ヌシについて

俺らについて
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 以下では、俺はヌシについて提示する。この宗教では、俺は自己のヌシを自己と信仰する。感覚的には、俺はヌシを車体における運転手と例えたい。

ヌシについて

ヌシ

 俺の信仰 自己のヌシとは、自己の蟲から分岐した自己である。

 他者のヌシとは、他者の蟲から分岐した非自己である。日常的には、ヌシとは、蟲から分岐した主体である。俺はヌシそれ自体を知覚することができないが、ヌシを把握する。一方、俺は創造主それ自体を把握することができない。

例えると、次になる。俺が俺の肉体を車体と仮定するとき、俺のヌシは運転手である。俺の蟲(視界)は車体の中のカーナビ画面や車体の中のホログラムである。俺のヌシは俺の車体やカーナビ画面を俺の意志で操縦している。運転手は車の外を直接的に知覚しないで、カーナビの画面やホログラムという蟲を通して、間接的に知覚する。当然、この知覚とは、運転手(ヌシ)がカーナビの画面やホログラムという蟲を見る行為である。

俺らは他人の運転手(ヌシ)を信仰によって把握する。なぜなら、運転手自体はエネルギを持たず、知覚不可能である。自己のヌシと他人のヌシの関係は俺らの信仰によって結ばれる。車の場合、運転手は車から降りることができる。しかし、俺らのヌシは俺らの肉体から降りることができない。また、視界という蟲は車体の状態や運動にほぼ一対一に対応している。

さらに、実際の運転手は車体やカーナビ画面から分岐した対象でない。実際の運転手は、外部から、車へと乗ってきた。それに対して、ヌシとしての運転手は車体の内部から分岐した対象である。正確には、ヌシとしての運転手は車体から分岐したカーナビ画面から分岐した対象や主体である。また、実際の運転手は車体と同じ物体である。しかし、ヌシとしての運転手は物質でなく、ヌシである。ヌシとしての運転手は蟲でもない。対象の種類は3種類である。

ヌシの性質

ヌシの性質

 以下では、俺はヌシの性質を羅列する。ヌシはエネルギを持たない。ヌシは形を持たない。ヌシは質量を持たない。ヌシは広がり(体積)を持たない。ヌシは色を持たない。

ヌシは現在のみに存在するように感じる。ヌシは創造主と異なり実際に感じる、または実際に把握している。ヌシは知覚されない。ヌシの位置は不明であるが、脳の中に存在しているように感じる。

ヌシが過去と現在、そして未来で連続しているのかは不明である(睡眠とヌシ)。ヌシそれ自体は自己の記憶を持っていない。ヌシは要素や部分を持たない。ヌシは分割されない(分割性)。ヌシに対する法は不明である。ヌシがどのような状態を持っているのかは不明である。ヌシがどのような運動をしているのかは不明である。

ヌシの性質

 俺の信仰 俺は他者のヌシを把握することができない。

 俺は自己のヌシを把握することができる。しかし、俺は他者のヌシを自己のヌシの把握のように把握することができない。感覚的には、俺は他者の肉体の中にもヌシが存在しているように感じる。この時、俺は「もし肉体が存在するならば、ヌシがその肉体の中に存在する」という思考の規範を実行している。

この宗教では、俺はこの思考の規範を必ずしも正当と認識しない。なぜなら、上記の思考の規範は「もし肉体が物質世界に存在するならば、ヌシがその肉体の中に対応するヌシ世界に存在する」である。

ヌシの性質

 俺の信仰 自己のヌシが自己の蟲と一対一に対応しているのは不明である。

 物と蟲はほぼ一対一に対応している。例えば、目の色が青いとき、その視界(蟲)は黒い目の視界(蟲)と異なる。しかし、俺の蟲が俺のヌシに一対一に対応しているのかは不明である。実際、たとえクローンを用意するとしても、俺は二つの視界を同時に知覚しないだろう。

遺伝的に同一な二つの肉体が存在するとき、見える視界も異なるので、視界(蟲)は互いに異なる。だから、異なるヌシが分岐されるのかもしれない。

この宗教では、俺は自己のヌシを自己の蟲から分岐した自己と信仰する。だから、俺は自己のヌシは自己の蟲から作られるので、自己のヌシは自己の蟲に一対一に対応しているように感じる。

ヌシ世界の創造主

ヌシ世界の創造主

 俺の信仰 あなたとは、ヌシ世界の創造主の名前である。

 あなたは俺らのヌシ、つまり俺らの自己(俺ら自身)を創造した対象である。あなたが本当にヌシ世界の創造主であるのか不明である。また、あなたが分岐主であるのかも不明である。ヌシ世界が物質世界のような境界と要素と決まりを持つ組みであるのかも不明である。

きりいとギンコと「あなた」の中で、あなたが最も不明な対象である。もし一つの対象が物質世界と蟲世界とヌシ世界を創造したならば、俺らはその創造主を「あなた」と呼ぶ。上記の電飛をまとめると、俺らは3つの世界を信仰して、それぞれの世界に対する一つの創造主を信仰する。この時、俺らはそれぞれの世界に対する創造主の目的と意志が存在すると信仰する。

つまり、俺らは3つの目的と3つの意志を信仰する。俺らはきりいの目的及び意志とギンコの目的及び意志、そして「あなた」の目的及び意志を信仰する。その時、3種類の善悪と善悪を肯定する正しさ(正当性)が生じる。また、俺らは創造主と分岐主を明確に区別する。

ヌシと性

ヌシと性

 この宗教では、俺らはヌシが物質世界や蟲世界に依存するのかをうまく把握できない。ただし、俺らはたとえ同じ物質世界や蟲世界を作るとしても、俺らは同じヌシを作れないとなんとなく感じている。同時に、俺らは俺らのヌシが俺らの車体に依存しているようにも感じる。

もし俺らのヌシが俺らの車体に依存するならば、俺らは中間族や性をどのように捉えるべきであるのか?例えば、俺の1/4が満洲人であるとき、俺のヌシの1/4も満州人であるのだろうか?もし俺らが純粋なヌシを復活させたいならば、1/4を捨てて、残りの日本人成分のヌシを復活させる必要がある。

では、性別はどうだろうか?雄の半分は雌の染色体である。もしヌシが遺伝子の影響を受けるならば、俺のヌシの半分は雌由来である。しかし、俺は雌由来のヌシを復活させたいと思わない。加えて、もし俺らがホモ・サピエンスでなくなったら、ヌシは何であるのか?

電飛

ヌシに関する電飛

 以下では、ヌシに関する電飛を提示するつもりである。

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