潜在能力と能力と可能性(potentiality, ability, possibility)

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 能力に関する流れ 潜在能力→(訓練)→能力→(条件)→可能性→意志による行為の選択→能力の発動

 俺は潜在能力(potentiality)と能力(ability)をうまく区別することができない。類似した概念として、可能性(possibility)や確率(probability)や条件(condition)、そして意志(will)や力(force)が存在するように見える。

以下では、俺はこれらの単語を解釈するつもりである。俺は対象の能力や潜在能力を対象の状態(形容詞)と解釈する。

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能力(ability)

 運動能力や知的能力が能力の代表的な例である。運動能力や知的能力は遺伝子に関係する。機械論的な自然観では、遺伝子は完全に自動的に運動する。遺伝子を持っていることは能力を持っていることである。遺伝子の発現を力と解釈すると、遺伝子を持っていることは物体を運動させる力を持っていることである。または、遺伝子を持っていることはある存在や状態や運動を実現させる(物理的な)力を持っていることである。

それに対して、意志に関する能力も存在する。意志を選択と解釈すると、能力を発現させる、させない選択肢が存在する。以下では、俺は自動性に関する能力と非自動性に関する能力を見てみる。

動物の遺伝子

 例えば、運動や音楽や数学に関する才能は遺伝である。だから、数学者の子孫は数学に長けている。言い換えると、その子孫は数学を消化する能力を彼の意志に無関係にほぼ自動的に発現させる。俺が数学的な情報を彼らに与えると、勉強する意志を考慮しなければ、その子孫はその情報を自動的に消化し始める。数学の才能がないといった場合、ある人間が数学を消化する遺伝子を持っていないことである。

この能力は牛乳の消化能力に似ている。乳糖耐性は遺伝である。だから、日常的には、もしある人間が乳糖耐性を持つならば、その子孫も乳糖耐性を持つ。その子孫は牛乳を消化する能力を彼の意志に無関係にほぼ自動的に発現させる。俺が牛乳を彼らに与えると、飲む意志を考慮しなければ、その子孫はその牛乳を自動的に消化し始める。

上記は肌の色や身長にも応用される。肌の色は遺伝子に関係して、その色素は自動的に発動する。身長も遺伝子に関係して、その身長はほぼ自動的に発現する。ただし、運動や音楽や数学、牛乳の摂取と異なるのは、これらの能力の発現は人間の意志が関係するが、肌の色の発現は人間の意志にほぼ無関係であることである。

植物の遺伝子

 植物の種子は発芽能力を持つ。もし条件(土地や水や日光)が存在するならば、そのとき、その種子は発芽能力を発現させる。そして、芽が生じる。おそらく、この発芽能力は遺伝子に関係している。もし条件が整うならば、その能力は自動的に発現する。

ただし、植物は彼ら自身の意志を持っていない。だから、種子は自己の種子の発芽能力を発現させる、または発現させないという選択肢を持っていない。これは受精卵の発生に似ていて、その発生もまたほど自動的である。それに対して、ホモ・サピエンス(人間)の場合、彼らは数学を勉強しない、牛乳を飲まないという選択肢を持っているように見える。その場合、彼らは数学能力の発現や乳糖耐性能力の発現を彼ら自身で制御している。

植物の場合、もし俺がある条件を整えるならば、植物のある能力は自動的に発現する。それに対して、動物の場合、たとえ俺がある条件を整えるとしても、動物のある能力は必ずしも自動的には発現しない。

物質

 物体は他の物体を動かす能力を持っている。この能力は自動的に発現して、力になる。一般的には、物体はその意志を持たない。また、物体はそれ自体が運動する能力を持っている。この能力は自動的に発現して、運動になる。物体はその意志を持たない。

物体の運動を物体の性質と解釈すると、物体の運動はその能力を持つ。同様に、物体の状態を物体の性質と解釈すると、物体の状態もその能力を持つ。同様に、物体の存在を物体の性質と解釈すると、物体の存在もその能力を持つ。

