jewはユダヤ人かユダヤ教徒の白人か?〜人種観及び民族観の違い〜

言語
https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-35173762
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 アメリカ映画のセリフです。英語そのものの意味ではなく、「文化的な意味」が分からなくて質問します。女性2人連れに友達が「2人で何してるの?それも白人とユダヤ人で」といったニュアンスで問いかけるシーンがありました。

日本人から見たら、2人とも「白人」もしくは「アメリカ人」です。何が違うのか意味が解りません。アメリカ人同士の間では、白人とユダヤ人を、なにか区別して(差別ではなく)とらえるのでしょうか?

端的に言えば、ユダヤ人は白人ではないのでしょうか?質問カテゴリーが判断できず、この英語カテならば、アメリカの文化事情に詳しい方がいらっしゃるだろうと思い、このカテで質問します。映画は「ゴーストワールド」(2001年アメリカ)です。

https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8860561.html

 無宗教の東洋人にとって、宗教問題は理解不可能である。彼らから見ると、ユダヤ教徒の白人は単なる白人に見える。けれども、キリスト教徒の白人とユダヤ教徒の白人は仲違いしていて、その中の悪さは非常に深刻に見える。

上記の疑問は俺にとっても非常に自然であるように思える。俺もjewと呼ばれる人間は白人でないのかと疑問に思ってきた。少なくとも、俺は彼らを白人のユダヤ教徒と認識している。そして、jewの日本語訳は「ユダヤ人」でなく「ユダヤ教徒」が適切であるように思えた。jewishの日本語訳は「ユダヤ的」、または「ユダヤ教徒的」である。

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1章 前提(文明と人種及び民族観)

 前提 人種や宗教や文明が異なるとき、人種や民族に対する定義や認識も異なる。つまり、西洋文明における人種観≠東洋文明における人種観

 白人がユダヤ教徒の白人をユダヤ人と定義する。一方、東洋人が彼らを白人と認識する。なぜこの種の違いが生じるのか?

なぜなら、西洋文明と東洋文明では、人種や民族に対する定義と認識がそもそも異なる。もし東洋人が上記のように違和感を覚えるならば、その違和感の原因は東洋文明と西洋文明の文明的な違いの結果である。俺らが住んでいる文明は東洋文明であり、彼らが住んでいる文明は西洋文明である。

もし君がユダヤ教徒の白人が「ユダヤ人」みたいになっているのを見て、違和感を覚えるならば、君は君の自己の社会と文明と宗教を君自身で形成できている。もし君がユダヤ教徒の白人をユダヤ人と定義するならば、君は君自身の自己の社会や文明を持っていない。その結果、君は白人の視点や白人社会の人種観をそのまま取り入れたことになっている。

文明の違い

 ユダヤ教徒の白人が自己を白人でなくユダヤ人と定義する。これは西洋文明では間違いでない。一方、東洋人がjewをユダヤ人でなく、白人のユダヤ教徒と認識する。これもまた東洋文明では間違いでない。

文明が異なるとはこのようなことである。文明や人種が異なるとき、人間や世界に対する根本的な見方が異なってしまう。その結果、誰が戦中に虐殺されたのか?ユダヤ教徒の白人かユダヤ人かという認識や定義すら異なるので、虐殺された対象に対する見方ですら違いが生じる。

例えば、ユダヤ教徒の白人が俺らを虐殺するとき、俺らは白人によって虐殺されたと認識する。しかし、白人はユダヤ人が彼らを虐殺したので、白人はその虐殺に無関係であると主張するだろう。その時、白人は俺らによる刑罰を拒絶する。当然、俺らは白人は無責任であり、宗教に関係なく虐殺の刑罰を受けるべきであると感じる。

2章 東洋人の認識

 東洋人の認識 jewの日本語訳はユダヤ教徒である。jewと呼ばれる白人っぽいコーカサス人種はほぼ白人小人種である。

 以下で、俺はjewに対する俺の認識を提示する。おそらく、東洋人の大部分は以下のように感じてきた。俺はjewの日本語訳はユダヤ教徒であり、jewと呼ばれる白人っぽい人間は白人であると審判する。

ただし、ユダヤ教徒には、ネグロイド人種もモンゴロイド人種も存在する。加えて、コーカサス人種には、ペルシャ人のユダヤ教徒も存在する。ここで、焦点を当てるのは欧州(地中海は欧州でない)でユダヤ教徒と呼ばれてきた人間である。

jewには、地中海人っぽい人間も中東人っぽい人間も存在する。キリスト教徒にネグロイド人種もモンゴロイド人種もコーカサス人種も存在するように。

jewの人種

 彼らの生物種はホモ・サピエンスである。彼らの人種はコーカサス人種である。彼らの小人種は白人小人種である。

ただし、彼らは古代のユダヤ教徒の遺伝子を持っているかもしれない。それは大和民族が東洋小人種の部分集合であるが、縄文人の遺伝子を持っていることに似ている。大和民族は縄文人に遺伝的に少し寄っている。同様に、ユダヤ教徒の白人は古代のユダヤ教徒(おそらくコーカサス人種で中東人みたいな顔?)を持っていてもおかしくない。

