なぜ現代美術(モダンアート)はゴミクズか

欧州文明
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 現代アートって結局言ったもん勝ちじゃありません? 私が現代アートを理解するだけの芸術性がないのかもしれませんが、 現代アートって「これがアートです」って言ったもん勝ちのような気がして仕方がないのです。 いわゆる芸術家気取りな人の自慰行為を見せつけられてる感じです。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1237389487

 現代美術は非常に胡散臭い。その胡散臭さは気功の達人や合気道の達人、ソーカル事件のそれと同じである。以下では、俺らはなぜ現代美術(モダンアート)はゴミクズかを提示する。

その理由には、「言葉を優先する」と「定義重視で認識軽視」、そして「白人は地中海や中東にやってもらわないと、迷走する」があるように思える。なお、俺は欧州人の大部分は発達障害やアスペルガーでないかと疑っている。

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理由〜言葉の優先〜

 理由:欧州人は自己の言葉を何よりも優先する。

神は言葉あれと言った

 欧州人の世界では、言葉が初めに存在する。その後に、世界が存在する。初めに、言葉や理屈が存在して、その後に世界が存在する。その結果、現代美術のような奇妙な世界が生まれる。

たとえある美術がごみくずであるとしても、欧州人はそのゴミを彼らの言葉で綺麗に装飾する。欧州人の世界では、高尚な言葉による綺麗な装飾が初めに存在して、その後、物体が存在する。

白人はその種の理屈や言葉を初めに存在したものとみなす。または、白人は言葉や理屈を世界それ自体とみなす。だから、現代美術は実際にはごみくずであるように見えるにも関わらず、それが高尚なものとして扱われてきた。なぜなら、高尚な言葉がまず初めに存在して、それが世界の真実である。彼らの認識能力は低く、見えたものをしばしば否定する。

言語観がプログラム的(機械的)

 言語に対する欧州人の価値観は機械に対するプログラムに近いように思える。機械のプログラムにおいても、言語(プログラム)が初めに存在する。その後、人間がその言語を機械へと与えて、機械を運動させる。

現代美術における欧州人と言語の関係は機械とプログラムの関係に似ている。言葉や理屈がプログラムに対応して、現代芸術が機械に対応する。機械という欧州人にとって、プログラムという言葉が先である。だから、たとえゴミが欧州人の目の前に置かれるとしても、もし綺麗な言葉や理屈を並べられるならば、そのゴミはゴミでなくなる。

理由〜定義の優先と認識の軽視〜

 理由:欧州人は定義を優先して、認識を軽視する。その結果、美術が荒廃した。

認識の欠如

 白人は単語の定義に数学者のように執着する。その結果、彼らは現実に対する認識を軽視する。この種の考えは現代美術にも応用される。白人種は物体の定義を重視して言葉や理屈の存在を優先する。

だから、ゴミが言語上高尚な存在として定義される。欧州人はその定義を自己の認識よりも重視する。それに対して、東洋人は単語の認識に執着する。東洋人は日本人の定義でなく、日本人の認識を重視する。

初めに、重要なことは定義でなく、認識である。数に対する認識はその定義よりも重要である。コーヒーや日本人に対する認識はそれらの定義よりも重要である。そして、人間に対する認識は人間の定義よりも重要である。しかし、白人は人間の定義を重視した。

彫刻と欧州人

  欧州人は定義を優先して、認識を軽視する。その結果、彼らは幾何学的な像を製造することを苦手とする。実際、古代ギリシアや古代ローマは素晴らしい彫刻を残してきたが、欧州人はそうでない。

加えて、キリスト教カトリック派は質素でなく、荘厳な教会を形成する。それに対して、キリスト教プロテスタント派は質素であり、幾何学的な何かをあまり作らない。俺の印象では、この種の事実も欧州人の定義重視と認識軽視につながっている。

欧州人は定義を重視するので、機械的な数値計算や機械化、理論化に長けている。実際、欧州人は抽象的な近代科学や近代数学を得意とする。それに対して、地中海人は直感や認識を重視して、素晴らしい彫刻や幾何学、科学実験の第一歩を踏み出す。

理由〜文明の形成能力の欠如〜

 理由:欧州人は彼ら自身のソサエティや文明を彼ら自身で形成できない。だから、彼ら自身に形成させると、欧州人は基本的に迷走する。

  白人種は彼ら自身の宗教や文字や社会制度を持たない。古代地中海人種や中東人種が彼らの文明を間接的に創造してきた。だから、白人種は何かを彼ら自身で試みる時、彼らは迷走する。

その証拠として、21世紀における西洋は完全に迷走してきた。彼らは現代美術だけでなく、現代建築も社会運動も迷走してきた。白人種が古代地中海人種や中東人種が作った籠から抜け出そうとする時、彼らは必ず迷走してきた。

つまり、彼らは地中海人種や中東人種の遺産に依存しないで、何かを彼ら自身で行おうとする時、彼らは必ず迷走する。現代美術の迷走もこの種の考えの延長線上にある。彼らがキリスト教の影響から脱しようとする、またはそれに逆らおうとする時、彼らは迷走する。

 この種の状態は黒人の運動選手に似ている。黒人は高い運動能力を持つが、彼らは現代社会にうまく適応できてこなかった。彼らは白人が作った籠(見世物showとしての運動競技の世界)から抜け出そうとする時、彼らは必ず迷走してきた。

また、アメリカと欧州の関係は欧州と地中海及び中東の関係に似ている。アメリカは独自の何かを持たず彼らの自己認識のすべてを欧州人にやってもらってきた。だから、彼らが欧州の考え(民主制度や資本主義や三権分立)から脱しようとする時、彼らは迷走するだろう。