東京都足立区議会で9月、自民党の男性区議がLGBTなど性的少数者に関して、同性愛が広がれば足立区は滅びるとの趣旨の発言をしていたことが分かった。区議は本紙の取材に発言を認め「少子化の中、子どもを産み育てる大切さを教育の場で伝えてほしいとの趣旨だった。差別する意図はない」と釈明した。当事者らからは認識不足や差別的だとの批判が出ている。 (奥野斐)
発言したのは自民党の白石正輝区議(78)=当選11回。9月25日の区議会定例会の一般質問で、少子高齢社会への対応を問い、「あり得ないことだが、日本人が全部L(レズビアン)、G(ゲイ)になったら次の世代は一人も生まれない」「LだってGだって法律に守られているという話になったのでは、足立区は滅んでしまう」と発言した。区側は答弁でLGBTに触れなかった。
白石区議は、取材に「レズビアンやゲイは本人の生き方の問題であり、干渉する気はないが、法律で保護しようという動きには反対。(その生き方を)認めようと思わない」と話した。
当事者団体「LGBT法連合会」の神谷悠一事務局長は「教育によって同性愛者が増えたり減ったりすることはなく、少子化に結び付けること自体が誤っている。正確な事実に基づき発言してほしい」と指摘した。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/59502
上記の速報を見て、俺が感じた違和感を以下で提示する。一番目は法律的な問題であり、二番目は歴史的な問題であり、三番目は民族侮辱的な発言である。
なお、俺は上記の発言が問題であると審判しない。
1章 同性愛は大局的に自立できるか?
同性婚における大局的な自立の欠如 同性婚を法律で認めることは不要である。なぜなら、同性愛者は異性愛者から大局的に自立できない。
俺は同性婚に反対である。なぜなら、彼らは異性婚から大局的に自立できない。もし彼らが同性婚を認めて欲しいならば、彼らは国家から独立して、自分たちで同性婚国家を建設すれば良い。
もし彼らが大局的に自立できないないにも関わらず、彼らは同性婚を求めるならば、その状態は異性婚の人間い大して負担を与えている。他者への負担は損害であり、埋め合わせや罰が必要である。
白石は「あり得ないことだが、日本人が全部L(レズビアン)、G(ゲイ)になったら次の世代は一人も生まれない」「LだってGだって法律に守られているという話になったのでは、足立区は滅んでしまう」と発言したが、彼の発言には一理存在する。大局的に自立できない人間とは、介護老人や痴呆老人と同じである。俺らは彼らを抹殺する必要はないが、彼らの自由な権利は不要である。
大局的に自立できない介護老人に選挙権を与えるならば、その時、その過程は崩壊するだろう。同様に、大局的に自立できない同性愛者が同性婚の平等な権利を持つならば、その時、社会は崩壊するだろう。
2章 歴史的な問題
歴史的な問題 東洋文明と西洋文明は互いに異なる歴史的な事情を持つので、西洋文明における同性婚の視点を東洋文明に持ち込むことは悪い(レッドカード)。
上記の発言で気になったのは、なぜか西洋文明の視点で、白石の発言が「差別」と批判されることである。西洋文明では、同性愛の存在は「罪」であった。それに対して、東洋文明は罪の概念をそもそも持っていないので、同性愛は罪でなかった。
一般的に、人種や文明や宗教が異なるとき、生物的な性や人工的な性のあり方が異なる。西洋文明と東洋文明では、性のあり方が異なってきたので、白石の発言を西洋文明の文脈で捉えることは間違いである。
上記の白石もおそらく、同性愛を罪であると考えていない。だからこそ、彼は「レズビアンやゲイは本人の生き方の問題であり、干渉する気はないが、法律で保護しようという動きには反対。(その生き方を)認めようと思わない」と発言した。生き方の部分は悪意ある間違いであり、法律による同性婚を認めようと思わないである。
3章 民族侮辱的な発言
同性婚 同性婚に関する運動はモンゴロイド人種である大和民族を差別主義者に仕立て上げ、萎縮させる運動である。
日本国における同性愛の運動は単なるマウンティングと民族侮辱的な運動になっている。彼らは西洋文明(キリスト教)に無関係な大和民族を差別主義者に仕立て上げている。加えて、彼らは白人が決定した失言の基準を日本人に当てはめて、上記の速報のように炎上を意図的に作り出している。
歴史的にも宗教的にも正当性を持たない運動は必ず失敗する。結局、日本国における同性愛の運動は、他人を白人様の価値観で殴って、マウンティングしたいだけであるように思える。誰も彼らの運動を真面目に受け取らないだろう。キリスト教徒でもない色付きを「差別主義者」と侮辱させて嫌がらせすれば、同性愛に対する印象が悪くなるのは当然である。
もし同性愛者が彼らの権利を獲得したいならば、彼らは良い印象を非キリスト教徒の東洋人に与えるべきである。