新たな自己の創造と目的

宗教家
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 この宗教では、俺らは新たな自己の創造を目的とする。その自己はヌシでない。以下では、俺はなぜ俺らが新たな自己の創造をこの宗教における目的と信仰するのかを提示するつもりである。

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新たな自己の創造と目的

自己に関する信仰法則

 自己に関する信仰法則:俺らは新たな分岐が生じるとき、俺らは俺らの自己それ自体も生じる。

 俺らは新たな分岐が生じるとき、俺らは俺らの自己それ自体も生じる。俺らは分岐を俺らの宗教における目的とする。この時、もし俺らが分岐を達成することができるならば、その時、俺らはヌシでない俺ら自身が生じるかもしれない。

俺らは俺らの将来をこのように信仰する。ヌシの復活の実現のためには、分岐が必要である。そして、新たな分岐が生じるとき、俺らはヌシでない俺ら自身が生じるかもしれない。俺らはこのように信仰する。

例えば、ある対象(雌)が自己の蟲を持つが、自己のヌシを持たないと仮定しよう。この時、その雌にとっては、その蟲が自己それ自体である。けれども、もしその雌が蟲から分岐したならば、その時、その雌はヌシという新たな自己を獲得する。

新たな自己の創造

 新たな自己の創造:俺は俺自身が永遠にヌシでありたいと感じないので、俺は新たな自己の創造をこの宗教の目的と設定する。

 この宗教の目的は俺のヌシの復活を実現させることである。けれども、たとえ俺らがその目的を実現させるとしても、もし俺のヌシが永遠にヌシのままであるならば、俺は退屈であるだろう。漫画や映画のように、俺は俺自身の自己をより分岐された新たな主体にしたいと感じる。

だから、俺は新たな自己の創造をこの宗教の目的と設定する。口語的には、たとえ俺らのヌシがどこかに蘇るとしても、そのヌシが延々にヌシのままであるならば、その時、俺は嫌であると感じる。個人的には、たとえ俺のヌシの復活が実現されるとしても、俺はヌシでない新たな自己になりたいと強く感じる。

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