俺がホモ・サピエンスの行為を観察する時、俺はホモ・サピエンスの一部は既に存在する対象と人間が人工的に作る必要がある対象を区別できないと審判した。それらは宗教や文明を人工的に作り出された対象でなく、既に自然界に存在してきた生得的な対象と感じているように見える。
それらにとって、社会も法律も文明も宗教も文字も自然界に既に存在してきた対象である。彼らはそれらを人工的に作る意志も発想も持っていない。彼らはこの世界の全てを生得的な何かであると感じてきたので、彼らは彼ら自身の文明を彼ら自身で形成する発想を持っていないように思える。
以下で、俺はこの種のホモ・サピエンスに適切な名前を与える。東洋文明も西洋文明も歴史も既に存在してきたものでなく、過去の人間によって形成されてきたものである。
1章 うみなし(生み無し)
共通認識 生み無しとは、この世界の全てを自然に発生した対象と誤認識する対象である。
俺らは自然に発生した対象を自発(しはつ)と呼ぶ。自発(しはつ)とは、人間の意志に無関係に自然に(自動的に)発生した対象である。
俺らが創造主の存在を仮定しないとき、自然界は自発(しはつ)である。文字や宗教や善悪は自発(しはつ)でない。それらは人間が彼らの意志で創造する対象である。
人造とは、人間が彼らの意志で創造した対象である。もしxが人造であるならば、xは自発(しはつ)に一致しない対象である。
2章 うみなし(生み無し)
後で書く。
memo:生みなしは他人の考えで他人の認識を論破しようとする。生みなしは白人に文明を作ってもらうまで延々と待ち続ける。生みなしは彼ら自身の文明を彼ら自身で作ろうとしない。