橋本琴絵とネアンデルタール的なるもの

大和民族
https://twitter.com/HashimotoKotoe/photo
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 人種論じゃないけど日本人の中ですら種族差って相当あって、それは平均寿命もそうだし言葉が通じる度合いや、逆に「暴力に屈するか否か」みたいな因子も変異が大きい。居るんだよ体罰が通じねえやつが。同様に「金銭的インセンティブでピクリとも心が動かないやつ」ってのもいて、これは別に資産持ちとかそういうのではなく本当に物欲が薄い種族がいる。

https://twitter.com/Tamejirou/status/1265817452652331008

 橋本琴絵は謎のネアンデルタール理論を電街世界で投稿している。この「ネアンデルタール的なもの」は別にネアンデルタールでなくてもよく、「鉄オタ的なもの」や「アスペ的なもの」や「ホモ・サピエンス的でないもの」でも良い。おそらく、橋本琴絵は種族の違いを強調するために、ネアンデルタールという単語を使用しているように感じた(本気かもしれないが…)。

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ネアンデルタール的なものとは?

 俺の個人的な考えだと別系統の人類はこれまで何種類も生き残ってるし、凄惨な殺し合いを続けてるよ…… 多少の混血によって、遺伝学的には見た目上同種と扱われてるけれど、ゲルマン人、北方遊牧民と東南アジア民が完全に同種とはどうも思えないのだ。

https://twitter.com/Tamejirou/status/788926852295307265

 別々の種族が異なる規範を抱えたまま併存しているのを建前論で見てみぬふりしているからそういうややこしい事が起こる

https://twitter.com/Tamejirou/status/1041584021682061312

ネアンデルタール的なもの

 俺の認識:ネアンデルタール的なものとは、「分類上はホモ・サピエンスに分類されているが、俺らがホモ・サピエンス的でないと感じる」ホモ・サピエンスである。

 ネアンデルタール的なものとは、「分類上はホモ・サピエンスに分類されているが、俺らがホモ・サピエンス的でないと感じる」ホモ・サピエンスである。言い換えると、俺らがネアンデルタール的なものを見る時、俺らは「彼らはちょっと俺らと違うな…」と感じる。たとえ俺らの形や色が似ているとしても、ホモ・サピエンスと呼ばれる動物には、ホモ・サピエンス的でないものが潜んでいる。当然、大和民族と呼ばれるホモ・サピエンスにも、ネアンデルタール的なものが潜んでいる。

人種

 5年刻みでしか年齢を把握してないインドネシアの人みたいになってる ワイは去年くらいから再来年まで「40です」って言って回ってます。たぶん別の人類の血が多少入ってますよね。差別的な意味でなく、サピエンスほどは年周期をあまり気にしなかった種族の血を引いてるのでは。年収期の作物に縛られず、年に何回も穫れるバナナや、逆に収穫に数年かかるイモ類に依存して食ってて、年周期の気候変動が緩やかだとそうなるのかもしれない

https://twitter.com/Tamejirou/status/1380643001597227012

 上記の大和民族Tamejirouはおかしな人間でない。けれども、Tamejirou彼自身がゲルマン人と北方遊牧民と東南アジア人が同じ種でないと認識している。上記の感覚や認識がまさに「ネアンデルタール的なもの」である。

実際、東南アジア人の一部はオセアニアにおけるデニソワのような原人と母系で比較的に強く交雑しているかもしれない。言い換えると、東南アジア人の一部はホモ・サピエンスでない遺伝子を少なくない割合で持っている可能性がある。

橋本琴絵も上記のTamejirouもまたコーカサス人種とモンゴロイド人種とネグロイド人種が同じホモ・サピエンスでないことの何となく気づいている。俺の印象では、彼らはかなり強い確信を持って、「俺らは同じホモ・サピエンスでない」と考えているように見える。この種の文章に対して、知的に不誠実なホモ・サピエンスは科学や科学論文を引用するが、知識や定義でなく俺は君に聞きたい。

君らはホモ・サピエンスと呼ばれる個体を本当に同じ種であると認識しているのか?

長寿と短命

 これなあ。最近いろんな人を眺めて気づいたのだが、人間には短命な種族が混じっていて、子供が10代くらいの時に40代半ばで癌や心臓病にかかって死ぬ人が結構な割合で居るのだ。一方で、怪我や感染症にかからない限り80までピンピンして現役で働ける種族も居る。自分が短命・長命のどちらの種族なのか、あるいは両者のハイブリッドなのか。これに早めに気づくことは大事で。どうせ何をやっても短命な種族だと気づいたら早めに人生を謳歌し始めなければ手遅れなのだ

https://twitter.com/Tamejirou/status/791931788264247297

 平均寿命に2倍の開きがあると、すでに別の種族では、という気がする。呑気に大学院とかで年数を費消している場合ではない。

https://twitter.com/Tamejirou/status/744007584806379521

 個人の感想だけどひとくちに人類といっても放っておけば120歳まで生きる種族と、40歳までにガンその他で早死にする種族が混血してる

https://twitter.com/Tamejirou/status/834566511301840896

人類にも色んな種族がいますがこの安達祐実などに見られるのは「10-15歳前後で外見的に成熟し、その後45歳くらいまでほとんど老けず、最終的には80-110歳前後の寿命をもつ」というタイプでうちの一族もそうです

https://twitter.com/Tamejirou/status/855577842783993856

 俺らがホモ・サピエンスを観察するとき、俺らは長寿と短命のホモ・サピエンスが存在することに気づく。個人的な印象では、実際、ネアンデルタールとホモ・サピエンスの寿命は互いに大きく異なっていたように思える。個人的には、俺らは「ネアンデルタール的なもの」をこの状態にも感じる。

