この宗教における日常的な目的〜善悪の付与〜

単語の付与と善悪
 これは上記の続きである。俺らは単語を対象やその存在、状態、運動に与え続ける。なぜなら、俺らは善悪をそれらに与えたい。善悪を与えるためには、俺らは対象をきちんと定めて、新たな名前を与える必要がある。だから、俺らは単語を付与し続ける。1:なぜ単語を与える? 理由 俺らが単語を対象に与えるとき、俺らはその対象への善悪を与えることができる。だから、俺らは単語を積極的に与える。 日本人は単語を対象に与えようとしてこなかった。特に、俺らは単語を彼らの行為(動詞)に与えようとしてきてこなかった。その結果、彼らは動詞に関する豊富な単語を持ってこなかった。なぜなら、彼らは行為の善悪を考えてこなかった。俺の印象では、ある人間が推論や善悪に興味を持たないとき、その人間は単語を対象に与えることにも興味を持たない。なぜなら、彼らは単語に推論や善悪を適用しようとしてこなかった。2:陽付けと条件 共通認識 陽付けとは、人間が新たな陰陽、病を対象に対応づける行為である。 この信仰では、俺らは陽付け行為を重視する。俺らはこの行為を頻繁に繰り返す。条件と操縦 共通操縦 もし君が対象を把握するならば、君はその対象に対する...

 この宗教では、俺らは次の目的を達成する。以下の目的は教祖、つまりこの人工的な世界の創造主によって与えられる。この宗教における目的は分岐と俺のヌシの達成であるが、以下は日常的な目的である。

1章 目的

 目的 信仰者は陰陽と病を任意の対象の存在及び状態及び運動に与えよ。

 信仰者は陰陽と病を任意の対象の存在及び状態及び運動に与えよ。物質世界には、善悪(つまりレッドカード)は存在しない。俺らは物質世界から分岐された主体であるので、俺らは善悪を俺らの意志で創造できる。

俺らはこの世の全ての対象の存在と状態と運動に俺らの善悪、つまり陰陽と病を与える。これは科学者が物質世界に関する情報の全てを公理から構築するような壮大な任務(目的)である。自然界に対する探求では、俺らは自然界を観察すれば、自然界の仕組みを理解できた。

しかし、善悪の付与はたとえ俺らが物質世界を観察するとしても、俺らはそれを一生発見できない。俺らはそれらを人工的に(整合性ある形)で創造する必要がある。おそらく、これは自然界に関する情報製造とは異なる難しさを持っている。

 しかし、自然界の探求と同様に、この世の全ての対象の存在と状態と運動に陰陽と病を与えることは浪漫があるだろう。創造主としてのロマンが詰まってる。

章 正当化

 詳細な正当化はあとで実行する。陰陽や病は分岐された対象である。だから、それら自体は陽である。分岐された対象を物質世界や蟲世界に与えることは陰陽かは不明であるが、陽とする。すると、上記の目的と行為が正当化される。

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