日本の景観と街並みが汚いのは無宗教だから

制度
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念仏宗 総本山「佛教之王堂」第六回佛教サミット – The Sixth Buddhist Summit – The Royal Grand Hall of Buddhism

 最終的審判:無宗教の動物は社会を認識できないので、社会における景観や街並みについて思考できない。動物は街並みや景観を発展させようとする意志を持たない。その結果、街並みや景観がどこまでも悪くなる。

 さらに、この種の動物は状態の正当性を認識できないので、どのような街並みや景観が正当であるかを判断できない。

 日本国の街並みは非常に汚い。なぜなら、日本人は無宗教である。一見すると、宗教と建築は関係ないように見える。

しかし、宗教こそが建築を創造する。サマルカンドのモスクや念仏宗の建築は非常に美しい。

君が日本国における建築について語るとき、日本政府の統治能力のなさや管理能の不足や土地の所有者の権利の強さが指摘される。その種の指摘は正しいが、たとえその種の問題が解決されても、建築のアイデアが存在しないと、日本の建築は良くならないだろう。

 ここでは、建築と宗教の関係について述べる。なお、以下はアジア人に一般化される。

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日本人の宗教観と宗教の役割

 上記を見ればわかるように、日本人の宗教観は狩猟民族的である。日本人は無宗教でなく、宗教を認識できない。宗教は人を救うものでなく、宗教は人間社会を形成する役割を持つ。

上記の菊池は宗教の意味を認識できない。例えば、なぜユダヤ教やキリスト教やイスラム教の宗教書には、死生観や性規範やお金に関する規範や約束及び契約、そして統一された善悪の判断が存在するか?なぜなら、コーカサス人種にとって、宗教とは社会を形成するものである。人間が社会を形成するとき、上記の5の規範は絶対に必要である。

菊池は社会を認識できない。だから、菊池は宗教を人間を救うものとか、願いを叶えてくれるものであると錯覚している。菊池の宗教観はイタコや呪術者や呪いに近いように見える。

宗教とは人間社会を形成するもの

 宗教は人間社会を形成して、狩猟民族を農耕民族へと変える。その結果として、人間は言語や文字を発達させる。人間は歴史や領土や法律や建築及び景観を認識する。

民主制度それ自体も人間社会の形成の産物である。狩猟民族は社会を認識できないので、民主制度を発達させれないだろう。

 宗教の役割に関する重要性には、正当性の付与が存在する。物質的世界は男女平等と男女公平のどちらが正しいかを教えない。だから、宗教や神がその正当性を与えなければいけない。

無宗教とは狩猟民族

 無宗教の人間は人間社会を形成するつもりがない動物である。狩猟民族を見ればわかるように、狩猟民族は群れを形成しても、社会を形成しないので、狩猟民族は自己の文字や言語を発達させれない。

狩猟民族は社会を認識できないので、彼らは法制度や社会制度や建築や公共のマナーや約束及び契約や性規範を持たない。彼らは社会を認識できないので、彼らは彼ら自身の歴史すら認識できない。

なぜ日本の景観と街並みは醜いか?宗教と建築

日本人は狩猟民族で社会を形成できない。だから、彼らの思考には、社会が存在しない。その結果、景観や建築は醜くなり、法律はでたらめのイタコでしかない。


回答日時:
2015/1/19 20:31:35

たまたま目に付いた質問だけど、日本文化 伝統文化が終わったと感じています。
江戸から続いた、伝統屋敷が、かの大戦を終わり、戦争で苦労した親から、TVによって、アメリカの裕福な過程を見て育った、世代、又、その子供、
今や、日本の住宅は、ごちゃごちゃ。

