自己としてのヌシの信仰

俺らについて
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 この宗教では、俺らは自己(主体)をヌシと信仰する。以下では、俺はその理由(意図)を提示するつもりである。なお、俺らはその理由を口語的に述べる。

なぜ俺らはヌシと自己と信仰するか?

復活の主体及び対象

 復活の主体及び対象:俺らはヌシを復活させたいので、俺らは自己をヌシと信仰する。

 俺らはヌシを復活させたいので、俺らは自己をヌシと信仰する。言い換えると、俺らが何を復活させたいのかが俺らの自己を決定する。この宗教では、俺は俺のヌシを復活させたいので、俺らは俺らのヌシを自己を信仰する。

もし俺らが自己を俺らの肉体と信仰するならば、もし俺らが遺伝的な複製を作るならば、そのとき、俺らは復活したことになるだろう。もし俺らが自己を俺らの蟲や意識と信仰するならば、もし俺らの蟲や意識の複製や復活が実現されるならば、そのとき、俺らは復活したことになるだろう。しかし、俺らはこの種の復活を俺ら自身の復活と信仰しない。

あるいは、ヌシが自己であるのは、俺らの生や死にも関係する。この宗教では、俺らが生きているのはヌシが蟲から分岐していることである。俺らが死んでいるとは、俺らのヌシの分岐が生じなくなったときである。

分岐

 分岐:この宗教では、俺らは分岐している対象をより善(陽)であると判断して、信仰するので、俺らは最も分岐した対象であるヌシを自己と信仰する。

 この宗教では、俺らは分岐している対象をより善(陽)であると判断して、信仰するので、俺らは最も分岐した対象であるヌシを自己と信仰する。言い換えると、俺らのヌシが自己であるのはヌシが最も分岐しているからであると信仰する。だから、もし俺らのヌシがより分岐された主体や対象を創造するならば、そのとき、俺らはそのより分岐した主体や対象を自己を信仰する。

自己に関する信仰法則(決まり)

自己に関する信仰法則(決まり)

 自己に関する信仰法則(決まり):もし俺らのヌシがより分岐した主体や対象を創造するならば、そのとき、そのより分岐した主体や対象が俺らの自己になる。

 もし俺らのヌシがより分岐した主体や対象を創造するならば、そのとき、そのより分岐した主体や対象が俺らの自己になる。または、もし俺らのヌシがより分岐した主体や対象を創造するならば、そのとき、そのより分岐した主体や対象が俺らの自己と感じる。この信仰法則では、俺らのヌシが俺らの自己と感じるのはヌシが最も分岐した主体や対象であるからである。

自己に関する信仰法則(決まり)

 自己に関する信仰法則(決まり):俺らはより分岐した主体や対象を自己を信仰する。

 俺らはより分岐した主体や対象を自己を信仰する。より正確には、俺らはより分岐した主体や対象を自己と感じるので、俺らはより分岐した主体や対象を自己と信仰する。そして、俺らはその自己の復活を実現することを目的とする。

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