橋本琴絵とネアンデルタール的なるもの

大和民族
https://unsplash.com/photos/N-6mnzmVljA
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   「ネアンデルタールは弔意が無いから靖国神社への参拝拒否」「児童ポルノは間違いなくネアンデルタール」――こんな「ぶっ飛んだ」ツイートを連発するアカウントが、今ネットの一部で注目を集めている。その名は、「橋本琴絵」。なんと、希望の党から2017年10月の衆院選に出馬(落選)した現役政治家だ。いったいなぜこんなツイートを? J-CASTニュース編集部が取材を試みると……。

https://www.j-cast.com/2018/01/17318910.html

 橋下琴絵は希望の党から立候補して落選した。その後、彼女はネアンデルタールに関する投稿を実行して、炎上した。大和民族のほとんどは彼女を意味もわからず侮辱している。けれども、俺が彼女の発言をよく観察する時、彼女はそれほどおかしなことを言っているようには見えない。また、彼女は論文をある程度読んだ後、彼女はこの種の呟きを実行している。

この「ネアンデルタール的なもの」は別にネアンデルタールでなくてもよく、「鉄オタ的なもの」や「アスペ的なもの」や「ホモ・サピエンス的でないもの」でも良い。おそらく、橋本琴絵は種族の違いを強調するために、ネアンデルタールという単語を使用しているように感じた(本気かもしれないが…)。

以下では、俺は橋下琴絵のネアンデルタール的なるものについて述べるつもりである。

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ネアンデルタール的なるものとその感覚

 以下では、俺はネアンデルタール的なるものとその感覚について述べるつもりである。ネアンデルタール的なるものはネアンデルタールにはあまり関係なく「異種族感」と言った方が良いだろう。

橋本琴絵の発言

 上記が橋下琴絵の発言である。ホモ・サピエンスと呼ばれる個体がネアンデルタール由来の遺伝子を持っていることは科学的な事実である。もしホモ・サピエンスと呼ばれる個体がネアンデルタール由来の遺伝子を持っているならば、その遺伝子の発現が人間社会の中で観察される可能性がある。その場合、ネアンデルタール由来の行為もまた観察されるだろう。

また、俺はホモ・サピエンスと呼ばれる個体の一部は家族それ自体を形成することができないと認識する。これがネアンデルタール由来であるのかは不明である。けれども、俺がホモ・サピエンスと呼ばれる個体が家族を形成することができないのを見る時、俺は彼らは種族が異なるように感じる。彼らは群れを形成するが、家族を形成することができない。

また、ホモ・サピエンスと呼ばれる個体の一部は弔いの概念がないのも俺の認識に一致する。児童ポルノについては不明である。また、ネアンデルタールが極悪非道であるのは不明であるが、猿や類人猿に近かった可能性がある。その場合、彼らは猿と同様に、家族を形成することができず、かつ弔いを実行することができない。

上記では、橋下琴絵はネアンデルタールの血を汚い獣の血と呼んだ。もしネアンデルタールが類人猿に近かったならば、ホモ・サピエンスと呼ばれる個体が獣の血を持っていることは科学的な事実である。たとえば、クマという獣はホモ・サピエンスの子供を生きたまま食べる。なぜなら、それらは獣である。けれども、人間はこの種の行為を実行しない。しかし、ネアンデルタールやデニソワの行為は現時点では不明である。

Tamejirouの発言

 Tamejirouはツイッター利用者である。俺は彼の発言は橋本琴絵の発言に似ていると認識する。彼の発言は穏やかである一方、橋本琴絵の発言は表面的には過激である。しかし、どちらもホモ・サピエンスと呼ばれる個体の全ては同じ種族でないと感じている。

上記では、Tamejirouはホモ・サピエンスと呼ばれる個体は同じ種族でないと感じている。この感覚は橋本琴絵のネアンデルタール的なるものに似ている。彼は種族の違いをネアンデルタールには結びつけていない。

橋本琴絵も上記のTamejirouもまたコーカサス人種とモンゴロイド人種とネグロイド人種が同じホモ・サピエンスでないことの何となく気づいている。俺の印象では、彼らはかなり強い確信を持って、「俺らは同じホモ・サピエンスでない」と考えているように見える。この種の文章に対して、知的に不誠実なホモ・サピエンスは科学や科学論文を引用するが、知識や定義でなく俺は他者に聞きたい。君らはホモ・サピエンスと呼ばれる個体を本当に同じ種であると “認識” しているのか?

