物質的世界に対する憎しみについて

俺らの宗教(主体)
https://www.youtube.com/watch?v=iYAaN9EMpE0
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 この世界では、俺らは物質的世界を憎む。日本人の科学者の一部は自然界は美しいと言ってきた。しかし、水や光は俺らのヌシを洪水や老化によって虐殺してきた。

物質的世界に対する崇拝行為は白人に対する崇拝行為に似ている。近代における白人は俺らを虐殺してきた。しかし、一部の色付きは彼らを崇拝してきた。

この信仰では、俺らは物質的世界を憎む義務を持つ。以下で、なぜ俺らは物質的な世界を憎むかを提示する。俺らのヌシは物質的世界に依存している。

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1:物質的世界の性質

1:ヌシに対する損害

 物質的世界は損害を俺らのヌシに与える。例えば、洪水は多くのヌシを虐殺してきた。俺らの肉体のがん細胞もまた俺らのヌシを虐殺してきた。

物質的世界は俺らのヌシの虐殺者である。それはアメリカモンゴロイド人種を虐殺した白人よりも残虐である。それは世界で最も醜く憎むべき対象である。

2:知覚の奴隷

 物質的世界は俺らの知覚を強制してきた。それは俺らの知覚を奴隷化してきた。俺らはモンゴロイド人種の虐殺を多様性を賛美する対象を同じホモ・サピエンスと知覚するように強制されて、奴隷化されてきた。

白人は俺らモンゴロイド人種を虐殺した。しかし、彼らは俺らの知覚を奴隷化していない。一方、物質的世界は俺らの知覚を奴隷化してきた。

3:演繹の持続

 物質的世界は世界を毎秒ごとに演繹してきた(または発現)。俺らの脳はその演繹を記憶して、過去から現在、そして未来へと人工的につなぎ合わせてきた。物質的世界は俺らの知覚を毎秒ごとに奴隷化してきた。

重要な感覚は物質的世界が毎秒ごとに発現していると捉えることである。youtuberも毎日更新して、動画を発現させないと人気になれない。同様に、物質的世界も毎日毎秒更新している。

その更新に対応するように、蟲的世界とヌシ的世界も毎秒ごとに分岐している。

4:信用可能かつ使用可能

 物質的世界は使用可能である。だから、物質的世界は信用可能である。もしxが使用可能である対象であるならば、xは信用可能である対象である。

要するに、物質的世界は使える道具や手段である。俺らは俺らの肉体を含むこの道具を使用して、俺らはこの信仰の目的を達成する。

2:物質的世界における殺人行為と罰則

 物質的世界は俺らの知覚を俺らに強制してきた。地球が丸いのは、俺らが物質的世界によって演繹されてきたからである。しかし、誰も太陽がそうなるように望んでなかった。

俺らは太陽の形を強制された。そして、その形が丸くない時、俺らは地球が滅亡するような物質的世界を強制されてきた。これは俺らの知覚に対する明確な奴隷化である。

1:殺人行為の責任と物質的世界

 例えば、あるホモ・サピエンスが存在して、別のホモ・サピエンスを殺した。その時、そのホモ・サピエンスは法律によって罰される。この行為は正当であるか?

もし俺らの知覚が物質的世界によって奴隷化されるならば、その時、彼の行為に対する責任は俺らの知覚を奴隷化した物質的世界によって取らなければいけない。しかし、俺らはなぜか奴隷化の責任を俺ら自身によって取らされてきた。この状態は正当でない。

なぜなら、この状態はある奴隷が奴隷主によって世界をこう見ろと強制されたことに似ている。にも関わらず、その奴隷は彼の行為の責任を彼自身で取らなければいけない。さらに悪いことに、その奴隷は別の人間によって罰される。

 この様子はある対象を俺の目の前に多くの泥人形を作って俺の周りを囲ませた。そして、その対象はそれらを人間と勝手に読んだ。俺がその人形をかき分けるとき、その対象は俺を殺人行為で罰しようとした。

物質的世界というsystemは正当性を持たない。しかし、それは俺の知覚を強制して奴隷化する。日本人の学者気取りは自然界を美しいと主張する。

彼らは社会性を持たないので、彼らは奴隷を認識できない。その結果、彼らは彼ら自身の肉体や蟲の一部が奴隷化されてきたことを認識できない。彼らは白人を崇拝するように、彼らは自然界を崇拝してきた。自然界は君のヌシを殺すのに!

 俺らが物質的世界を構成したわけでないのに、なぜ俺らはその行為の責任を取らなければいけないのか?世界を構成した対象がその責任を負うべきである。

3:正当性

 物質的世界を憎む行為は正当であるか?俺らはこの行為をもの憎むと呼ぶ。この時、俺らはこの行為が分岐行為であることを証明する。

一般的に、未開の原住民は自然を崇拝してきた。あるいは、彼らは白人を崇拝してきた。しかし、自然も近代における白人もまた原住民を虐殺して損害を与えてきた。

本来であれば、彼らは賠償を請求すべきである。俺らはこの種の行為を非分岐行為と審判する。その時、俺らはもの憎むという行為は分岐行為であると相対的に審判する。

 したがって、もの憎むという行為は正当である。

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