coherentとconsistentの違いを感覚的に把握することは難しい。俺は英語の母語者でないが、以下で俺はその違いを提示する(ただし、君は以下を絶対に信用しない)。coherentとconsistentの違いの一つは「時間」である。
三次元空間における理論や機械などの整合性がcohenrentであり、時間を含めた無矛盾性がconsistentである。例えば、借りたお金を返すと言ったのに、返していない。これは時間的な矛盾である。この時、consistentが使用される(はず)。
それに対して、例えば、キリスト教の宗教体系やある哲学体系や理論物理体系それ自体がなんかおかしいとき、俺らはcoherentでないと言う。宗教体系の矛盾は時間に無関係である。以下で、俺はその違いを詳細に見よう。
1:coherent〜整合的〜
日本語訳 coherentの日本語訳は整合的である。または体系だっている。
coherentは体系や機械に対してふさわしいように思える。ある種の体系が矛盾している時、coherentが使用される。この矛盾は体系それ自体や機械それ自体が互いに矛盾していて、整合性を取れていないことである。
例えば、理論物理では、エネルギーが保存される法則と保存されない法則が両立していて、物理体系がぐちゃぐちゃである時、coherent。または、キリスト教の教義が矛盾しまくっていて、整合性を全く取れていない時、その体系は機能しない。この状態に対して、俺はcoherentを使用したい。
coherentは機械に応用される。白人は世界を一つの機械とみなすので、世界の状態もcoherent。機械が互いに矛盾する時、機械は機能しない。この状態はcoherent出ない。世界それ自体も機能しているので、coherent。
1節 具体例(建築)
例えば、西洋建築や中東建築はcoherentである。それに対して、日本国の建築は全くcoherentでない。大和民族は西洋建築の都合の良い部分をでたらめに取り入れてきた。
その結果、彼らの建築はcoherentでない。西洋と東洋の建築がごちゃ混ぜになる時、それらの建築は全くもってcoherentでなくなる。
2節 具体例(宗教)
大和民族の思考はcoherentでない。それに対して、中東人や地中海人や欧州人の思考は非常のcoherentである。例えば、大和民族はしばしば「欧米では〜、それに対して日本では〜」と言ってきた。彼らは欧米の都合の良いところだけを大和民族に強制させようとしてきた。
実際、彼らはキリスト教でないのに、クリスマスやハロウィンを取り入れてきた。この状態は宗教的にcoherentでない。
3節 運動競技
一般的に、運動競技それ自体はcoherentであるように見える。例えば、卓球とサッカーは互いにcoherentである。しかし、もし卓球選手がサッカーの決まりやルールを持ち込むならば、その状態はcoherentでない。
2:consistent〜一貫的
日本語訳 consistentの日本語訳は一貫的である。
consist(存在する)、を思い浮かべれば、ずっと同じであるという現象としての一貫性であるconsistentと、論理的に一貫しているcoherentと理解できる。
https://open.mixi.jp/user/1983367/diary/1938283252
consistentは時間的に矛盾していない、一貫的である。例えば、借りたお金を返すと約束したのに、返さなかった。この状態はconsistentでない。
または、ある人間が人間は皆平等であると言ったのに、二重国籍は欲しいと言った。これは人間は皆平等であると言ったのに、二重国籍が欲しいと主張するのはconsistent出ない。
機械的な世界それ自体はcoherentであり、consistentである。なぜなら、機械的な世界は整合性をもち、その状態は一貫している。
3:東洋人はcoherentでない、西洋人はdiscrepant
東洋人の数学者や科学者ですら物事を整合的に思考できない。彼らの発言はぐちゃぐちゃ、支離滅裂、意味不明である。一方、西洋人の思考は整合的であり、まるで宗教建築や数学理論のように精密である。しかし、彼らの理論は現実に適合していない。その結果、キリスト教における司祭がコロナ患者と接触して、死んでいく。けれども、彼らの行為はキリスト教的には、整合的である。