ヌシの復活と信仰

宗教家
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 この宗教では、俺らは俺らの子孫が俺らのヌシの復活を実現させることを信仰する。以下では、俺はなぜ俺らがこの種の信仰を採用するのかを提示する。

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応答背景

自由意志

 自由意志:もし俺らの肉体の運動が完全に自動的でないならば、俺らの肉体の運動は自然界における決まりに完全には束縛されていない。

 もし俺らの肉体の運動が完全に自動的でないならば、俺らの肉体の運動は自然界における決まり(自然法則)に完全には束縛されていない。古代ギリシアでは、この考えは自由意志の存在に結びついてきた。もし俺らの肉体の運動が完全に自動的であるならば、その時、俺らの肉体の運動は自然界における決まりに完全に従って運動する。

その時、俺らの肉体の崩壊、つまり俺らの死は自然法則に沿って完全に自動的に生じる。なぜなら、それは自然界における決まりである。けれども、もし俺らの肉体の運動は完全に自動的でないならば、俺らの死は自然法則に沿って完全には自動的に生じないだろう。

言い換えると、その時、俺らの肉体の死は自然法則と少し異なる形で生じるだろう。例えば、サッカーという運動競技システムでは、選手の運動は自然法則やサッカーの決まりに沿って機械のように完全には自動的でなく、非自動的な部分(ゆとり)が存在するように見える。ただし、たとえ選手の運動の一部は日自動的であるとしても、その競技にも試合にも選手にも終わり、つまり死が訪れるだろう。

分岐と信仰

分岐と信仰

 分岐と信仰:俺らはもし俺らの主体(ヌシ)が物質的世界や蟲的世界から分岐しているならば、俺らは物質的世界における決まりには完全に束縛されないだろうと信仰する。

 俺らはもし俺らの主体(ヌシ)が物質的世界や蟲的世界から分岐しているならば、俺らは物質的世界における決まりには完全に束縛されないだろうと信仰する。この信仰は上記の考えに少しだけ似ている。けれども、俺らは俺らのヌシや蟲が物質世界から分岐しているので、俺らの肉体は完全には自動的には運動しないと信仰する。

俺らの肉体は物質世界の決まりに完全に束縛されている。けれども、俺らの蟲やヌシが物質世界から分岐しているので、俺らは物質世界の決まりに完全には束縛されていないと信仰する。つまり、ヌシの世界や蟲の世界は物質世界から分岐しているので、物質世界の決まりからも独立している。

もしある国民やサッカー選手が国家やサッカーというシステムから離脱するならば、その時、彼らはそのシステムにおける決まりに束縛されずに生きるだろう。同様に、俺らの蟲やヌシは物質的な世界から分岐しているので、俺らは物質的世界における決まりには完全に束縛されないだろうと信仰する。

分岐と復活

 分岐と復活:もし俺らのヌシが物質世界の決まりから分岐しているならば、その時、俺らは俺らの子孫が俺らのヌシの復活を実現させるだろうと信仰する。

 もし俺らのヌシが物質世界の決まりから分岐しているならば、その時、俺らは俺らの子孫が俺らのヌシの復活を実現させるだろうと信仰する。俺らの経験則では、ホモ・サピエンスの全ては死んできた。しかし、俺らはこの経験則を物質世界における経験則と信仰する。

彼らは物質世界を見て、この種の経験則を導き出した。だからこそ、俺らはこの種の経験則は物質世界では成立しているように感じる。しかし、この宗教では、俺らのヌシは物質世界から分岐している。

だから、俺らは物質世界では生じないことやできないことができるだろうと信仰する。言い換えると、物質世界では、俺らの肉体は自動的に破壊されるだろう。けれども、もし俺らの主体が物質世界から分岐しているならば、俺らは物質的な世界とは無関係である何かをどこかに実現できるだろうと信仰する。

宗教家
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俺らについて