古代ギリシアの過大評価な歴史と地中海〜アレクサンドロス大王からローマ帝国まで

歴史
https://ja.wikipedia.org/wiki/マッテオ・サルヴィーニ

 古代ギリシアやローマ帝国は過大評価されてきた。なぜなら、近代における覇者は白人であった。けれども、白人は産業革命の後まで世界に登場してこなかった未開で野蛮な小人種であった。

だから、白人は地中海小人種の歴史を彼ら自身の歴史と誤魔化して、その歴史を過剰に評価してきた。その結果、古代ギリシアの歴史やローマ帝国の歴史が過剰に評価されてきた。しかし、君が中東の歴史を学び、中東から地中海や欧州大陸を眺めるとき、欧州や地中海の未開性を感じるだろう。

以下で、俺と君は地中海の歴史をざっと振り返り、中東の先進性と地中海の遅れを眺めよう。

0 前提 

 コーカサス人種は中東小人種と地中海小人種と白人小人種にさらに分類される。モンゴロイド人種に遺伝的に対応させると、中東小人種はアメリカ小人種に、地中海小人種は東南アジア小人種に、白人小人種は東洋小人種に対応する。

君がコーカサス人種の歴史を学習するとき、君はコーカサス人種を上記のように分類する。そのとき、君は彼らの歴史を容易に把握できる。中東小人種の中心ははエジプトからペルシャ、地中海小人種はイベリアからイタリア、バルカン、アナトリア半島、そしてアルメニア、白人小人種はイギリスからロシアまで。彼らは東西に広ろがって分布する。

君が古代ギリシアやローマを学ぶとき、君は地中海小人種や地中海地域という観点から彼らを捉えるとき、君は彼らの歴史をきちんと整理できる。

1 古代の地中海及び地中海小人種

 古バビロニア王国の後、メソポタミアは混乱状態、または王国乱立状態になった。この時代は中国における殷王朝に対応する。中国では、社会が比較的安定したのに対して、中東における社会はひどく混乱していた。

中東に興味のない人間はこの期間を飛ばして良いように思える。君はこの時代を中国では社会が安定していたが、中東では混乱していた時代と解釈すれば十分である。

海の民によるヒッタイトの崩壊もこの時代であった。ヒッタイトは中東小人種でなく地中海小人種であっただろう。彼らは現在のアルメニア人やトルコ人のような人々であっただろう。

http://oreranitsuite.com/2019/11/08/メソポタミア文明の捉え方〜シュメルからアカイ/2/

アナトリア半島とヒッタイト

 古バビロニアが紀元前1500年に崩壊した後、ヒッタイトが台頭した。そして海の民による滅亡(紀元前1200年)まで約300年続いた。俺はこのヒッタイトは地中海小人種であったと憶測する。

このヒッタイトの台頭がコーカサス文明における地中海小人種の初めての台頭でないかと俺は推測する。東洋では、殷王朝の時代に、地中海小人種がヒッタイトとして初めて台頭してすぐに滅亡し、再度中東小人種の時代へと移った。

ヒッタイトの影響は現在の地中海小人種や地中海地域に影響を一切持っていないように見える。しかし、東洋人は殷王朝を彼ら自身の王朝として話し、殷王朝の時代の影響はゼロでなく東洋文明における連続性を持っている。

2 アレクサンドロス大王

 ヒッタイトの後の1000年後、アレクサンドロス大王が登場した。地中海人種の中心はヒッタイト(東)からギリシアのアレクサンドロス大王、ローマ帝国、大航海におけるスペインへ(西)へと東から西へとゆっくりと移動してきた。

その後、地中海小人種でなく白人小人種の欧州が台頭した。

地中海人種の登場〜紀元前300年

 ローマ帝国の前の地中海人種の活躍はアレクサンドロス大王であった。この帝国はアカイメネス朝ペルシャを滅亡させた。しかし、この帝国はフン族の国家のようにあっという間に消えてしまった。

3 ローマ帝国

History of Europe – 6013 years in 3 minutes

 俺はローマ帝国は完全に過大評価であると審判した。なぜなら、ローマ帝国の台頭は歴史的に遅く紀元前300年以降である。シュメル人や夏王朝と比較すると、ローマ帝国はやはりしょぼい。

夏王朝から殷王朝や周王朝の時代、日本人の先祖は中国大陸に存在していた。また、この時点では、漢民族も大和民族も存在してなかったので、俺らは夏王朝から殷王朝や周王朝を俺ら自身の歴史として捉えることができる。この行為w考慮すると、ローマの台頭は1700年以上遅れた存在でしかない。

さらに、地中海小人種や地中海地域は中東の影響を受けすぎている。俺はこれを知って、俺はローマはしょぼくダサい、そして創造性や起源性や自力性が存在しないと審判した。一方、東洋地域はアメリカや東南アジアの影響をほとんど受けてこなかった。

 さらに、ローマもギリシアもトルコも滅亡した後、彼らは復活しなかった。現在の東洋世界はGDPの上位を占めて軍事的にも経済的にも先進的で優れている。

ローマによるイタリア統一〜紀元前約300年

 ローマによるイタリア統一は紀元前300年である。その後、彼らはフェニキア人と戦争して勝利し、地中海における覇権を獲得した。一方、大陸東洋は殷王朝の時代にすでに統一王朝を作り上げた。

その面積はイタリア半島よりも大きかった。

領土拡張

 その後、紀元前100年に、ローマは地中海地域を支配した。紀元前約50年から紀元50年〜紀元100年にかけて、ローマは欧州大陸とイギリスの南部を支配した。ただし、北ドイツ及びスカンジナビア半島は支配されていない。

上記の動画によると、北ドイツはフン族に支配されてる。もしフン族がモンゴロイド人種であったならば、モンゴロイド人種ごときがローマ帝国が支配できなかった領域を支配した。

また、キリスト教の公認は約300年で、国教化は約400年であった。

崩壊と東ローマ

 ローマ帝国は500年にゲルマン人による侵略によって滅亡した。東ローマは残ったが、その中心はアナトリア半島であったように思える。ローマ的なものはイタリアであったように思える。

ローマは紀元前300年から紀元500までの約800年継続した。俺の勝手な感想は殷王朝や周王朝の方が優れているである。俺が東洋の歴史を知った後、歴史のふるさと継続性と規模から見て、地中海小人種の歴史は過大評価されてきたと審判した。

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