彼もまた種族の違いを確信しているように見える。橋本琴絵によるネアンデルタールもTamejirouによる種族の違いも実質的には同じことを言っている。例えば、弔いの無さや家族の欠如が種族の違いであるのか、ネアンデルタール由来であるのかである。俺はそれがネアンデルタール由来であると断言しない。けれども、俺もまた種族の違いを感じる。

上記では、Tamejirouは橋本琴絵よりも直接的に呟いている。しかし、彼の発言は知的に誠実であり、露悪的でない。俺は彼はインドネシアにおけるホモ・サピエンスと呼ばれる個体を同じ種族と認識していないと認識する。ただし、それがデニソワであるのか、ネアンデルタールであるのかは不明である。

Tamejirouはおかしな人間でない。けれども、Tamejirou彼自身がゲルマン人と北方遊牧民と東南アジア人が同じ種でないと認識している。上記の感覚や認識がまさに「ネアンデルタール的なもの」である。実際、東南アジア人の一部はオセアニアにおけるデニソワのような原人と母系で比較的に強く交雑しているかもしれない。言い換えると、東南アジア人の一部はホモ・サピエンスでない遺伝子を少なくない割合で持っている可能性がある。

Tamejirouはアジア人はヨーロッパ人と異なる種族と交雑していると感じている。その種族がデニソワであるのか、ネアンデルタールであるのかは不明である。けれども、Tamejirouも橋本琴絵もホモ・サピエンスと呼ばれる個体の中に、何らかの種族の違い、つまりネアンデルタール的なるものを感じている。

Robert Sepeher

https://www.youtube.com/watch?v=pDUAhrN9F0E

 Robert Sepeherは本物の白人至上主義者である。ネグロイド人種に対する彼の感覚は上記の動画や上記の画像である。Robert Sepeherの表現は橋本琴絵やTamejirouよりもより直接的である。けれども、白人の一部はこのように感じているはずである。つまり、彼らはネグロイド人種を同じホモ・サピエンスや同じ種族、同じ人間と認識していない。

 WASHINGTON (Reuters) – Scientists examining the genomes of West Africans have detected signs that a mysterious extinct human species interbred with our own species tens of thousands of years ago in Africa, the latest evidence of humankind’s complicated genetic ancestry. The study indicated that present-day West Africans trace a substantial proportion, some 2% to 19%, of their genetic ancestry to an extinct human species – what the researchers called a “ghost population.” “We estimate interbreeding occurred approximately 43,000 years ago, with large intervals of uncertainty,” said University of California, Los Angeles (UCLA) human genetics and computer science professor Sriram Sankararaman,

https://www.reuters.com/article/us-science-ghost/ghost-ancestors-african-dna-study-detects-mysterious-human-species-idUSKBN2072X9

I’m of mostly west-african genetics, have lived there and am familiar with black people from various places. I’ve been thinking for many years that it would come out, soon, that some sub-saharan africans have “something” up there in the tree.There was also that weird book called “erectus walks among us”.

I don’t know how familiar you all are with africans but if you are, you will have noticed that some african blacks have a skull shape that’s not really that different from the eurasian norm. In pretty much every corner of black africa you can find orthognathous people who don’t have the protruding lower face. You can find people with relatively thin lips. They are out there and in some ethnic groups, I found that orthognathy was quite common. Then you meet the other kind of people. I encountered such people even as a child and I had a very hard time accepting that they were just homo sapiens. I have encountered myself some incredibly primitive looking people. It just didn’t make sense to me that there wasn’t “something else” in those people that was clearly visible. Based on my physionomy and skull shape, I wouldn’t expect that much homo erectus in me, though.

I think that modern human are primarily from an hominid species that lived in the area of north-africa and arabia. I think most of the DNA for all of us can be traced to these people. Then, as they expanded, they mixed with other “humans” and prevailed over them somehow. In eastern Asia they encountered Denisovans. In West Asia and Europe they bred with Neanderthal. In the Sahara and beyond, in the forest, they bred with some yet unknown primitives.

https://www.youtube.com/watch?v=pDUAhrN9F0E

上記の感覚もまた「ネアンデルタール的なるもの」である。西アフリカ人自体がサブサハラ人の先祖には何かが混じっていると感じている。さらに、彼らは何かと深い森の中で交わったと感じている。森の意味は猿が住んでいるであるので、森の中での交雑は未知の種族との交雑に等しい。俺の個人的な印象でも、ホモ・サピエンスと呼ばれる個体には、何かが混じっている。

