異人種及び異民族及び異教徒への自己の宗教的な言語の無料での付与に関して

俺らについて
https://ja.wikipedia.org/wiki/バベルの塔

 現代の世界では、英語は世界言語である。その世界言語は標準語として多くの人々に押し付けられてきた。この言語はもともとアングロ・サクソンの言語であった。

しかし、モンゴロイド人種もコーカサス人種もネグロイド人種も同じ言語を話すとき、俺らは言語に関する人種的な問題に遭遇するようになった。例えば、俺らは日本語を西側白人やネグロイド人、そして耶蘇の朝鮮人に与える時、彼らは大和民族をその日本語で「差別主義者」と侮辱してくる。もしこの種の状況が生じるならば、その時、俺らは日本語を彼らに学ばせない方がより良いと感じるだろう。

または、英語や日本語それ自体は無料であるのかという問題が存在する。例えば、ユダヤ教徒の西側白人が日本列島へとやってきて、日本語を学び、無料で使用して、商業に携わる。そして、彼らは商業的に成功して、富裕になった後、彼らは土着の原住民(モンゴロイド人種)を「高貴な野蛮人(noble savage)」とかつてのキリスト教徒の西側白人のように侮辱してきたり、キリスト教やユダヤ教的な価値観を押し付ける。

 この時、俺らはバベルの塔を思い出して、俺らは同じ言語を話さない方が良いのでないかと感じる。

 全ての地は、同じ言葉と同じ言語を用いていた。東の方から移動した人々は、シンアル[4]の地の平原に至り、そこに住みついた。そして、「さあ、煉瓦を作ろう。火で焼こう」と言い合った。彼らは石の代わりに煉瓦を、漆喰の代わりにアスファルトを用いた。そして、言った、「さあ、我々の街と塔を作ろう。塔の先が天に届くほどの。あらゆる地に散って、消え去ることのないように、我々の為に名をあげよう」。主は、人の子らが作ろうとしていた街と塔とを見ようとしてお下りになり、そして仰せられた、「なるほど、彼らは一つの民で、同じ言葉を話している。この業は彼らの行いの始まりだが、おそらくこのこともやり遂げられないこともあるまい。それなら、我々は下って、彼らの言葉を乱してやろう。彼らが互いに相手の言葉を理解できなくなるように」。主はそこから全ての地に人を散らされたので。彼らは街づくりを取りやめた。その為に、この街はバベルと名付けられた。主がそこで、全地の言葉を乱し、そこから人を全地に散らされたからである

https://ja.wikipedia.org/wiki/バベルの塔

自己の宗教言語の付与に関して

 俺らの信仰:俺らが俺らの自己の言語を異教徒へと与えることは病(レッドカード)である。

 俺らが俺らの自己の言語を異教徒へと与えることは病である。自己の言語とは、日本語や中国語でなく、俺らの宗教的な言語である。例えば、ユダヤ教の言語はヘブライ語であるが、ユダヤ教で例えると、俺らはヘブライ語を異教徒に与えることは悪い(レッドカード)と判断する。

証明は?〜解釈の提示〜

 現時点では、俺らは分岐の観点から証明できない。だから、俺らは上記の解釈を提示する。例えば、俺らは俺らの先祖が作り上げてきた日本語を「富」の一種と解釈する。

その時、俺らはその富を異人種や異民族、宗教の場合は異教徒に無料で与えている。けれども、俺らが自己の言語を形成する場合、俺らは強い意志と労働を必要とするだろう。けれども、その労働に対する対価や言語の使用料は支払われない。

この違和感はインターネットを発明した人間が富裕になれず、マイクロソフトやグーグルやその他のIT企業が富裕になり、強大な政治的な影響力を持っていることに似ている。自己の言語なしには、自己の名前すら呼ぶことができない。

自己の宗教言語の付与に関する問題点

人種的な侮辱

 俺らが異人種や異民族、そして異教徒と同じ言語を共有する時、俺らは彼らから人種的な侮辱を受ける。彼らは俺らの言語を無料で使用しながら、彼らは言語という富を与えた主体を人種的に侮辱する。俺はこの種の強烈な侮辱に違和感を覚える。

もし俺らが人種的に侮辱されるならば、その時、俺らは同じ言語を話さない方が良いのでないと感じた。実際、ネグロイド人種は自己の言語や文字を満足に作れないのにも関わらず、彼らは日本語与えたモンゴロイド人種を「差別主義者」と人種的に侮辱している。俺は非常に悲しく、辛い。

これはネグロイド人種だけでなく、朝鮮人も中間種も中間族も西側白人も日本列島の上の日本人を人種的に侮辱するために、彼らは日本語を悪用する。彼らは日本人を差別主義者に仕立て上げて、悪魔化するために、日本語を使用している。当然であるが、そこまでして、俺らは彼らと日本語を共有したいと感じない。

損害と利益

 俺らが自己の言語を与えるとき、俺らは二つの利益を考えることができる。一番目の利益とは、商業圏の拡大である。二番目の利益とは、自己の言語による異人種や異民族の思考の統治(管理)である。英語や中国語、そして日本語には、独自の音や文法が存在して、それは人間の脳に影響を与えているように見える。

実際、英語を話す人々はどこか攻撃的であり、日本語を話す人々は穏やかである。俺らが俺らの脳を言語で機械的に管理したい時、俺らは英語がそれに長けているように感じる。一方、俺らが俺らの脳を言語で感情を察するように管理したい時、俺らは日本語や声調のある中国語が長けているよういに見える。

しかし、この種の商業的な理由や外部からの管理や統治に関する問題を考慮するとしても、俺らの受ける損害は利益を凌駕しているように見える。

 

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