その場合、彼らは古代のユダヤ教徒に遺伝的に少し寄っている。ただし、大和民族がアメリカ小人種でないように、ユダヤ教徒の白人は中東小人種でない。

jewの小人種

 ユダヤ教徒の白人の一部の顔は南方の白人や北方の地中海人に似ている。その場合、彼らの容姿は南フランスやスイスやウクライナやアルメニアやジョージアなどのコーカサス山脈に存在しているような顔である。

東洋人で例える、彼らは香港や北ベトナムに存在しているような容姿を持っている。彼らもまた東南アジア小人種と東洋小人種の中間あたりの容貌を持っている。けれども、彼らは高い知的能力と高い商売能力を持つので、彼らは東南アジア人でない。

古代のユダヤ教徒の人種と小人種

 古代のユダヤ教徒の人種はコーカサス人種であっただろう。しかし、彼らの小人種は白人小人種でなく、中東小人種であっただろう。あるいは、カルロス・ゴーンやアサド大統領のような顔をしていたように思える。

3章 jewへの認識法

 以下で、俺は東洋人がjewを認識する手法を提示する。

大局

 俺らが人間を把握するとき、俺らは人間を大局から局所へと把握する。例えば、あるjewを見るとき、俺らはまず彼らの生物種をホモ・サピエンスと認識する。。そのあと、俺らは彼らの人種をコーカサス人種と認識する。

俺らは彼らの小人種を白人小人種か地中海小人種と認識する。白人小人種の場合、俺らは彼らの民族をイギリス民族かケルト民族かゲルマン民族か西スラブ民族か東スラブ民族と認識する。

つまり、俺らは対象を生物種→人種→小人種→民族→部族→…→個族のように大局から局所へと把握する。なお、生物種⊃人種⊃小人種⊃民族⊃部族⊃…⊃個族である。

距離

 また、俺らがユダヤ教徒の白人の民族を認識するとき、俺らはその対象が誰に遺伝的に近いのかを認識する。任意のホモ・サピエンスはクローンでない限り遺伝的に同一でない。だから、俺らは個体間の距離によって人種や民族を把握している。

重要なことは対象xが白人かゲルマン民族かよりもむしろ対象xが白人に遺伝的に近いのか、対象xが地中海人に遺伝的に近いのかである。もしその対象xが白人に遺伝的に近いならば、その対象はケルト民族に遺伝的に近いのか、ゲルマン民族に遺伝的に近いのかが重要である。

安倍晋三と鳩山元総理が同じ大和民族に分類されるのは、彼らが遺伝的に近いからである。もし安倍晋三の遺伝子が朝鮮民族に遺伝的に近いならば、俺は彼を朝鮮民族により遺伝的に近い東洋小人種と認識する。

定義でなく認識

 また、俺らは対象の定義でなく、認識を優先させる。認識の後に、定義が存在する。俺らはユダヤ人の定義でなく、ユダヤ教徒に対する認識を優先させる。

認識でなく、定義を優先させるとき、俺らは混乱する。例えば、ユダヤ人の定義や日本人の定義や人間の定義、宇宙の定義やお金の定義は何であるか不明である。しかし、俺らはそれらを認識している。

もし俺らがユダヤ教徒を認識するならば、ユダヤ教徒は存在していると言える。もし俺らが日本人を認識するならば、日本人は存在していると言える。もし俺らがお金を認識するならば、お金は存在している。

人工と自然の区別

 俺らは人工的な概念と生物的な事実を区別する。ユダヤ教徒やアメリカ国民は人工的な概念である。一方、人種や民族や性は生物的な事実である。全てのホモ・サピエンスは人工的な概念と生物的な事実を区別する能力を持つのは必ずしも正しくはない。

人工的な概念の場合、俺らは「〜人」でなく、「〜教徒」や「〜国民」という単語を使用する。そのとき、christianはキリスト教徒、jewはユダヤ教徒、muslimはイスラム教徒になる。Americanはアメリカ国民、Australianはオーストラリア国民である。

4章 jewへの白人の定義法

 最後に、俺はなぜユダヤ教徒の白人が「ユダヤ人」になるかについて提示する。俺は白人による独特な人種観は生物学の対象であるように感じた。

定義の重視

 白人は定義を重視して、認識を軽視する。おそらく、彼らの脳は現実をうまく認識できない。例えば、彼らはユダヤ人とは、彼らの創造主と契約した人間?であると定義する。さらに、もし母親がユダヤ人であるならば、その子供もユダヤ人であると定義する。

そして、彼らはその定義に忠実に生きようとする。その結果、白人みたいな顔をした人間がユダヤ教徒の白人でなく「ユダヤ人」になる。白人は人種や民族に関する話でも科学や数学のような定義を重視する。