上記の男性Tamejirouは橋本琴絵と同じようなことを言っている。つまり、ホモ・サピエンスの群れには、異なる種の個体が混じって、生活していることである。一見すると、短命のホモ・サピエンスは遺伝子によって生じる病気で死んだように思える。

けれども、短命の種族だから病気で死んだのか、同じ種族であるけれども、たまたま病気で死んだのか。俺らが短命で死んだ対象を単なる病気と認識するのか、または短命の種族であったと認識するのかには、解釈(認識)の余地が存在する。科学的には、遺伝子の発現の結果によって、彼らは短命で死んだのだろう。しかし、もし彼らの短命が決定論のように生得的に運命付けられていたならば、(統計的な考えを除去するとしても)、俺は短命のホモ・サピエンスの種族はホモ・サピエンスと根本的に異なるように思える。

未知(新種)の人類「ドラゴン・マン(ホモ・ ロンギまたは竜人)はホモ・サピエンスか縄文人(日本人)か?〜ネアンデルタールとデニソワ〜
 (CNN)中国北東部ハルビンの井戸に80年以上隠されていた頭骨について、初期人類の新種に当たる可能性があることが分かった。25日付の米科学誌ジ・イノベーションに論文が掲載された。研究者らは頭骨の主を「ドラゴンマン」と呼んでいる。頭骨は保存状態が良く、年代は13万8000~30万9000年前にさかのぼる。太い鼻や低い位置にある眉毛といった原始的な特徴と、平らできゃしゃな頬骨を含め、よりホモサピエンスに近い特徴を併せ持つ。研究チームによると、頭骨の主はおそらく50歳の男性で、極めて幅の広い顔、大きな眼窩(がんか)に入った深い眼球、大きな歯を持っていた可能性がある。脳のサイズは現生人類と同程度とみられるという。 中国のハルビンで、未知(新種)の人類「ドラゴン・マン」の雄の頭蓋骨が発見されたらしい。俺が創作的な原始的復元画を見た後、俺は「ドラゴン・マンは悪い意味で少し縄文人に似ている」と感じた。あるいは、上記の画像は少しオーストラロイド的であるとも感じた。ナゾロジーという記事によると、ホモ・サピエンス(現生人類)とドラゴン・マンはは約94年前に共通祖先を持っていたらしい。さ...

アスペ

発達障害者に深入りすると本当に「ここまで心が汚い人間を見たことない…」って気持ちになるよね?誰にでもありえるような無神経さや狡さや弱さでは到底ないね 。発達障害者にとって優しさはありがたいものではなく、舐めて軽んじる相手認定するもの。

増長ずる一方のアスペに疲れ果てて見放されたらそれまでのどんな恩さえ関係なし、自分の原因は眼中にない。ずっと当たり前に優しくいてくれないなら仕返ししてやるぞと思うだけの人間。あまりに何もかもが汚くて、長所を探したくてもひとつも見つけられないままだった。思い遣り深いみんなの太陽のような上司がアスペの仕返しで胃を壊してからは、みんな敵意全開の対応してやってやるよ。それでも最後までみんなとの仲を取り持とうと、見放しても非情にまではなりきれずアスペをかばおうとしてた上司を、アスペが自分で追い打ちかけて壊した 。

このとき心底これは人間じゃない」「人間扱いする必要が一切ないと確信したね。今までどれだけみんなのお情けに守られてたかもわからないで、恥ずかしい仕返しを平気でするやつに与えるお情けなんかないんだからな 。アスペは面食らった反応で小さくなってて呆れたよ 。こうならないわけないだろ、こんなことしてみんなに今までどおり受け入れてもらえると思ってたのか?どんな脳だよ 。アスペは社会の無理解で生き辛い思いをしてる?はあ? アスペなんか理解したらこんな目に合うだけじゃないか!断じて何ひとつ被害者ではないし徹底的にいじめられて当たり前の人間だよあんなのな

 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10179036820

 上記はYahoo知恵袋からの引用である。質問者は発達障害者に接触した後、彼は発達障害者は同じ人間(ホモ・サピエンス)でないと感じた。発達障害者に対するこの感覚は橋本琴絵のネアンデルタール的なものに似ているように感じる。

