中国語には文法が存在しないか?〜アジアの言語には文法が存在しない(英語との比較)〜

言語
https://en.wikipedia.org/wiki/Analects
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中国語には、文法がないという説をきいたことありますが、それは間違いだと書いてあるのを見たことあります。 文法がないという説があるからには、他の言語にはない、それなりの理由があると思います が、どういう理由でしょうか?そういうことは言語学を習得してる人でないとあるともないとも言えないので、それぞれの理由を教えてください。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1123541541

どこから聞いてこられてかは不明ですが、文法がない言語なんて存在しませんよ。動物ではあるまいし。 逆にお伺いしたいですが、中国語話者は何を基準に話しているんでしょうか?全く無秩序に話しても通じるなどとお考えならそれは大きな間違いです。少しでも秩序があれば、それが紛れもなく「文法」です。 中国語に文法がないなどと言い出した人は、おそらくは中国語を理解しない人で、中国人を見下げ、差別していた戦前の日本人や欧米人が言い出したものなんでしょう。中国人を動物扱いしていた人たちの発言が発生源だと思います。 時制がないとか、語尾変化がないとかの特徴はありますが、語尾変化が無くてもいろんな方法を使って時制も表現できるし、欧米語や日本語のように語尾変化がある言語が基本で、語尾変化=文法という稚拙な考えの人が言い出したのかもしれません。 そんな変な風説を信じる人の言うことを信じていると、あなたの頭までおかしくなりますよ。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1123541541

 中国語には文法が存在しないという発言は比較的頻繁に聞かれる。上記でも、質問者は中国語には文法がないのは本当であるかと尋ねている。それに対して、回答者は中国語にも文法があると主張した後、意味不明な差別や戦前を持ち出している。

以下では、俺は中国語には文法がないことの意味を提示する。上記の回答者は質問者の質問の意味を把握していない。さらに悪いことに、回答者は日本人にありがちな説教体質である。

結論では、俺らは中国語には文法は存在しないと主張する。

『「中国語って文法が無いの?」』
中国語に文法は存在するのか。こんなことを台湾人の友人と討論し合うことがあります。そんなの当たり前でしょう、文法は存在するに決まってるよ。そういわれる方がほとん…
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文法とは?

 俺の認識:文法とは、単語(品詞)の使用に関する約束(契約)である。

 文法とは、単語(品詞)の使用に関する約束(契約)である。言語学における文法の定義はまた別であるだろう。ここでは、俺らは日常的な意味での文法を考える。

規則や秩序は文法か?

 文法とは単語の使用に関する約束(契約)である。文法は単語の使用に観察される規則や秩序、パタンでない。上記では、回答者は「少しでも秩序があれば、それが紛れもなく「文法」です」と主張する。

しかし、西洋人が中国語には文法が存在しないと主張するのは、 “中国語には単語に関するきちんとした約束(約束)が存在しない” からである。要するに、西洋人は「中国語には、きちんとした約束がない」と言いたい。俺の印象では、西洋人は中国語にも単語の使用に関する規則が存在すると認識している。

俺の霊感では、世界のほとんどの言語には、何らかの規則が存在する。しかし、文法という約束を持つ言語の数は多くない。なぜなら、ほとんどのホモ・サピエンスは「約束それ自体」を認識していない。約束なき言語は動物の鳴き声と同じである。

東洋人の文法観

 東洋人は文法を言語における規則やパタンや法則と感じているように見える。けれども、規則やパタンや法則は文法という約束でなく、規則やパタンや法則である。

鳥の鳴き声にも規則やパタンや法則が存在する。けれども、鳥の鳴き声には、文法は存在しない。なぜなら、動物は約束それ自体を認識できない。動物は規則やパタンまでは作れるが、約束を作れない。

上記の人物は医者であり、知的であり愚かな人物でない。けれども、彼もまた非常にアジア的であり、文法を規則と感じているように見える。西洋人の主張する文法はサッカーのルールのような明文化されている約束である。上記の医者もまた文法を中国語の中に見られるパタンや規則、法則と感じている。

中国語の文法

 俺の結論:中国語には、文法が存在しない。けれども、単語の使用に関する規則は存在する。

 中国語には、文法が存在しない。けれども、単語の使用に関する規則は存在する。あるいは、単語の使用に関する規則やパタン(繰り返し)が観察される。

明文化された約束の欠如

 言語の文法を単語の使用に関する明文化された約束(契約)と仮定する。その時、俺らは中国語の単語の使用にはその約束が存在しないと認識する。言い換えると、俺らが単語を使用する時、俺らは中国語の単語の使用には、サッカーのような明文化された約束が存在しないと認識する。

サッカーの場合、サッカー選手の行為はサッカーにおける約束(決まりごと)によって厳密に定められている。その時、サッカー選手は彼らの肉体をサッカーのルールという文法に従って操縦する。中国語の単語の使用には、この種の約束は存在しない。

だから、中国語には文法が存在しない。ただし、たとえある運動選手が自己の肉体の運動に関する約束を形成しなかったとしても、もしその選手が運動するならば、その運動には何らかの規則や繰り返しが観察されるだろう。中国語における単語の使用も同じであり、話による単語の使用には、何らかの規則や繰り返しパタンが存在する。