ネアンデルタール的なるものと種族

 以下では、俺はネアンデルタール的なるものと種族について述べるつもりである。種族は人種や病気に似ている。種族も人種も病気も人間によって認識される。

ネアンデルタール的なるもの

 俺系統の認識 ネアンデルタール的なるものとは、「分類上はホモ・サピエンスに分類されているが、俺らがホモ・サピエンス的でないと感じる」ホモ・サピエンスである。

 言い換えると、俺らがネアンデルタール的なものを見る時、俺らは「彼らはちょっと俺らと違うな…」と感じる。たとえ俺らの形や色が似ているとしても、ホモ・サピエンスと呼ばれる動物には、ホモ・サピエンス的でないものが潜んでいる。当然、大和民族と呼ばれるホモ・サピエンスにも、ネアンデルタール的なものが潜んでいる。

例えば、ネアンデルタール的なるものは俺らと異なる時間感覚を持っている。それらは将来的な計画を立てることができない。さらに、彼らはほんの先の未来すら予測することができないように見える。この時、俺はそれらは俺らと種族が異なるように感じる。この時間感覚は種族の違いに関係しているように見える。

長寿と短命

  俺らがホモ・サピエンスを観察するとき、俺らは長寿と短命のホモ・サピエンスが存在することに気づく。個人的な印象では、実際、ネアンデルタールとホモ・サピエンスの寿命は互いに大きく異なっていたように思える。個人的には、俺らは「ネアンデルタール的なもの」をこの状態にも感じる。

上記の男性Tamejirouは橋本琴絵と同じようなことを言っている。つまり、ホモ・サピエンスの群れには、異なる種の個体が混じって、生活していることである。一見すると、短命のホモ・サピエンスは遺伝子によって生じる病気で死んだように思える。

けれども、短命の種族だから病気で死んだのか、同じ種族であるけれども、たまたま病気で死んだのか。俺らが短命で死んだ対象を単なる病気と認識するのか、または短命の種族であったと認識するのかには、解釈(認識)の余地が存在する。

科学的には、遺伝子の発現の結果によって、彼らは短命で死んだのだろう。しかし、もし彼らの短命が決定論のように生得的に運命付けられていたならば、(統計的な考えを除去するとしても)、俺も短命のホモ・サピエンスの種族はホモ・サピエンスと根本的に異なるように思える。

上記の感覚は橋本琴絵のネアンデルタール的なるものに類似する。短命のホモ・サピエンスを種族の違いと認識するのか、単なる遺伝子の現象と知覚するのかは人間の認識に依存する。もしある犬の寿命が10年であり、別の犬の寿命が30年であるならば、その時、たとえその犬と別の犬の形や気質が互いに似ているとしても、俺はその犬と別の犬を異なる種類として認識するだろう。

アスペ

発達障害者に深入りすると本当に「ここまで心が汚い人間を見たことない…」って気持ちになるよね?誰にでもありえるような無神経さや狡さや弱さでは到底ないね 。発達障害者にとって優しさはありがたいものではなく、舐めて軽んじる相手認定するもの。

増長ずる一方のアスペに疲れ果てて見放されたらそれまでのどんな恩さえ関係なし、自分の原因は眼中にない。ずっと当たり前に優しくいてくれないなら仕返ししてやるぞと思うだけの人間。あまりに何もかもが汚くて、長所を探したくてもひとつも見つけられないままだった。思い遣り深いみんなの太陽のような上司がアスペの仕返しで胃を壊してからは、みんな敵意全開の対応してやってやるよ。それでも最後までみんなとの仲を取り持とうと、見放しても非情にまではなりきれずアスペをかばおうとしてた上司を、アスペが自分で追い打ちかけて壊した 。

このとき心底これは人間じゃない」「人間扱いする必要が一切ないと確信したね。今までどれだけみんなのお情けに守られてたかもわからないで、恥ずかしい仕返しを平気でするやつに与えるお情けなんかないんだからな 。アスペは面食らった反応で小さくなってて呆れたよ 。こうならないわけないだろ、こんなことしてみんなに今までどおり受け入れてもらえると思ってたのか?どんな脳だよ 。アスペは社会の無理解で生き辛い思いをしてる?はあ? アスペなんか理解したらこんな目に合うだけじゃないか!断じて何ひとつ被害者ではないし徹底的にいじめられて当たり前の人間だよあんなのな

 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10179036820

 上記はYahoo知恵袋からの引用である。質問者は発達障害者に接触した後、彼は発達障害者は同じ人間(ホモ・サピエンス)でないと感じた。発達障害者に対するこの感覚は橋本琴絵のネアンデルタール的なものに似ているように感じる。