上記の発達障害者は悪い性格を持っているのでなく、ホモ・サピエンス的でないように見える。言い換えると、彼らは生得的に病的である、または種族が異なる。この種の個体がホモ・サピエンスの群れの中に潜んでいるのは事実であるように見える。

当然、単なる病気の個体であるかもしれない。ただし、この種の変な個体が単なる病気なのか、種の根本的な違いであるのかは不明である。前者の場合は治療すれば治るかもしれない。けれども、たとえ俺らがこの種の変な個体を治療しても、治癒しないならば、それはもはや病気でなく種の違いであるように感じる。

具体例〜ネアンデルタール的なもの〜

善悪の欠如

 善悪の欠如:ホモ・サピエンスと呼ばれる個体群には、善悪の判断を生得的に下せない種族(ネアンデルタール的なもの)が観察される。

 正確には、ホモ・サピエンスと呼ばれる個体群には、善悪の判断に関する質問に生得的に回答できない種族(ネアンデルタール的なもの)が観察される。例えば、俺は「アメリカ大陸の多様性を賛美することは善であるのか、悪であるのか」と質問する。その時、ネアンデルタール的なものは俺の質問に回答できない。

たとえネアンデルタール的なものが悪(レッドカード)であると返答するとしても、もし俺が「では、その善悪はどの宗教の系統であるか?」と質問するならば、彼らは善悪(レッドカード)それ自体を持っていないので沈黙する。その他の例では、ネアンデルタール的なものは「医者を先生と呼ばせることは善であるか、悪であるか」という質問に回答できない。この時、彼らは「医者を先生と呼ぶと便利である」などと善悪に関する質問に対して、”事実(実際に生じたこと)” で返答する。

ネアンデルタール的なものは「ハンド行為は善であるか、悪であるか」と質問するとき、彼らは「俺らはハンド行為をしていない」と “事実” で返答する。しかし、俺らが尋ねているのは、実際に生じた事実でなく、善悪である。そのほかには、俺らは「西側白人ハーフの子供を産んで自慢することは善であるか、悪であるか」と質問するとき、ネアンデルタール的なものは「自慢してない」や「日本人男性はモテない」や「嫉妬(笑)」と事実や悪態で返答する。

認識の欠如

 認識の欠如:ホモ・サピエンスと呼ばれる個体群には、対象を生得的に認識することができない種族(ネアンデルタール的なもの)が観察される。

 ホモ・サピエンスと呼ばれる個体群には、対象を生得的に認識することができない種族(ネアンデルタール的なもの)が観察される。この種の種族は世界に対する知覚、特に高度な知覚を持っているが、彼らは世界を認識していない。そのため、ネアンデルタール的なものは認識に関する質問に回答できない。

例えば、ネアンデルタール的なものは「君はユダヤ教徒の白人をユダヤ人と認識しているのか」や「君は古代ギリシア人や古代ローマ人を欧州人(いわゆる白人)と認識しているのか」や「君は人種、例えばネグロイド人種を認識していないのか」という質問に適切に回答できない。ネアンデルタール的なものは認識に関する質問に対して、”定義” や “知識(論文の引用)” で応答してしまう。この種の質問に対して、ネアンデルタール的なものは「ユダヤ人とはユダヤ教徒のことである」や「スペインやギリシアは欧州連合である」や「人種は科学的には存在しない」と返答する。

けれども、俺らが聞きたいのは、「君らは世界をどのように認識しているのか」である。俺らは認識を尋ねているのに、彼らは定義や知識で返答するので、種族の違いが存在するように感じる。この種のネアンデルタール的なものは大和民族の遺伝子に関する話において生じてくる。彼らはずーっと論文を引用し続けるが、彼らは自己の認識を絶対に明らかにしようとしない。

自己の欠如

 自己の欠如:ホモ・サピエンスと呼ばれる個体群には、自己それ自体を生得的に知覚、または認識することができない種族(ネアンデルタール的なもの)が観察される。

 ホモ・サピエンスと呼ばれる個体群には、自己それ自体を生得的に知覚、または認識することができない種族(ネアンデルタール的なもの)が観察される。この種の種族は自己それ自体を持っていないので、彼らは自他境界を関西人(渡来人の子孫)のように区別することができない。ネアンデルタール的なるものは自己を持っていないので、彼らは見たものや聞いたものや知ったものを自己それ自体と認識する。

ネアンデルタール的なものはまるでアヒルの雛が視界に入って動くものを親と認識するように、ネアンデルタール的なるものは見たものや聞いたものや知ったものを自己それ自体と認識する。彼らは自己を持っていないので、彼らは自分の名前や名字がなくても不思議に感じないし、自己の人種名や自己の民族名がないくても不思議に感じない。

例えば、発達障害のキモオタに漫画やアインシュタインの自伝を読ませると、彼らは漫画の口調を真似したり、「科学は人類の役に立つ」とまるで彼ら自身がアインシュタインになったように主張し始める。または、大和民族の雌が西側白人と結婚する時、彼女らはまるで白人のように振る舞い、自己も有色人であるのにも関わらず、有色人を人種的に侮辱し始める。