すももは有名なツイッター利用者であり、おそらくネカマである。彼は note.com において「暴力性を出せばモテる」を否定する記事を提示した。以下では、俺は彼の記事に対する違和感を提示する。
もしすももの中の人がホモ・サピエンスの雄であるならば、「ネカマ・すもも」は「トランスジェンダー・すもも」に進化しつつあるように見える。新興宗教をふざけておちょくっていたら、その宗教にハマってしまうように、すももはふざけてネカマをやっていたら、本当に心は雌になりつつあるように見える。
違和感
善悪の欠如
俺の違和感 すももはホモ・サピエンスの雄がその雌を殴ることを善、または悪と判断していない。
すももは彼の善悪を彼の言葉で表現していない。俺が彼の長い記事を読んだ後、俺は「で、結局、彼はホモ・サピエンスの雌を殴ることを悪いと判断しているのか」と疑問に思った。俺はすももはあのような長い記事を書く必要はなく、「ホモ・サピエンスの雌雄を殴ることを悪い」と判断すれば終わりである。
正常な人間はたとえ実際の暴力がモテを導くとしても、その人間は無意味な暴力を悪いと判断するので、その人間はホモ・サピエンスの雌をモテるために無闇に殴らないだろう。俺の印象では、すももはもし暴力性とモテの関係が証明されたならば、ホモ・サピエンスの雄はホモ・サピエンスの雌を殴って、モテようとするだろうと考えているように見える。しかし、この種の雄は正常でなく異常者である。
サッカー選手がサッカーという運動競技の善悪(レッドカード)に沿って競技するように、正常な人間は宗教という運動競技における善悪に沿って運動する。人間競技においてより重要なことは、他者を殴ることは善であるか、悪であるのかであり、暴力性とモテの間に関係が存在するのかどうかでない。
統計の悪用
統計で支配
俺の認識 すももは統計を悪用して、読者を管理・統治しようとしているように見える。
上記の例では、すももは暴力性とモテの関係を必死で否定しようとする。けれども、たとえ関係が証明されるとしても、暴力それ自体が悪いと判断されるならば、その証明は問題ない。すももは人間が事実に沿って運動して、事実で統治されると考えるので、彼は暴力性とモテの関係を必死で否定しようとするように見える。
すももは自己の宗教もその系統の善悪、そして文明的な所属も明らかにしたくない。けれども、彼は他人を自分の想い通りに動かしたい。だから、彼は統計を悪用しているように見える。つまり、彼はもし彼が暴力性とモテの関係を否定することができるならば、つまり、殴ってもモテないよと証明できるならば、ホモ・サピエンスの雌雄(非モテ)は他者を殴らないだろうと感じているように見える。
すももはもし暴力性とモテの関係が証明されるならば、非モテは暴力を本当に実行するのでないかと心配している。だから、彼は統計を悪用して、その関係の証明を否定しようとする。けれども、すももはそのような回りくどいことをする必要はなく、「モテるために、暴力を実行することは悪い」と判断すれば十分であるように見える。人間選手を統計事実で管理するのでなく、善悪(レッドカード)で管理することが重要である。