上記の発達障害者は悪い性格を持っているのでなく、ホモ・サピエンス的でないように見える。言い換えると、彼らは生得的に病的である、または種族が異なる。この種の個体がホモ・サピエンスの群れの中に潜んでいるのは事実であるように見える。

当然、単なる病気の個体であるかもしれない。ただし、この種の変な個体が単なる病気なのか、種の根本的な違いであるのかは不明である。前者の場合は治療すれば治るかもしれない。けれども、たとえ俺らがこの種の変な個体を治療しても、治癒しないならば、それはもはや病気でなく種の違いであるように感じる。

具体例〜ネアンデルタール的なもの〜

善悪の欠如

 善悪の欠如:ホモ・サピエンスと呼ばれる個体群には、善悪の判断を生得的に下せない種族(ネアンデルタール的なもの)が観察される。

 例えば、俺は「アメリカ大陸の多様性を賛美することは善であるのか、悪であるのか」と質問する。その時、ネアンデルタール的なものは俺の質問に回答できない。

たとえネアンデルタール的なものが悪(レッドカード)であると返答するとしても、もし俺が「では、その善悪はどの宗教の系統であるか?」と質問するならば、彼らは善悪(レッドカード)それ自体を持っていないので沈黙する。その他の例では、ネアンデルタール的なものは「医者を先生と呼ばせることは善であるか、悪であるか」という質問に回答できない。この時、彼らは「医者を先生と呼ぶと便利である」などと善悪に関する質問に対して、”事実(実際に生じたこと)” で返答する。

ネアンデルタール的なものは「ハンド行為は善であるか、悪であるか」と質問するとき、彼らは「俺らはハンド行為をしていない」と “事実” で返答する。しかし、俺らが尋ねているのは、実際に生じた事実でなく、善悪である。そのほかには、俺らは「西側白人ハーフの子供を産んで自慢することは善であるか、悪であるか」と質問するとき、ネアンデルタール的なものは「自慢してない」や「日本人男性はモテない」や「嫉妬(笑)」と事実や悪態で返答する。

認識の欠如

 認識の欠如 ホモ・サピエンスと呼ばれる個体群には、対象を生得的に認識することができない種族(ネアンデルタール的なもの)が観察される。

 この種の種族は世界に対する知覚、特に高度な知覚を持っているが、彼らは世界を認識していない。そのため、ネアンデルタール的なものは認識に関する質問に回答できない。

例えば、ネアンデルタール的なものは「君はユダヤ教徒の白人をユダヤ人と認識しているのか」や「君は古代ギリシア人や古代ローマ人を欧州人(いわゆる白人)と認識しているのか」や「君は人種、例えばネグロイド人種を認識していないのか」という質問に適切に回答できない。ネアンデルタール的なものは認識に関する質問に対して、”定義” や “知識(論文の引用)” で応答してしまう。この種の質問に対して、ネアンデルタール的なものは「ユダヤ人とはユダヤ教徒のことである」や「スペインやギリシアは欧州連合である」や「人種は科学的には存在しない」と返答する。

けれども、俺らが聞きたいのは、「君らは世界をどのように認識しているのか」である。俺らは認識を尋ねているのに、彼らは定義や知識で返答するので、種族の違いが存在するように感じる。この種のネアンデルタール的なものは大和民族の遺伝子に関する話において生じてくる。彼らはずーっと論文を引用し続けるが、彼らは自己の認識を絶対に明らかにしようとしない。

自己の欠如

 自己の欠如 ホモ・サピエンスと呼ばれる個体群には、自己それ自体を生得的に知覚、または認識することができない種族(ネアンデルタール的なもの)が観察される。

 この種の種族は自己それ自体を持っていないので、彼らは自他境界を関西人(渡来人の子孫)のように区別することができない。ネアンデルタール的なるものは自己を持っていないので、彼らは見たものや聞いたものや知ったものを自己それ自体と認識する。

ネアンデルタール的なものはまるでアヒルの雛が視界に入って動くものを親と認識するように、ネアンデルタール的なるものは見たものや聞いたものや知ったものを自己それ自体と認識する。彼らは自己を持っていないので、彼らは自分の名前や名字がなくても不思議に感じないし、自己の人種名や自己の民族名がないくても不思議に感じない。

例えば、発達障害のキモオタに漫画やアインシュタインの自伝を読ませると、彼らは漫画の口調を真似したり、「科学は人類の役に立つ」とまるで彼ら自身がアインシュタインになったように主張し始める。または、大和民族の雌が西側白人と結婚する時、彼女らはまるで白人のように振る舞い、自己も有色人であるのにも関わらず、有色人を人種的に侮辱し始める。

電飛

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