日本映画(邦画)と韓国映画〜シュリとパラサイト半地下の家族

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 シュリは1999年の韓国映画である。当時、俺は小学生であったが、俺はこの映画を今でも覚えている。俺はこの時点で、韓国映画は日本映画を超えたのでないかと審判した。先日、半地下の家族はアカデミー賞を受賞したが、この事実は韓国映画業界の長年の努力の結晶である。

一方、日本の映画業界は完全に衰退してきた。日本からの映画の程度は非常に低く、まるでお遊戯のようである。日本の映画は東南アジアの映画に非常に近い。

以下で、俺らは韓国映画の長所と日本映画の欠点を見よう。俺は映像技術について無知であるので、視聴者としての長所を述べる。

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1:韓国映画の長所

1:国際社会における対峙能力

 韓国映画の長所は国際社会における競争力でなく、 ‘ 対峙能力 ‘ である。日本人のグローバルや国際化は白人と仲良くして、白人に認められる、褒めてもらうである。それに対して、韓国映画は東洋文明における西洋文明との ‘ 対峙 ‘ である。

一般的に、東洋人は白人と対峙する時、彼らは東洋文明や東洋人として文化や肉体及び建築のデザインを白人の前で表現する必要がある。韓国映画はそれに成功した。俺がシュリやパラサイトを評価するのは韓国映画の対峙能力である。

2:東洋人の美

 韓国映画の長所は東洋人の美の追求である。大和民族は白人小人種でなく朝鮮民族と同じ東洋小人種である。韓国映画もKpopも東洋小人種としての肉体のデザインをどうすべきであるかについて考えてきた。俺は彼らの思考を評価する。

上記の画像はkpopである。俺は彼女の体型は優れていると審判した。彼女らは国際的な対峙能力を持っている。日本人の子供みたいな体型では、彼らに勝利できないだろう。下記の体型も参考になる。朝鮮民族は北方の東洋人によっていて、大和民族は南方の東洋人によっている。

上記の女性の体型は実に東洋的である。中南米のような意味不明なボンキュッボンでもないし、白人女性のようなごつい体型でもない。実に女性的である。俺は中南米のようなでかい尻とでかい胸を嫌う。なぜなら、それはブッシュマンと同じである。胸もお尻も小ぶりで洗練されるべきである。

3:幼稚でない

 韓国映画の長所は幼稚でない。日本映画のほとんどはジャニーズやAKBようなお遊戯である。さらに悪いことに、大和民族は幼稚であることを悪い(レッド・カード)と判断できない。

2:日本映画の短所

1:とにかく幼稚で東南アジア人みたい

 日本人とは大和民族の要素であり、彼らは白人でない。日本人は彼ら自身を白人に近い何かであると感じているように見える。その結果、彼らは東南アジア人化してきた。

日本映画の程度の低さはタイ映画やフィリピン映画と同じである。日本人は彼ら自身が幼稚であることや東南アジア人に近いことに気づいていない。フィリピン人もイヌイットもアメリカ先住民も大和民族と同じモンゴロイド人種である。

タイ人やフィリピン人がまともな映画や報道を製造できないように、大和民族の映画関係者や報道関係者やマスメディアはまともな商品を製造できない。彼らは実に幼稚である。

サルはなぜサルか 2 _ タイ人が微笑む理由 中川隆

2:白人ハーフ大好き〜国際化かフィリピン化?〜

 日本人は東洋人よりも東南アジア人に近い。だから、彼らは白人ハーフを異常に好む。この現象はフィリピン人が彼ら自身をスペイン系フィリピン人と呼ぶことに似ている。

日本映画や芸能やファッション史における中間種はmattと同じである。彼らはデザインが何であるかを理解できない。だから、彼らは白人の遺伝子をブランドとして見せびらかしたいだけである。俺は質問したい。

 俺らはどのような肉体のデザインを製造したいのか?

白人の真似をしても、白人になれない。日本人の映画やメディアは国際化だから、白人の遺伝子に乞食して白人ハーフを作ってグローバルな人材になろうと考えているように見える。この種の思考はフィリピン人と同じである。日本人もフィリピン人も他人と対峙できないので、彼らは白人の文化や遺伝子を見せびらかして、マウントしようとする。これがサルみたいで気持ち悪い。

白人様
白人様

 日本人も日本人と白人との中間種もまんまフィリピン人と同じである。にも関わらず、彼らはアメリカやカナダを見て、多様性や国際化やグローバルを叫んでいるので、喜劇的である。君らの将来はjungle asiaであり、フィリピンや中南米である。白人の真似をしても、白人になれないことがサルにはわからない。

3:東洋人の美はどこに?〜肉体のデザインの欠如〜

 日本人は白人の遺伝子に乞食して、それを大和民族に見せびらかす。彼らはこれを国際化やグローバル化と錯覚している。実際、白人との中間種は国際的な立場で白人と対峙できない。なぜなら、彼らは彼らの母親が白人の遺伝子に乞食したことを悟られることを嫌う。

