なぜ、中国の歴史は同じことの繰り返しに見えるのか

 俺は5chで「なぜ、中国の歴史は同じことの繰り返しに見えるのか」という記事を読んだ。俺もまた同じ疑問を抱いた。ここでは、俺はその理由を提示しよう。

0:中華と日本と欧州の基本的流れ

 中国史の基本的な流れ:夏→殷→周→春秋戦国(孔子)→秦→漢→三国→晋→南北朝→隋→唐→宋→元→明→清→中華民国→中華人民共和国

 上記を見ると、中国人は「王朝」を重視してきた。中国人は王朝と中華文明を重視してきた。中国人はおそらく国家概念を持っていない。

また、中国は無宗教的であり、政治的制度がほとんど変化していないように書かれている(共産党も含む)。実際、殷や周は封建できで、秦で中国は中央集権化したように思える(現在の欧州連合)。始皇帝はアカイメネス朝ペルシアの影響を受けたコーカサス人種との混血であっただろう。

転換点は秦による統一と漢(漢民族の王朝)と唐(ペルシャ文化との接触)と元(モンゴル)と清(西洋との接触)であるように見える。宗教的には、孔子が最も重要であったはず。

 日本史の基本的な流れ:殷時代辺りから日本列島へ→弥生→古墳→飛鳥→奈良→平安→鎌倉→室町→南北朝→戦国→安土桃山→江戸→明治→大正→昭和→平成→令和

 上記を見ると、日本は「時代区分」を重視してきた。日本人は日本という世界を天皇を中心として「天皇+時代区分+領土」と捉えてきた。現在の「日本国」は白村江の戦いの後に形成されたように思える。

日本人と朝鮮人の国家概念が非常にそっくりである。ただし、日本人は東洋文明を認識するが、朝鮮人は国家と民族のみを認識する。だから、朝鮮人は東洋文明に貢献しようとしてこなかった。

日本史における重要な事件は白村江の戦いと仏教伝来と江戸時代、そして明治維新であった。日本国は基本的に軍人政権であってきたように見える。平安時代は貴族っぽい印象があるけれども。

 欧州史の基本的な流れ:ローマ崩壊→ゲルマン民族による国家の設立→キリスト教の受容→フランク王国→その分裂と神聖ローマ帝国→宗教改革(1500年あたり)→産業革命(1760年あたり)→フランス革命→世界大戦→現代

 イタリア人は地中海人種であり、白人種でないので、俺は地中海世界を除いた。欧州の勃興は大航海の後であっただろう。ルネッサンスも大航海時代もは地中海人種による運動であったので、白人は関係ない。白人の歴史は比較的最近始まったように思える。

欧州は宗教改革や政治的制度の大規模な改革を進めてきたので、欧州史は変化に満ちているように見える。具体例として、国家の成立→封建制度→中央集権化→絶対王政→自由民主制度という流れが存在する。さらに、経済制度も資本主義制度を発明した(とされる)。

転換点はローマの崩壊+キリスト教の需要、フランク王国、宗教改革、産業革命、フランス革命である。英仏戦争やオランダの経済的繁栄やイングランドにおける銀行の設立(1700年、資本主義)も重要であるが、欧州全体には関係ないので除いた。アメリカは北米であるとので除いた。

1:書き方が悪い→同じことの繰り返しに見える

 中国史は書き方が悪いので、中国史は同じことの繰り返しに見える。中国人は歴史を事実の実況や報告と考えている。だから、中国人の歴史に対する記述は現実的であり観察的、科学的である。

審判や判断の欠如

 中国人による歴史は誰が何をして何が起こったかを延々に記述する。しかし、彼らはそれに対する審判や判断を下さなかった。例えば、その行為は罪であるが、無礼であるか、もし罪であるならばそれは悪いと判断されるか。

中国の歴史はサッカーの実況に近い。そのサッカーの実況では、審判や規則が存在しないで、サッカー選手のみが運動する。そして、中国人は彼らの競技を延々と実況報告する。中国史のつまらなさの原因はこの実況報告である。

宗教や文明などの知的基盤の欠如

 孔子による儒教を除くと、中国人の宗教観は2500年くらい変化してこなかった。さらに孔子に関する宗教改革も行われてこなかった。その結果、同じことの繰り返しに見える。

新しい審判や新しい判断が存在しない。キリスト教はプロテスタント派とカトリック派に分裂した。その結果、彼らは宗教的にも発展してきたように見える。

新たな宗教はサッカー選手に新たな審判と判断(競技の規則)を与えるので、運動競技それ自体が変化する、一方、中国は宗教改革を経ていないので、彼らはサッカーという競技を延々とやっているように見える。

例:モンゴルの紙幣

 モンゴル帝国における紙幣の考えは非常に先進的であった。にもかかわらず、中国人はこの重要性を認識できない。中国人はこの紙幣を評価せずに、報告しようとする。

中国人は紙幣をモンゴル人が紙幣を発明して、経済が発展したと報告する。その結果、中国史は単なるサッカー選手の報告集になる。

2:認識の問題→同じ事の繰り返し

区別と分岐の欠如

 中国人は人種や民族を正確に認識できない。中国人は国家を認識できない。その結果、中国人の歴史は「物体」の運動になる。

日本人にとって、中国人とは漢族の要素である。大陸東洋人は漢民族、華南民族、華北民族、チベット民族、華西民族、そして蒙民族に分類される。しかし、中国人は彼らをひっくるめ「中国人」と認識する。

大陸東洋人は他者の違いを認識しないので、大陸東洋人がえんえんと動いているように見える。大陸東洋には、漢民族の歴史と華南民族の歴史と華北民族の歴史とチベット民族の歴史と華西民族の歴史と蒙民族の歴史が存在すべきであった。

 漢民族、華南民族、華北民族、チベット民族、華西民族、そして蒙民族はことなる民族であり、各歴史が存在する。しかし、大陸東洋人はそれを中国人とひとまとめにするので、中国史は「人類の歴史」のような退屈さを持つ。

3:制度と科学の欠如

運用上手と制度設計の未熟さ

 中国人は官僚(運用者)として優秀であるが、制度設計を苦手とする。その証拠として、中国人は正当性を制度に与えられない。その結果、彼らは同じことを延々とやっているように見える。

中国人は公平か平等のどちらが正当であるかすら判断できない。白人はキリスト教が与える神(の意志=神の前では皆平等)を用いて、男女平等を正当化する。

科学の欠如

 科学や数学の欠如が地中海と欧州と東洋の違いである。中国では、近代科学の発展が存在しなかったので、同じことの繰り返しに見える。

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