潜在能力(potentiality)

 能力は潜在能力に似てる。さらに、潜在能力は条件に関係しているように感じる。英語では、潜在能力はpotentiality(potential ability)と翻訳されるように見える。以下では、俺は潜在能力について述べる。

潜在能力

 日常的には、潜在能力とは訓練が施される前の能力である。訓練がされた後、潜在能力は能力に変化する。正確には訓練が施された後に、適切な条件の下で、潜在能力は能力に変化する。例えば、ある人間が誰かを雇用する時、君は潜在能力を持った人間を雇用すべきでない。なぜなら、訓練に関する費用がかかる。君は能力を持った人間を雇用すべきである。

数学の例では、たとえある子供が数学を消化する能力を持つとしても、言語の読み書きや聞き話、数学に関する基本的な訓練を経験しないならば、その子供の数学を消化する能力を発現しないだろう。たとえその子供が数学を消化する能力を持つとしても、言語能力が未熟であるならば、数学に関する話を理解できず、かつ数学書を読むことすらできない。

植物の種子や物質の場合、潜在能力は存在しないように思える。もし俺が植物や物質に訓練を施すことで、何らかの潜在能力が能力に変化するならば、植物の種子や物質の未知の能力が自動的に発現するかもしれない。

条件

 ある潜在能力が訓練によって能力になった後に、能力の発現のための条件が必要になる。 たとえある人間が能力を持つとしても、適切な条件が整わないならば、その人間の能力は発揮されない。もし君が能力を持った人間を雇用したいならば、君は費用をかけて環境を整備する。

数学の場合、たとえ俺が子供の潜在能力を訓練で引き出して、数学を消化する能力を持たせるとしても、もし戦争や災害などがその能力の発現を妨害するならば、その能力が発現しない。同様に、たとえ俺が種子を用意するとしても、水や日光や土壌を用意しないならば、その種子の発芽能力は発現しない。

可能性(possibility)

 以下では、俺は可能性について述べる。可能性は能力の発現の条件と意志に関係する。たとえ能力が存在するとしても、条件が整っていなかったならば、その能力は発現しない。つまり、可能性は0である。

条件

 例えば、種子が存在する。その種子は発芽能力を持っている。しかし、たとえ種子が存在するとしても、もし条件(環境)が存在しなかったならば、種子の発芽の可能性は0である。水の不足や土地の不足がそれに該当する。

同様に、ある子供が数学能力を持っている。しかし、たとえその子供がその能力を持っているとしても、もし条件(環境)が存在しなかったならば、その子供が数学を消化する可能性は0である。戦争や災害による勉強時間の不足がそれに該当する。

意志

 意志も可能性に関係する。たとえある子供が数学能力を持ち、かつ環境が用意されるとしても、もしその子供が勉強する意志(やる気)を持っていなかったならば、その子供の能力は発現しないだろう。実際、たとえ俺が競技のための走行道を犬に用意とするとしても、その犬が走行能力を必ずしも発現させるとは限らない。能力が発現するためには、条件だけでは不足である。能力と条件は能力の発現の可能性を100にしない。

確率(probability)

 確率は可能性に似ている。確率は可能性に関係する。以下では、俺は能力の発現の確率について述べるつもりである。

確率

 種子が存在する。俺は光や水や土地を種子に与える。もし種子の発芽の確率が1/2であるならば、そのとき、種子は発芽する、または発芽しない。日常的には、種子の能力は発現しないかもしれない。その他には、たとえ俺が環境をある社員に用意するとしても、その社員の能力が必ず発現するとは限らない。数学も同様である。たとえ俺が環境を子供に与えるとしても、その子供の能力は常に発現するとは限らない。そのため、その子供は数学を消化することに失敗するかもしれない。つまり、一度では、その子供がある数学に関する情報を消化することができるとは限らない。

電飛

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