睡眠とヌシの同一性(連続性)

俺らについて
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 この宗教では、俺は自己のヌシの復活を実現することを目的と信仰する。しかし、俺が自己の睡眠を思い出すとき、睡眠前のヌシと睡眠の後のヌシは本当に同一(連続的)であるのかと疑問に感じる。もし睡眠前のヌシと睡眠の後のヌシが同一でないならば、俺はどのヌシを復活させるのかという問題が生じる。

応答背景

信仰

 俺の信仰 俺が睡眠するとき、俺のヌシも肉体の睡眠に対応して一時的に眠るように感じる。

 経験的に、俺の脳が眠る時、俺のヌシも眠るように感じる。特に、俺が深い眠りに入る時、俺のヌシも深い眠りに入るように感じる。さらに、全身麻酔でも、俺のヌシは肉体の麻酔に伴って眠るように感じる。

上記を分岐的に解釈すると、肉体の睡眠と共に蟲やヌシが分岐されなくなったのかもしれない。なぜなら、蟲は物から現在分岐していて、ヌシは現在蟲から分岐している。俺が睡眠や麻酔を分岐を妨げる物質的な現象と信仰する時、ヌシは睡眠や麻酔によってその分岐を妨げられたのかもしれない。

また、俺は他者のヌシそれ自体を感じ取ることができないことを忘れないようにする。睡眠や麻酔が多hさのヌシの分岐を妨げているように感じるのは、自己のヌシからの類推の結果である。

同一性

 俺の信仰 俺のヌシが睡眠の前後で同一(連続)であるのかは不明である。

 この信仰の目的とは、俺のヌシの復活である。俺らが復活を考える時、俺らは俺のヌシが唯一であり時間的に連続していると前提として感じてきた。しかし、これは単なる前提でしかない。毎回毎回異なるヌシが召喚され、連続した肉体の中を通じて繋がっているかもしれない。

俺らが昨日のヌシと今日のヌシを結びつけられるのは俺らの肉体に依存している。俺らの肉体は昨日と今日では同一であるので、昨日のヌシと今日のヌシも同一(連続)である。俺らはこの種の思考の規範を適用している。しかし、ヌシは物質的世界から今現在分岐されたものであるので、必ずしも物質的世界の同一性を表現しないだろう。俺の仮説では、ヌシの同一性は信仰的な産物であり、物質的な信用を持たない。実際、ヌシ自体が知覚されない。

信仰

ヌシの同一性と信仰

 俺の信仰 俺は自己のヌシの同一性(連続性)を便宜的に信仰する。

 俺は次の思考の規範(ロゴス)を提示する。それは「もし肉体(物質)が連続的であるならば、その肉体に対応する蟲も連続的である」である。「もしその蟲が連続的であるならば、その蟲に対応するヌシも連続的である」である。

この二つの思考の規範を使用する時、俺は自己のヌシの同一性を信仰する。ただし、蟲もヌシも睡眠によって連続的でない。けれども、俺は肉体の同一性(連続性)を使用して、俺は自己の蟲やヌシの同一性(連続性)を信仰する。もっというと、俺は蟲は物にほぼ一対一に対応しているので、もし肉体が同一であるならば、蟲も同一であると思考する。

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