日本史の明治維新という過ちと異常事態〜薩摩や長州によるフィリピン化

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 日本国の歴史では、日本国は明治維新によって近代化されたらしい。大和民族の大部分はこの近代化をまるで良いことのように感じているように見える。以下では、俺は日本国の歴史における明治維新の異常性を提示するつもりである。

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明治維新の異常性

 以下では、俺は明治維新の異常性を提示するつもりである。明治維新の異常性には、薩摩や長州による日本国の統治、キリスト教系統の憲法の導入、そして鹿鳴館に代表される白人コンプ化である。

・薩摩と長州

 俺系統の認識 薩摩や長州のような地域が日本国の統治者や中心になったのは、日本国の歴史において異常であるように見える。

 基本的には、日本国の歴史は関西と関東、そして中部を中心としてきた。しかし、明治維新では、長州や薩摩における大和民族が日本国の統治者になった。明治維新の特異性とは薩摩や長州のような未開地域が日本国の主導権を握ったことである。関西人や関東人、中部人(名古屋人)が明治維新を起こしたわけでない。

この状態は沖縄が九州を支配したような状態に似ている。もし沖縄が九州を支配したならば、九州は沖縄時間になって衰退しただろう。本州の人間にとって、明治維新の過ちはこれに近い。または、商業の概念を持たない東北人が日本国を統一したならば、日本国は経済的に衰退しただろう。

あるいは、もし香港が中国大陸を統一したならば、中国は西側白人の奴隷になっただろう。日本史における明治維新はこの種の悪夢に近い。明治維新という異常事態の結果、大和民族は自己の歴史や建築や文化を失ってしまった。現在でも、日本人は東洋人としての自己と大和民族としての自己を否定し続けて白人コンプになってきた。

 なお、縄文時代や弥生時代における日本国の中心は知らない。稲作は北九州から入ってきたので、その時代には北九州は日本国の中心であったのかもしれない。また、島根(鳥取?)は日本神話にも関係している。また、卑弥呼の時代にも俺にとっては不明である。

・神道とキリスト教

 俺系統の認識 明治維新は日本国及び大和民族を部分的にキリスト教化させた。

 例えば、明治維新の後、薩摩藩や長州藩はキリスト教系統の憲法を大和民族や日本国に導入した。彼らの行為は歴史的に残る人種的、かつ宗教的な侮辱行為である。彼らの行為は売国という簡単な言葉では表現することができない。薩摩藩や長州藩は本当にとんでもないことを実行した。スペイン人がアメリカ先住民(俺らと同じモンゴロイド人種)にキリスト教を押し付けたような行為である。

日本国も大和民族も7世紀や8世紀の国家の建国以来、東洋文明に所属して、儒教や仏教を含む東洋系統の法体系で運動してきた。けれども、明治維新の後、日本国も大和民族は異教徒の法体系で奴隷的に運動することを強制されてきた。この状態はユダヤ教徒のイスラエル国民が仏教系統の法体系で死刑に処されるような状態である。当然、その時、ユダヤ教徒はその死刑をユダヤ教的に宗教的な正当性を持つ刑罰と認識しないので、彼らはその死刑を単なる殺害行為と認識する。

ユダヤ教やキリスト教、イスラム教は中東発祥であり、欧州発祥でない。しかし、ローマ帝国におけるキリスト教の布教やローマ帝国崩壊の後の欧州へのキリスト教の布教、ギリシア人の兄弟によるスラブ民族への布教の結果、欧州人は彼らの父系神を捨てて、セム人の父なる創造主を信仰するようになった。その結果、欧州人は現在まで本当に苦しんでいるように見える。薩摩藩や長州藩がキリスト教系統の憲法を大和民族に押し付けたことはキリスト教の布教と類似した種類の行為である。

 俺が明治維新を見ると、俺は明治維新はキリシタン大名によるキリスト教を用いた日本国及び大和民族の宗教的な征服と奴隷化に見える。

・鹿鳴館と白人コンプ

 俺系統の認識 薩摩藩や長州藩は日本国や大和民族の人工的な自己を部分的に破壊したので、彼らは大和民族の西側白人への白人コンプを導いた。

 一般的に、ある主体が人間の人工的な自己を破壊する時、破壊された対象は異教徒や異文明の主体と堂々と対峙することができなくなる。なぜなら、彼らには、異教徒や異文明の主体と対峙するための自己がない。そのため、俺が彼らを異教徒や異文明の主体と対峙させると、彼らはおどおどして、その主体に媚を売るようになる。

例えば、西側白人が男女平等と主張すると、大和民族の学者はキリスト教徒でないのにも関わらず、彼らは西側白人に媚を売って男女平等を実行しようとする。彼らは西側白人との文明的な対峙を何よりも恐れて、その対峙から来る彼らの不安をとにかく回避しようとする。本来であれば、彼らは仏教や儒教、神道の観点から、彼らは彼らはキリスト教徒でないので、彼らは男女平等を善と判断しないとはっきりと宣言して、西側白人と対峙する必要があった。けれども、彼らは西側白人と対峙するための人工的な自己を完全に破壊されてしまったので、彼らは西側白人と対峙することができなくなってしまっている。

加えて、鹿鳴館に代表されるように、大和民族は西側白人と同じであることを善となんとなく雰囲気で感じて、彼らは西側白人と異なることをなんとなく悪いと感じているように見える。彼らは西側白人と違うとなんとなく不安を覚えて、それを本当に必死に回避しようとしてきた。さらに、彼らは西側白人と同じであることを他の有色人よりも優れていると感じるようになった。

