膠着語と屈折語と孤立語の違いとは何であるか?〜日本語と英語(印欧語族)と中国語〜

言語
https://ja.wikipedia.org/wiki/インド・ヨーロッパ語族
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 俺は屈折語が何であるのかを認識できない。そこで、以下では、俺は膠着語と屈折語と孤立語の違いを「わかりやすく」かつ「独自解釈」で提示するつもりである。膠着語は「付加語」であり、屈折語は「形態変化語(不規則変化語)」である。

膠着語には、日本語(日琉語族)やモンゴル語(モンゴル語族)がある。屈折語には、印欧語族(英語)がある。孤立語には、中国語がある。

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膠着語と屈折語の違い

 膠着語(こうちゃくご、: agglutinative language)は、言語類型論による自然言語[1]の分類のひとつ。膠着語に分類される言語は、ある単語接頭辞接尾辞のような形態素を付着させることで、その単語のの中での文法関係を示す特徴を持つ。

https://ja.wikipedia.org/wiki/膠着語

屈折語(くっせつご、: fusional language)は、言語学上における形態論上の分類のひとつ。文法的機能を表す形態素が、の内部に分割できない形で埋め込まれる言語のことをいう。

https://ja.wikipedia.org/wiki/屈折語

格に関する膠着と屈折

case)は、日本人には染みの薄い概念であろう。これは、文中における役割を意味する考え方である。例えば、「私は秘書手紙を渡した。」という文があるとする。「私は」は文の主語となっているので、インド・ヨーロッパ語族の諸言では「格」で表現することになる。同様に、「の」は「属格」、「秘書に」は「与格」、「手紙を」は「対格」で表現する。歴史的には、「格」「対格」「属格」「与格」「具格」「奪格」「処格」「呼格」の8種類が存在していたとされる。

https://dic.nicovideo.jp/a/屈折

 始めに、俺は文法を考える。膠着語では、俺が文法を考えるとき、俺は次の決まり「助詞を単語に付加して、主語(主格)と述語と目的語(目的格)を表現する」を使用する。助詞には、「てにをは」がある。

例文としては、「俺は 彼を 殴った(orewa karewo nagutta)」。または、「彼は 俺を 殴った(karewa orewo nagutta)」。このとき、民は「俺+は」や「俺+を」を使用する。

それに対して、屈折語では、俺が文法を考えるとき、俺は次の決まり「単語それ自体を別の単語に変化させて、主語(主格)と述語と目的語(目的格)を表現する」を使用する。主語は「I」である。目的語は「me」である。I strike him. He strikes me. このとき、単語「I」は別の単語「me」に置き換わっている。これを膠着的に書くと、Iwa strike hewo(アイワ ストライク ヒヲ). Hewa strike iwo(ヒワ ストライク アイヲ). である。

 仮想的な例は次である。例えば、ある対象が主語になるとき、その対象は「object」である。The object destroys me. しかし、その対象が目的語になるとき、その対象が「vivin」である。I destory the vivin. このとき、この言語は屈折的である。単語それ自体が格(主語や目的語)を表現しているので、the vivin destroy I, でも通じるだろう。

膠着語では、ある対象が主語になるとき、その対象は「object+wa」である。しかし、その対象が目的語になるとき、その対象が「object+wo」である。I destory objectwo. objectwa destory Iwo.

反対に、俺は日本語を屈折的に書いてみる。ある対象が主語になるとき、その対象は「対象」である。その対象が目的語になるとき、その対象は「受目」である。また、俺が主語になるとき、その俺は「俺」である。俺が目的語になるとき、その俺は「なん」である。このとき、「俺 受目 破壊する」。「対象 なん 破壊する」。

人称に関する膠着と屈折

 英語には、人称による屈折が存在する。例えば、「am」と「are」と「is」が屈折の代表例である。それに対して、話者が-sを動詞に付加するのは膠着的である。人称による屈折はbe動詞にはあるが、動詞にはあまりないように思える。

例えば、俺は目的語の屈折を考えてみる。3人称の時、上記のvivinが「roron」になると仮定する。すると、He destorys roron. I destory object. 話者はこの2種の文を獲得する。同様に、動詞の屈折を考えてみる。3人称の時、上記のdestoryが「goth」になると仮定する。すると、He goth roron. I destory object. 話者はこの2種の文を獲得する。

日本語では、「いう」と「おっしゃる」が屈折的である。天皇陛下が「いう」は天皇陛下が「おっしゃる」に屈折する。個人的な印象では、畿内における京言葉はY染色体ハプログループO2a系統やO1b2系統の言語の結果であるように思える。

時制に関する膠着と屈折

 英語では、過去の表現の仕方には、2種類の仕方が存在する。一番目には、話者が-edを付加する。これは膠着的である。二番目には、話者がgoをwentにするように変形する。これが屈折的である。eatがateになるのも屈折的である。

仮想的には、俺は「いう」の過去形を「まふ」と仮定する。この時、「俺が言った」は「俺がまふ」になる。言ったは「iu+tta」であるので、膠着的である。

性に関する膠着と屈折

 俺は性に関する屈折を考えてみる。例えば、HeとSheが性に関する屈折の代表的な例である。日本語にも、彼女と彼が存在する。さらに、日本語では、話者は「俺」と「私」を使い分けている。雌は自己を俺と言わない。これは膠着的でなく屈折的である。

例えば、もしHe goth roron. のgothがhaeになるならば、この文「He hae roron.」は性に関して屈折している。目的語も性に関して屈折させる場合、roronはladに変化したりする。He hae lad.

次に、俺は仮想的な例を考える。例えば、俺は男性を-zyと表示する。俺は女性を-syと表示する。俺は雄を-vyと表示する。俺は雌を-fyと表示する。この時、俺はcognitionzy(男性系統の認識)とcognitionsy(女性系統の認識)を獲得する。

次に、俺は性に関する屈折を考える。例えば、俺が上記をfontion(男性系統の認識)とvantion(女性系統の認識)と置く。この時、これらの単語は屈折的である。

数に関する膠着と屈折

 数に関する屈折には、双数がある。仮想的な例では、俺は目をeyeとする。例えば、俺は二つの目をgolとする。この時、golは双数である。俺は三つの目をgafとする。この時、gafは3数である。

膠着的な数は次である。例えば、俺は-alを1として、-ilを2として、-ulを3として、-elを4としていく。すると、俺はobejctalとobejctilとobejctulとobejctelとobejctolを獲得する。この表示が膠着的である。これを屈折化させると、俺がobejctilをvalと置く時、valそれ自体が屈折的である。

孤立語

孤立語(こりつご、isolating language)とは、形態的類型論における古典的な類型の1つで、接辞などの形態論的手段を全く用いず、1が1形態素に対応する言語である

https://ja.wikipedia.org/wiki/孤立語

 孤立語には、中国語がある。孤立語は屈折も膠着も持たない。そのため、孤立語は順序を重視するように思える。

例えば、俺が日本語を孤立語で書くと、「俺 対象 破壊」。英語では、「I destory object.」。時制を考えると、「俺 対象 破壊 完」。英語では、「I past destory object」.

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