例えば、彼らはゲルマン民族とは、父親がゲルマン人である人間であると定義してしまう。しかし、この定義だと、ゲルマン民族が東洋人との混血を重ねるとき、彼らの見た目は東洋人になる。彼らは定義を重視するので、その見た目東洋人が定義上ゲルマン民族になる。

 おそらく、ユダヤ教徒の白人がユダヤ人になるのもこんな感じである。彼らは人種や民族に対する認識でなく、定義を優先させてしまう。東洋人は定義でなく、認識を優先させるので、彼らが異常に奇妙に見える。

白人は知覚と定義(正確には、信仰からくる定義)の小人種である。白人には、認識が存在しない。一方、東洋人は知覚と認識の小人種である。東洋人には、信仰(定義)が存在しない。

人工と自然の混同と対立的な思考

 白人は人工的な概念と生物的な事実を区別できない。彼らの能力は遺伝的なものであるように感じる。その結果、白人はユダヤ教徒という人工的な概念と白人という生物的な事実を混同する。加えて、彼らは対立的な思考を持つ。

彼らは人工的な概念と生物的な事実を区別できないので、彼らは彼ら自身がユダヤ教徒であることと白人であることを互いに対立させてしまう。俺がアメリカ国民かつ東洋人であることが成立するように、彼らがユダヤ教徒であることと白人であることは互いに両立する。

しかし、彼らは人工的な概念と生物的な事実を区別できず、かつそれらを対立させてしまうので、彼らはユダヤ教徒の白人でなく、ユダヤ人になってしまう。なお、ある人間が朝鮮人であること日本人であることは両立しない。朝鮮人はそれを認識できないので、彼らの脳は朝鮮人と日本人を使い分ける。

 彼らの思考はよく言えば、論理学的である。悪く言えば、彼らの思考は電子計算機的であり、彼らはまるで機械のように動く。実際、ドイツ人の動きも滑らかでなく、カクカク動いている。

ひどい場合、ユダヤ教徒の白人は自分が白人であることを否定し始める。彼らは彼ら自身がユダヤ教徒であることと白人であることを対立させて、まるで善悪二元論のように捉える。そして、彼らはユダヤ教徒側から白人がわを糾弾して、悪を倒そうとする。

局所から大局へと人工的に構成する。

 白人は彼ら自身を局所から大局へと定義する。その結果、彼らは彼ら自身が誰であるかをうまく認識できなくなる。例えば、イングランド人は彼ら自身をイングランド人(イングランド部族)→イギリス人(イギリス民族)→白人(白人小人種)→コーカサス人(コーカサス人種)→ホモ・サピエンス人(ホモ・サピエンス生物種)のように定義する。この手法では、彼らは彼ら自身の立ち位置をうまく把握できない。

例えば、俺らが地球を把握するとき、俺らはその地球を曲面片から地球の球面と構成するのではなく、遠くから地球を見て、地球の形を把握する。しかし、白人は大局から局所へと把握するのではなく、局所から大局へと人工的に構成する。そして、構成されるとき、彼らは地球の表面の形が球面であると考える。

これはユダヤ人でも同じである。彼らは創造主の言葉から彼ら自身を人工的に構成する。まるで白人が曲面片から球面を人工的に構成するように。人間の場合、彼らは地球の球面のように人間をうまく人工的に構成できないので、彼らは彼ら自身が誰であるかわからなくなる。

 東洋人は人間を大局から局所へと自然に認識しようとするので、この種の自己認識の問題に遭遇しない。地球の表面をパッと見て、「地球の表面の形は球面である」と自然に認識できるように、彼らはjewを見て、「彼らはほぼ白人である」と自然に認識できる。

しかし、白人は局所から大局へと構成されないと、対象をうまく把握できない。その結果、ユダヤ教徒の白衣人は東洋人から見て非常に奇妙な存在になる。

主語の欠落

 白人は彼ら自身の主語を認識することを苦手とする。そのため、彼らは彼ら自身が誰であるのかを遺伝的に認識できない。その結果、彼らはユダヤ教徒の白人でなく、ユダヤ人になってしまう。

俺の印象では、ユダヤ教徒の白人は彼ら自身をふざけて「ユダヤ人」と呼んでいるのでなく、彼らは彼ら自身を本当にユダヤ人であると信じているように思える。なぜなら、彼らの脳は彼ら自身を遺伝的に認識できない。

これはユダヤ教徒の白人だけでなく、ドイツ人もイギリス人も彼ら自身が誰であるかをうまく認識できない。例えば、ドイツ人は色付きを差別主義者やナチスやヒトラーと侮辱するが、東洋人の大部分は「お前がナチスだろ、お前が言うな」と感じているように思える。なぜ彼らがこの種の愚かな行為をするのかと言うと、ドイツ人は彼ら自身の先祖がナチスであることを遺伝的にうまく認識できない。

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