丸川氏はアジアンビューティー――。質疑の冒頭では、自民の鬼木誠氏が質問の中で、丸川珠代五輪相の容姿に触れながら称賛し、委員室がざわめく場面があった。
これに対し、鬼木氏は「丸川大臣はパリにおいて各国の大臣クラスの方々とマルチやバイ会談を進め、共通の利益のために世界が一つになる下地を作った」と称賛。さらに「各国首脳からもアジアンビューティーと呼ばれ、大変人気があったという話も現地で聞こえておりました」と述べた。
https://www.asahi.com/articles/ASP323PSWP32UTFK00B.html
上記の速報に接した後、俺は朝日新聞のあまりのくだらなさと幼稚さに驚かされた。以下では、俺はなぜ朝日新聞は上記の意味不明な記事を提示したのかを述べる。また、俺は報道の自由に関する問題を提示する。
朝日新聞の意図
朝日新聞の意図:朝日新聞は「西側白人社会で問題になりそう=日本社会でも問題である(問題にしよう)」と感じている
朝日新聞の報道は意味不明である。上記もそうであるけれども、何が問題であるのかすらわからない。では、なぜ朝日新聞はこの種の意味不明な記事を量産するのだろうか?以下では、俺は彼らの奇妙な心理を提示する。
白人が怒ってくれそうなネタを探す
朝日新聞が上記を報道したのは、白人が日本人や自民党の議員を怒ってくれそうと感じたからである。西洋では、女性の容姿を褒めることはキリスト教的な価値観(性規範)から言って悪い(レッドカード)。朝日新聞は自民党の議員はその西洋の価値観に反したと審判した。
だから、朝日新聞は上記のような本当にくだらない記事を製造した。朝日新聞は「白人が怒る=悪、白人の価値観=善」と感じている。もし自民党の議員が白人の価値観に反したならば、それは白人社会で問題になるだろう。白人の価値観は善であり、先進的であるので、日本国でも問題なるはずである。
朝日新聞は西側白人の感情に非常に敏感であり、彼らの感情を損ねることを何よりも恐れる。その結果、彼らは「白人の機嫌を損ねそうな日本人の行為を全力で探す謎の機関」になっている。朝日新聞は白人の機嫌を損ねる事件を探して、開陳する謎の組織になっているので、非常にくだらない。
かまって欲しい
朝日新聞は他人に日本人に構って欲しい。だから、彼らは日本人や日本国を困らせるようなことを何回も繰り返す。彼らはまるで部屋を荒らしたり、泣き喚いて両親や母親からの愛情を確認したい幼児や子供と同じである。
朝日新聞は日本人をくだらないことで困らせたい。炎上させたい。問題を起こしたい。邪魔をしたい。そして、彼らは日本人が彼らの後始末をつけてくれるのをじっと見て、楽しんでいる。あるいは、それが彼らの愛情の確認行為の手段になっている。
他人が慌てふためいているのを見て、喜ぶのは幼児の行為であり、ソサエティへの所属意識が存在しないからこそできる。岩田健太郎も朝日新聞も日本人や日本人の政治家が岩田健太郎も朝日新聞による放火によって、慌てふためいている様子を見るのが楽しいのだろう。なぜなら、消化するのは彼ら自身でなく、日本人や日本人の政治家なのだから。
報道の自由に関する問題
報道の自由に関する問題:大和民族の報道機関が自己のより良いソサエティを実現したいという発想も意志もそもそも持っていない。だから、報道の自由は不要である。
自己のソサエティがない
朝日新聞には、実現したいソサエティが存在しない。朝日新聞は報道機関でなく引用機関や告げ口機関に似ている。朝日新聞には、より良い日本社会を実現したいという発想が存在しない。
だから、彼らは同じ日本人を困らせたい、炎上させたい、問題をとりあえず引き起こしたいという奇妙な心情のみが見え隠れする。さらに、彼らは日本社会に所属しているという所属意識もないので、彼らはまるで敵国の機関ように振る舞う。日本国民の大部分は彼らが何をやりたいのか、どのような社会を形成したいのかすらわからない。
報道機関が何のために存在するのかというと自己のソサエティのために存在する。けれども、彼らにはまともなソサエティを形成していくという発想がそもそも存在しない。もし彼らが自己のソサエティを形成するつもりがないならば、彼らには報道の自由は不要である。
反ソサエティ的な存在
日本国の報道機関は本当にくだらないことで日本国の統治機関を不安定にさせようとする。彼らは統治者批判と主張するが、彼らの行為は統治者(羊飼い)の破壊行為である。
本来であれば、報道機関による統治者批判は統治される対象である国民のために存在する。けれども、朝日新聞による批判行為は統治者による統治を単に不安定化させているような行為である。俺の印象では、朝日新聞が存在しないほうが、統治者による統治行為が安定していて、国民のためになる。