意識を持たない物質と意識を持つが運転手を持たない物質について

俺らについて
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 以下では、創造主は意識を持たない物質と意識を持つが運転手を持たない物質について述べる。彼はxを不確定な対象とみなす。

1.0 分類

1.1(俺系統の認識) xは物質である、かつxは意識に対応する。

彼はxを意識体と便宜的に呼ぶ。口語的には、意識体は意識を持つ物体である。例えば、彼は意識体である。なぜなら、彼は彼の肉体と彼の意識を持つ。または、xは物質と意識の組みである。この時、彼は物質と意識の組みを意識体と呼ぶ。

具体的には、ホモ・サピエンスは意識体である可能性が高い。虎や昆虫などの動物も意識体である可能性が高い。しかし、脳を持たない生物は意識体でない可能性がある。ここで、彼は次の思考規範を提示する。

1.11(俺系統の認識) もしxが脳を持つならば、xは意識体である。

上記は仮定である。感覚的には、もしある生物が脳を持つならば、その生物は意識を持っているように感じる。ただし、これは証明されていない。

1.12(俺系統の認識) xは物質である、かつxは意識のみに対応する。

彼はxを純意識体と便宜的に呼ぶ。口語的には、意識体は意識のみを持つ物体である。この時、運転手の存在は仮定されない。または、xは物質と意識のみの組みである。

例えば、(物質としての)昆虫は脳を持つ。だから、上記の思考規範を適用すると、昆虫は意識体である。しかし、この規範のみからは、昆虫が運転手を持つことは導出されない。そこで、彼は次の予想を提示する。

1.2(俺系統の認識、または予想) 純意識体が存在する。

つまり、xは意識を持つが、運転手を持たない。一般的には、サピエンスは次の規範「もしある主体が意識を持つならば、その主体は運転手も持つ」を持つ。しかし、仮定的な存在として、意識を持つが、運転手を持たない対象が存在するかもしれない。彼は上記を予想した。

1.3(俺系統の認識) xは物質である。

または、xは物質の組みである。彼はxを物質体と便宜的に呼ぶ。厳密には、物質体は物質と異なる。同様に、xが物質のみであるとき、彼はxを純物質体と呼ぶ。

1.4(俺系統の認識) xは物質である、かつxは意識及び運転手に対応する。

または、xは物質と意識と運転手の組みである。彼はxを運転手体と便宜的に呼ぶ(1.41)。彼はxは物質と運転手のみの組みを純運転手体と呼ぶ。同様に、彼は次の予想を提示する。純運転手体が存在する(1.42)。

この時、純運転手体は自己の意識、例えば自己の視界や痛みを持たないが、その主体は運転手を持っている。例えば、もし運転手が何かを感じるのは、意識を通してのみであるならば、その時、たとえ運転手が存在するとしても、もし意識が存在しないならば、運転手それ自体は何も感じない。この場合、運転手はその肉体に関係するが、運転手は存在する可能性もある。

上記と同様に、彼は次の思考規範を提示する。もしxが脳を持つならば、xは運転手体である(1.43)。もしxが意識を持つならば、xは運転手体である(1.44)。

電飛

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