ガリレオの無限の背理(パラドックス)〜部分は全体よりも小さいか?自然数と平方数〜

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 自然数はその平方数に一対一に対応するように見える。1は1^2、2は2^2、3は3^2、…。この時、俺は自然数と平方数の数は同じであるように感じる。同時に、俺は平方数は自然数の部分であるようにも感じる。

この2つの心理は互いに反している。だから、俺はこの対応を背理であると感じる。しかし、俺はこの背理を背理と感じない。以下では、俺は上記の背理に対する俺の認識を提示するつもりである。

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ガリレオの無限の背理

原因

 俺の認識 自然数の数字と平方数の数字は一対一に対応している。

 数字は名札である。1は1^2、2は2^2、3は3^2、…。は1という名札が1^2という名札に対応している。2という名札が2^2という名札に対応している。3という名札が3^2という名札に対応している。

個人的には、俺はガリレオの無限の背理が背理であるように感じるのは、平方数を幾何学的に想像するからであるように感じる。それぞれの平方数に対して、数字という名札を与える。この名札同士の対応を考える時、自然数に対する名札と平方数に対する名札が一対一に対応するのは自然であるように感じる。

俺が名札同士の対応を考える時、自然数と平方数の対応は自然数同士の対応であるように感じる。俺が自然数よりも大きな平方数を幾何学的に見る時、俺は自然数と平方数が一対一に対応しているのがおかしく感じる。けれども、俺は名札(数字)同士の対応を考える時、俺は上記の背理を背理と感じない。なお、俺は部分と全体についてはよくわからない。

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