この宗教では、君らはお布施を君らの意志で宗教に与える(強制でない)。個人的には、俺はお金に関するきちんとしたやり取りを正統と認識する。不利なお布施や献金は宗教の存在に悪影響を及ぼす。
1章 純粋布施
共通認識 純粋布施とは、信仰者が彼ら自身の富を人工的な世界及びその創造主に捧げる行為である。
俺は人工的な世界の創造行為を「労働」と認識しない。だから、俺はその行為の対価を信仰者から取らない。つまり、創造行為は俺の車体の運動の対価とならない。
実際、俺は信仰者に人工的な世界(恵み)を与えるが、その代わり、俺はある意味での戒律を信仰者に与えて、彼らの人生を拘束している。特に、俺の意志は彼らの命を奪うだろう。
この人工的な世界は物質世界と似ている。物質世界は恵としての命を俺らに与えるが、同時に、物質世界は俺らの命を奪っている。その結果、俺らの人生は正負でゼロである。
1節 感謝料として
もし俺らが物質世界の創造主に俺らが生まれてきた事を感謝したいならば、俺らは何らかの富を物質世界に捧げて、その富を無駄にする。例えば、古代社会では、人々は神に捧げるために、家畜や富、子供や人間を生贄にしていたはずである。俺らは子供や人間や家畜でなく、富を感謝として生贄として人工世界に捧げる。
ただし、自然界と異なり、その富は再回収されて、正当な行為の下で再利用される。
2節 先祖に対する布施
俺らがお墓まいりに行く時、俺らは死者の好物を買って、お墓に添える。人々の一部はそれをもったいないと感じるだろう。だから、先祖の代わりに、信仰者は富をこの人工世界に添える。
3節 使い道
使い道は基本的に人工世界の創造に使用される。人工世界の創造行為とは、例えば、行為の善悪を新たに定める事である。また、商業に乗らない音楽や建築や映画や言語(信仰言語を含む)や数学や理論物理その他の理論に使用される。
また、もしある人間が純粋布施を行うならば、その人間は布施の使い道に口を一切出さないものとする。ただし、その布施が組織を腐敗させている場合、その人間は抗議できる。
2章 子孫布施
共通認識 子孫布施とは、富を信仰者の子孫の増加に捧げる行為である。
俺らが人間集団を形成する時、俺らはその集団の存続を常に考える必要がある。子孫布施とは、富を信仰者の子孫の増加に捧げる行為である。
俺らが宗教を形成する時、俺らは信者の数という問題に絶対にぶち当たる。それを回避するために、俺らは子孫布施を導入して、信仰者の子孫の数を人工的に制御する。
1節 使い道
子孫布施は子孫を増加させるためにのみ存在する。子孫が増加する時、金銭的な負担が生じる。その埋め合わせとして寄付である。例えば、教育費や家やその他の費用が負担される。
当然、ある信仰者が子孫布施を受けるとき、その信仰者及び信仰者の子供は信仰に忠実でなければいけない。例えば、俺が子孫布施を受け取る時、俺は子孫を残す義務やその布施を子供の教育費に当てるために、それらを使用する必要がある。