なぜ古代ギリシアのアリストテレスやアルキメデスはキリスト教化・イスラム教化されたのか?

地中海文明
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 古代ギリシアを含む地中海(トルコを含む)では、高度な科学や数学が発達していた。現在では、それらの地域はキリスト教化、またはイスラム教化されている。ローマのキリスト教化(313年)はその後の科学や数学の発展を阻害したと考えられているように思える。

以下では、俺はなぜ古代ギリシアはキリスト教化、またはイスラム教化されたのかを提示するつもりである。古代ギリシアも古代ローマも素晴らしい科学や数学、テクノロジーを持っていた。そして、彼らは牧歌的な多神教の世界に住んでいた。

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違和感

 俺の違和感:多神教や無神論、無宗教の方が科学や数学に向いているように見える。にも関わらず、なぜ古代ギリシア人はキリスト教やイスラム教に改宗したのだろうか?

 一般的には、多神教の方が自然界を観察することに向いているように見える。にも関わらず、古代ギリシア人は一神教に染められて、彼らは彼らの神々を捨て去ってしまった。その結果として、一神教が科学や数学を停滞させた(と考えられている)。

もし多神教の方が科学や数学に向いているならば、古代ギリシア人は一神教に改宗する必要はなく、彼らは多神教のままの方が良かっただろう。また、一神教の改宗を強制されたとしても、こっそりやめれば良い。けれども、古代ギリシア人は一神教に改宗して、現在までその世界を主体的に維持してきた。

古代ギリシア人は多神教の中の世界で素晴らしい科学や数学を発達させてきた。もしそうであるならば、多神教を維持した方が科学や数学を発展させれたのでないかと感じる。口語的には、「そのまま、多神教だった方が、良かったのでは?」これが違和感である。

理由

 理由:古代ギリシア人はハイ・テクノロジーであったが、ハイ・ソサエティでなかったので、生存競争に強い社会を形成できなかった。また、ハイ・テクノロジーに関係する自然界の分析行為はそれほど重要でない。

 古代ギリシア人はハイ・テクノロジーであったが、ハイ・ソサエティでなかったので、生存競争に強い社会を形成できなかった。また、ハイ・テクノロジーに関係する自然界の分析行為はそれほど重要でない。これが俺が考える理由である。

中東はよりハイ・ソサエティ

 中東は人類の文明の発祥地であり、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教は中東発祥である。現在における中東文明はハイ・テクノロジーでない。しかし、中東文明は、長い間、ハイ・ソサエティであってきた。

古代ギリシア人はハイ・テクノロジーであったが、中東よりもハイ・ソサエティでなかった。だから、ギリシアは一神教になった。ハイ・テクノロジーは戦争での強さを与えるが、ハイ・ソサエティは生存競争での強さを与える。

古代ギリシア人はハイ・テクノロジーを形成できたが、彼らはハイ・ソサエティを形成できなかった。彼らはすでに存在する自然界を分析して、彼らのソサエティの未熟さを補ってきた。

学問の過大評価

 古代ギリシア人は自然界に対する分析を非常に重視してきた。しかし、人間にとって、すでに存在するものを正確に分析することはそれほど重要でない。それよりも、ソサエティをきちんと形成したり、生存戦略を確立する方がはるかに重要である。

または、きちんと労働したり、あるいは民をきちんと統治する方がはるかに重要である。分析行為がこれほどまでに重要視され始めたのは、西洋文明の勃興の結果である。西洋文明はハイ・テクノロジー(ロウ・ソサエティ)の文明であり、テクノロジーには自然界の分析が重要であってきた。そして、西洋文明は古代ギリシアの強い影響下にあってきた。

古代ギリシア人が多神教を捨てて、科学に馴染まない一神教を受け入れた。俺の霊感では、古代ギリシア人は既知の対象を分析することはそれほど重要でないとどこかで気付いたのでないかと感じる。彼らはどこかで科学よりも、宗教(ソサエティ)がより重要でないかと感づいたかもしれない。だからこそ、彼らは自己の科学を捨てて、宗教へと入っていった。

ソサエティ>テクノロジー>分析(科学)

 当然であるが、ソサエティは善悪と同様に自然界には埋まっていない。だから、例え古代ギリシア人が自然界を分析するとしても、彼らはソサエティも善悪を形成できないことに気づいただろう。これは例えニュートンやアインシュタインが自然界の全てを明らかにするとしても、彼らは男女平等と男女公平のどちらかが正しかを判断できないのようなものである。

それだけでなく、彼らはサッカーというソサエティすら形成できない。これは科学できても性行為できなければ意味がないし、数学できても会話できなければ意味がないようなものである。既存の対象やすでに与えられた対象を分析しても、自己の文明や自己のソサエティは形成されない。

あるいは、古代ギリシア人はソサエティを形成するために必要な知能が欠落していたように思える。だからこそ、彼らは自然界を正確に分析できたが、彼らはハイ・ソサエティを形成できなかった。実際、大和民族の科学者や数学者が形成するアカデミア・ソサエティはまともでなく、未開水準であり、自己のソサエティもどきすらまともに管理・統治できない。

テクノロジー vs ソサエティ

 俺の予想:テクノロジーは生存競争でソサエティに勝利できない。

 テクノロジーはソサエティに勝利できない。これはハイ・テクノロジーのキモオタが生存戦略でヤンキーに敗北する状態に似ている。学者やIT技術者からなる組織を見ると、サークルの姫のような存在が必ず生じる。

それに対して、ヤンキーの組織には、この種のオタク的な存在は観察されない。なぜなら、ヤンキーはハイ・テクノロジーでないが、ハイ・ソサエティである。ヤンキーの方がソサエティを形成するのが上手である。

地中海 vs 中東

 アレクサンドロス大王もエジプトやペルシアを支配して、ローマ帝国はエジプトや欧州の一部を支配した。古代ギリシアも古代ローマもハイ・テクノロジーの文明であって、彼らは強力な学問と強力な軍事力を持っていた。この状態は西洋に似ている。

けれども、古代ギリシアも古代ローマは木っ端微塵に消失してしまった。それに対して、中東地域の人々は彼らの自己認識を現在でも持っている。エジプト人もペルシャ人もピラミッドやアカイメネス朝ペルシアを自己の文化や国家として認識しているように見える。

自己の人種や小人種、民族に対する強い認識はテクノロジーでなく、ソサエティの産物である。中東人の作っているソサエティは強く、中東文明はハイ・ソサエティの文明である。だから、彼らはハイ・ソサエティの産物である強い自己認識を維持してきたように思える。