単語の付与と善悪

俺らの宗教(主体)
https://ja.wikipedia.org/wiki/論語

 これは上記の続きである。俺らは単語を対象やその存在、状態、運動に与え続ける。なぜなら、俺らは善悪をそれらに与えたい。

善悪を与えるためには、俺らは対象をきちんと定めて、新たな名前を与える必要がある。だから、俺らは単語を付与し続ける。

1:なぜ単語を与える?

 理由 俺らが単語を対象に与えるとき、俺らはその対象への善悪を与えることができる。だから、俺らは単語を積極的に与える。

 日本人は単語を対象に与えようとしてこなかった。特に、俺らは単語を彼らの行為(動詞)に与えようとしてきてこなかった。その結果、彼らは動詞に関する豊富な単語を持ってこなかった。

なぜなら、彼らは行為の善悪を考えてこなかった。俺の印象では、ある人間が推論や善悪に興味を持たないとき、その人間は単語を対象に与えることにも興味を持たない。なぜなら、彼らは単語に推論や善悪を適用しようとしてこなかった。

2:陽付けと条件

 共通認識 陽付けとは、人間が新たな陰陽、病を対象に対応づける行為である。

 この信仰では、俺らは陽付け行為を重視する。俺らはこの行為を頻繁に繰り返す。

条件と操縦

 共通操縦 もし君が対象を把握するならば、君はその対象に対する善悪を与えよ。または善悪を常に考えよ。

 簡単にいうと、君はあらゆる対象の陰陽を考える習慣を持ちなさい。その時、君は単語を対象に与える必要性を実感できる。