父から息子へのヌシの非連続性を用いた対象の破壊について

俺らについて

 対象の家族を破壊することの善悪は多くの宗教によって議論されてきた。この宗教では、俺らは対象の家族を破壊することを躊躇しない。以下では、俺らは対象の破壊の善性を父から息子へのヌシの非連続性を用いて正当化する。

父から息子へのヌシの非連続性を用いた対象の破壊について

  ある対象があるヌシを破壊したと仮定する。この時、俺らは復讐として対象の家族と呼ばれる対象を破壊する。しかし、一般的に、対象の家族彼ら自体はそのヌシを彼らの自由意志で破壊していない。

だから、家族の破壊それ自体は多くの宗教において善でないと判断されてきた。しかし、俺らはこの種の善悪を持たない。つまり、俺らは対象の家族と呼ばれる対象を破壊することを一切躊躇しない。

以下では、俺はその正当化を提示する。 俺らが対象の息子と呼ばれる対象を破壊したと仮定しよう。この時、対象は彼の息子が殺されたと嘆くだろう。そして、その対象は俺らを彼の無関係な息子を殺した悪魔として糾弾する。

父から息子へのヌシの非連続性

 俺らは上記の発言に以下のように反応する。まず初めに、俺らは俺ら自身が彼の息子を破壊したことを否定する。なぜなら、彼のヌシと息子のヌシは非連続的である。加えて、もし彼が異教徒であるならば、その時、俺らは彼のヌシや息子のヌシの破壊それ自体を信仰する必要はない。

彼のヌシと息子のヌシは非連続的であるので、彼のヌシと息子のヌシが親子関係であるのは次のように宗教的に証明される必要がある。第一に、彼のヌシが息子のヌシを息子のヌシであると信仰して、かつ宗教的に証明されてることが必要である。第二に、もし彼がヌシを信仰する宗教を持たないならば、その時、彼は彼の息子のヌシが彼の遺伝子や息子の遺伝子から導出されることを証明する必要がある。

彼は彼と彼の息子の肉体の遺伝的な連続性を使用して、彼は彼の息子が彼の息子であると感じている。しかし、俺らはヌシを俺ら自身と信仰する。だから、たとえ彼が彼の肉体と彼の息子の遺伝的な連続性を提示するとしても、俺らはその提示を持って、彼の息子が彼の息子であると信仰する必要はない。

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