本(book)〜善悪が書かれた秘伝の書物〜

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 現在、多くの書籍(本)が出版されている。大量の書籍の出版に伴い、人々は書籍を情報の単なる記録を認識してているように見える。言い換えると、本は粘土板や石版にへの記録と同じである。

しかし、俺は本をそのように認識していない。俺にとって、本は宗教的書物のようなものである。つまり、本には、この自然界には存在しない善悪が書かれている。

俺にとって本とは、秘密の何である。たとえ俺らが自然を観察するとしても、俺らは本の中の何かを知ることはできない。さて、以下で、俺は本に対する俺の認識を提示しよう。

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1章 本(book)

 共通認識 本(book)とは、自然界(物質世界)に存在しない対象が記録された対象である。

 本(book)とは、自然界(物質世界)に存在しない対象が記録された対象である。例えば、善悪(レッドカード)は自然界には存在しない。だから、善悪を記録した対象は本である。本よりも、ブックという響きはよりbookの意味を表現しているように感じた。

人々は彼らの善悪を彼らなりに思考する。けれども、善悪の数が無限に増加するとき、俺らは何が唯一の正当性を持つ善悪であるかを彼ら自身で決定する必要がある。そして、その唯一の正当性を持つ善悪は自然界には存在しない。

では、その唯一の正当性はどこに存在するのだろうか?そう、それは「ブック」の中に”のみ”存在する。その善悪は創造主の言葉として書かれている。和風に言い換えれるならば、「ブック」とは、秘伝の書物であり、秘伝マシンである。

 本を読むことが重要であるのは、自然界や人間社会がどのように動いているかを知ることができるからでない。本を読むことが重要であるのは、俺らがこの物質世界に存在しない善悪を知ることができるからである。

自然界には、善悪が存在しないので、たとえ俺らが自然界の全てを明らかにするとしても、俺らは男女平等と男女公平のどちらが正しいのかすら知ることができない。しかし、もし俺らが「ブック」を読むことができるならば、俺らは唯一の正当性を持つ善悪、つまり真理を獲得できる。

そのとき、俺らは間違った方向に進まない。俺らは常に正しい方向へと進むことができる。それは素晴らしい。だから、俺らは「ブック」を読むことが重要であると感じてきた。

 もし俺らが「ブック」を読んだならば、俺らはアメリカ大陸の多様性を決して賛美しなかっただろう。なぜなら、その賛美行為が善であるか、悪であるかがその「ブック」に書いてある。

当然、もし俺らが対象それ自体や対象の存在や状態や運動に対する善悪を判断できるならば、「ブック」は必要ないだろう。しかし、ホモ・サピエンスのほとんどは善悪の判断それ自体を下せない。善悪の判断を下すというのは、ホモ・サピエンス離れした、まさに人間離れした特別な能力である。

2章 本(book)の具体例

1節 ユダヤ教の宗教書

 ユダヤ教の宗教書は「ブック」である。なぜなら、善悪が創造主の言葉という形を借りて書かれている。もし俺らがその「ブック」を読むならば、俺らは何が正しいかを知ることができる(はず)。

俺自身はユダヤ教の宗教書を知らないが、罪の概念がそこに存在するはずである。当然、罪は自然界には存在しない。

2節 儒教の書物

 儒教の書物は「ブック」である。なぜなら、礼が孔子や彼の弟子たちの力を借りて書かれている。もし俺らが「ブック」を読むならば、俺らは何が正しいかを知ることができるはず。

例えば、東洋人は礼の文明である。無礼や非礼な行為が悪い(レッドカード)。だから、俺らは「ブック」を読んで、初対面の人間を「差別主義者」と呼ぶことは非礼であるので、悪いと判断できる。なお、罪の文明では、その行為は罪でないので、何をやっても良い。

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