は他者との信頼である。東洋人は契約を重視しないし、契約書を書かない。けれども、彼らは人間関係における他者との信頼を重視するように思える。

性規範

 IT技術者や学者は性規範を持たない。彼らは卑弥呼みたいなサークルの姫を形成する。その結果、彼らは組織を崩壊させる。

性規範なしに、俺らは円滑な商業活動を実行できない。上記の動物は性規範を持たない。この種の動物がまともな人間組織や文明を作ることはできない。

おまけ:損害と利益

 この宗教では、俺らは損害や利益も宗教から導く。現在、損害や利益は数字や数学で表されている。

しかし、俺らは何が損害であるかは宗教的なものであると信仰する。これは肉体に対する価値観にも関係する。この信仰では、俺らは肉体を俺ら自身と認識しない。

だから、肉体は動く資産であり、車体と同じであると認識する。この認識の下で、俺らは自己に対する損害や利益を計算する。

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