例えば、米国の研究室は男女平等であるのに、日本国の研究室は男女平等でないという状態が存在した。この時、大和民族は米国が正しく、日本国が間違っていると感じるようになった。そのため、大和民族の科学者は日本国も男女平等にしないとダメと感じて、彼らは日本国を必死に男女平等にしようとしてきた。いわゆる白人ごっこをやめられなくったしまった。人間が宗教や文明が授ける人工的な自己を失うと、ホモ・サピエンスはこのように愚かに振る舞い始める。

大和民族は自己の宗教や自己の文明が授ける人工的な自己を失った。だから、彼らは本当におどおどして、白人の顔色ばかりを伺ってきた。もし彼らが人工的な自己を形成することができていたならば、たとえ彼らが差別主義者と呼ばれるとしても、彼らは「俺は儒教徒であるので、差別と善とも悪とも判断しない」とはっきりと宣言することができただろう。

 明治維新の後、薩摩や長州は日本列島を支配した。しかし、彼らは西日本でも東日本でも中部地方でもなかった。日本史における明治維新は日本史の中で最も特異的であり恥ずべき事態であった。日本列島の中心になったことのない未開地が日本列島を支配した。未開の土人は彼ら自身の文化や自己認識を持ってこなかった。その事実は劣等感を彼らに与えた。彼らは過去の日本人や日本史を否定し続けてきた。そして、白人コンプが深刻になった。

彼らは日本語を否定してカタカナ用語を与えた。彼らは幕藩体制を遅れた未開の制度を見なした。彼らは武士や将軍を破壊した。彼らは日本国の和風、または東洋風の建築を完全に破壊してしまった。明治維新はある種の革命であって、それは東洋人や日本人の先祖を侮辱したものであった。明治維新は日本人が飛鳥時代から江戸時代まで築き上げてきた「和なるもの」を完全に破壊して否定した。

日本国の歴史と明治維新

 以下では、俺は日本国の歴史と明治維新を振り返ってみる。ここでは、俺は天皇について省略する。

・登場人物

 日本列島には、古モンゴロイド人種である縄文人が数年前から住んでいた。縄文人の雄のY染色体ハプログループはD1a2a系統であった。縄文人は日本列島に加えて、朝鮮半島にも(おそらく現代朝鮮人の前から)住んでいた。その後、紀元前1000年、つまり今から3000年前に、稲作が日本列島へと伝播した。この時、弥生人の一部は日本列島や朝鮮半島にも住んでいただろう。この弥生人はY染色体ハプログループO1b2系統を持っていた可能性がある。弥生人が稲作と一緒に日本列島へときたのかは不明である。弥生時代から古墳時代にかけて、縄文人と弥生人は交雑した可能性がある。

さらにその後、200年あたりから、渡来人(古墳人)が日本列島へと渡来した。この渡来人はY染色体ハプログループO2a系統を持っていた可能性がある。また、この渡来人は世界的に見ても文明的であった可能性がある。縄文人と弥生人と渡来人は互いに交雑した可能性がある。現代における大和民族の遺伝的な成分のほとんどを占めるのが弥生人であるのか、この渡来人であるのかは不明であるように見える。日本国の歴史は渡来人の到来の後に本格的に始動するように見える。

大和民族のY染色体ハプログループには、D1a2a系統とO1b2系統とO2a系統がある。また、民族や人種を遺伝的な分岐と考えると、大和民族は東北部族と関東部族と中部部族と関西部族と四国部族と中国部族と九州部族に分類される。琉球民族とアイヌ民族は縄文人の遺伝的な影響が強い。遺伝子検査をしないとわからないが、日本国の中心は関西部族と関東部族と中部部族がほとんどであるように見える。または、南下した東北部族も中心であるかもしれない。

・その後の歴史

 古墳時代の後、日本国の歴史の前段階は始まった。その後、飛鳥時代と奈良時代、そして平安時代が始まった。飛鳥時代には、白村江の戦いが生じた。白村江の戦いは日本国の形成を促したように見える。飛鳥時代には、聖徳太子が存在した。その後、日本国の形成が促された。奈良時代には、日本書紀や古事記が編集された。俺の印象では、飛鳥時代や奈良時代における日本国の中心は関西であるように見える。少なくとも、薩摩や長州はこの時代における中心でない。当然、東北も沖縄も四国中心でない。その後、平安時代が始まった。平安時代には、藤原家が台頭した。俺の印象では、平安時代は非常に関西的である。飛鳥時代から奈良時代、そして平安時代まで関西が中心であった。

平安時代の後、鎌倉時代が始まる。鎌倉幕府は鎌倉に置かれた。この幕府は関東である。鎌倉時代には、日本国の中心が関西から関東へと移動した。その後、元寇があり、鎌倉幕府は崩壊した。鎌倉時代の後、室町幕府が始まった。この幕府は京都に置かれた。日本国の中心が関東から関西へと移動した。100年後、戦国時代が始めるが、戦国時代における中心は不明である。けれども、関西から中部、関東が日本国の中心である。

徳川家による日本国の統一の後、江戸時代が始まった。江戸時代では、日本国の中心は関東であった。飛鳥時代から江戸時代までをまとめると、日本国の中心は関西→関東→関西→関東→明治時代のように移動した。薩摩や長州は日本史では中心でない。当然、東北も沖縄も四国中心でない。

 その後、明治維新が始まった。明治維新では、薩摩藩と長州藩が中心になっていたはずである。当然、関西や関東も明治維新に巻き込まれた。しかし、薩摩藩と長州藩が中心になったのははっきりとしている。俺の印象では、明治維新は関西や関東でない勢力が日本国を支配した未知の歴史的現象であるように見える。当然、東北の日本人が関東へと降りてきて、日本国を支配したような現象は存在したかもしれない。

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