結局、白人との中間種は日本列島の上で大和民族に自慢する、マウントするための肉体のデザインでしかない。この状態はフィリピン人や東南アジア人と同じである。彼らは白人の遺伝子に乞食して、それをフィリピン人と呼ぶことによって、彼らは自慢したい、他人よりも優位に立ちたい。

けれども、それでは中間種は国際社会におけるデザインの分野で他人と対峙できない。第一、彼らは中央アジア人やヒスパニックと同じである。人種を混ぜた時点で、固有のデザインは失われるだろう。

白人様
白人様

 トムヤンクンと同様に、ヒスパニックの肉体のデザインは存在しない。誰が白人とタイ人との中間種はヒスパニックの違いを認識できるか?日本人と朝鮮人の肉体のデザインすら、東洋人によって認識されるのに、、、。

3:日本国の映画業界とマスメディアの問題

1:韓国は国策である

 俺は韓国の映画とKpopは国策であると審判した。韓国映画やKpopはきちんと計画された商品である。彼らは国際社会における東洋人としてのあり方をきちんと見据えて、映画やKpopを商品として輸出してきた。

韓国映画やKpopが国策であるのは、正当である。この世の建築の全ては王様や皇帝の国策の結果である。俺は自由が何かを作ったと審判しない。

2:日本は自由である

一方、日本国のメディアは自由である。自由とは動物であり、動物と人間の違いは義務の有無である。結局、自由の結果として、ジャニーズやAKBが台頭したし、自由の結果、クールジャパンはめちゃくちゃである。

さらに、日本国における建築の劣等さや意味不明やカタカナ用語もまら文化破壊と文明破壊の一例である。訳のわからない中間種が蔓延しているが、彼らまるでスペイン系フィリピン人である。日本のマスメディアは東洋でなく、タイやフィリピンに近い。

東南アジア人に自由を与えると、jungle asiaになるように、大和民族に自由を与えると、ジャニーズアジアやAKBアジアになる。フィリピン人もタイ人も醜いモンゴロイド人であることが嫌であるので、彼らは白人との混血をタイ人と呼んで、美男美女になった気分を味わいたい。

3:日本のTVは大和民族を馬鹿にする

 日本人のメディアや報道や学者や弁護士は日本人をバカにする。この行為は白人との中間種が大和民族に依存しながら、大和民族をバカにすることや白人と結婚した日本雌豚が大和民族を白人視点でバカにすることに似ている。もし日本人のメディアや報道や学者や弁護士、そして中間種が優秀であるならば、彼らは白人と対峙すべきである。

入社した頃、ニュース原稿で小難しい文章を書いて上司に直されました。「視聴者は中学3年生を想定しろ」と、よく言われたものです。つまりNHKの番組は田舎のお年寄りを含めて1億人に理解されないとならないわけです。これは色んな意味で勉強になりました。

池上彰さんとも仕事をしたことがありますが、彼の語り口はNHKのノウハウなんですよ。普通のジャーナリストが「そもそもEUとは何か?」なんて書かないわけですが、彼はこどもニュースを長年担当しているうちに視聴者が子供ではないことを知ったわけです。「今さら聞けない」ことを書く。それがある種のイノベーションになったわけです。

https://oreranitsuite.com/2020/02/10/ポン・ジュノの韓国映画パラサイトアカデミー賞/3/

日本人のメディアは上記のようなことをやってきたので、報道も映画もダメになった。彼らは日本人の視聴者はバカであるので、彼らは視聴者のために低レベルなことをやってきた。だから、日本映画が劣等でも、彼らは悪くない、仕方がない。彼らはこう言いたげである。

しかし、この感情は間違いである。彼らはまともな映像を製造する能力を持っていない。実際、日本の映画も報道もまともな映像を取れない。さらに、彼らは白人の視聴者のせいにできない。

白人様
白人様

 日本のTVやメディアは西側の白人との中間種と同じである。彼らは大和民族に依存しながら、上記の池田信夫の発言のように、大和民族をバカにする。しかし、彼らは白人の前で彼ら自身の価値観や文化や文明を表現しようとしない。彼らは対外的な意思疎通を中流層の大和民族にやってもらってきたので、日本の映画も報道もshit hole or jungle asiaである。

おまけ:大和民族の短所

1:善悪の判断を下せない

 俺が東洋人の美を追求しようと言った時、日本人の大部分はだってだって国際化と返答する。この発言はもちろん意味不明である。たとえ国際化するとしても、俺らは東洋人であるし、白人みたいなデザインにならない。だから、俺らはたとえ米国民であるとしても、俺らの肉体のデザインを追求しなければいけない。

結局、大和民族の問題点は善悪の判断の欠如である。東洋人の肉体のデザインを追求することは良いか(ブルーカードorグリーンカード)、悪いかレッド・カードであるかを判断できない。大和民族はフィリピン人に同様に、白人の遺伝子に乞食し続けて、それを日本列島の中で見せびらかして、自慢したい。彼らは東洋人の肉体をデザインを真剣に思考できない。

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