まさに好き勝手。

団地なんて、和風家屋が立ってるのに、隣はヨーロピアン、アメリカン風


回答日時:
2015/1/21 21:03:10

断言します。
アジア人は景観に鈍感だからです
アジアの街で景観に力を入れてる街、景観が綺麗な街は見たことない
日本橋の上に高速を通したらするあたりが最悪な例
まず東京は歴史が浅い街で世界遺産も父島等の島しかありません
”歴史”を感じさせるものが、そもそも少ない
東京の本質って金にならないことしかしない成金の品のない街だよ
パリのような文化都市と成金の成り上がり東京が同じ土俵で戦うことすら無理だよ
せめてパリとなら、後100倍景観配慮に力を入れた京都かな
京都も景観配慮は、やはり欧米からしたら甘すぎ

https://realestate.yahoo.co.jp/knowledge/chiebukuro/detail/13140869553/

 上記の「好き勝手」と「歴史を感じさせるものが、そもそも少ない」という指摘は的を射ている。日本人は狩猟民族であり、彼らは社会を認識できない。その結果、彼らは社会の産物である歴史や景観を認識できない。

社会性の欠如→街並みを整えるという発想がない

 日本の景観が醜いのは日本人がそもそも景観に関心を持っていない。なぜ彼らが景観に興味を持っていないかというと、日本人は社会性を持っていない。だから、彼らは社会における景観に関心を払わない。景観や街並みは社会的な産物である。

日本人は未開の狩猟民族であり、彼らはどうしても社会を認識できないように思える。その結果、彼らは社会について思考できない。彼らは狩猟民族のように好き勝手に生きて、建物をばらばらに本能で立てる。

宗教建築の優秀さは宗教が社会を形成する役割を持っているからである。宗教を信じるとき、信仰者は社会に興味を持ち、その興味が建築の発展の原動力となる。その結果、素晴らしい建築が生まれてきた。

宗教の欠如→正当性の欠如→デザインに対する善悪の判断の欠如

 日本の景観は醜いが、日本人はそもそも景観や街並みに関する善悪の判断を下せないように思える。だから、たとえ日本人が日本の景観の悪さに関して批判されるとしても、彼らは日本の景観が良いか悪いかを判断できない。これは性的嫌がらせが良いか悪いか判断できない人間をその人間の行為に関して批判するとしても、そのにんげんの行為は変わらないことに似ている。

さらに悪いことに、日本人は自己の宗教を持たないので、彼らはどんな建築が余暇を判断できない。その結果、フィリピン人は白人や白人ハーフになりたがるように、日本人も自己の顔を持たないで、他人の建築を手っ取り早く学ぼうとしてきた。

日本人は白人ハーフになりたいと感じて、建築を作っちゃう。その結果、日本の建築は自己認識を失いめちゃくちゃである。実際、フィリピン人や南米人は白人になりたくて、白人の遺伝子に必死に乞食してきたが、彼らはよく分からない存在ヒスパニックや中央アジア人になった。

おまけ:東洋人は会話できない

 君が東洋人を見るとき、東洋人は会話できないと審判する。なぜなら、会話行為それ自体が社会性の産物である。特に、子供や女や朝鮮人、そして日本人の知の肉便器は他人と会話できない。

東洋人の会話の不可能性は彼らの社会性の欠如に関係する。東洋人は自己の社会を彼ら自身で創造するという発想を持っていないので、彼らは会話に関する正当性を創造しようとしてこなかった。その結果、彼らは会話できないままである。

会話が発達しないということは意見の正当化のための論理が発達しないことである。だから、論理学はコーカサス人種の社会で発展してきた。

 東洋人は社会性を持たず、彼ら自身が建築をどのように発展させるかを考えてこなかった。その結果、建築に必要な数学が発達してこなかった。同様に、東洋人は社会を持たず、彼ら自身の会話行為をどのように発展させるかを考えてこなかった。その結果、論理が発達してこなかった。

日本人の学者気取りを見ればわかるように、彼らは非論理的で支離滅裂である。なぜなら、彼らは社会性を認識できない。だから、彼らは社会における会話行為がどうあるべきすら思考できてこなかった。

日本語や中国語の文法は西洋と比較すると、でたらめである。これもまた東洋人の社会性の欠如である。日本語におけるカタカナ用語も同様で、日本人は言語や文字を社会的な産物であると認識できない。だから、彼らは彼ら自身の景観を発展させないように、

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